アポなしの直撃取材で芸能人に怒鳴られるのは当たり前──。そんなワイドショー隆盛期から、家族間の「修羅現場」を伝えてきた芸能レポーターの川内天子氏が、今だから明かせる取材秘話を激白した。

東京都内にあるご実家には何度も足を運びましたよ。当時、ワイドショーは生中継でインタビューをオンエアしていたんですよ。でもお父様は一般の方なので顔を見せたくない。カメラがいつも後頭部を映していたのを覚えています」

 ベテランレポーターがこう振り返るのは、30年前に勃発した松坂慶子(69)の骨肉バトルだ。

「松坂さんは91年にジャズギタリストの日本人男性とニューヨークで知り合って結婚したのですが、音楽業界では『いったい誰?』という声が上がるほど。松坂さんのお父様は当初からこの結婚に猛反対。メディアに『ヒモ』『収入もないのに家でゴロゴロしている』などと非難し、父娘の関係にも確執が生じたのです」

 松坂はニューヨークで新婚生活をスタート。それでも実父はメディア上で「絶対反対」を発信し続ける。

「お父様の英明さんは、実家に行けば必ず取材に応じてくれました。最寄り駅で買った花を持っていくと、『慶子も花が好きでね』と饒舌になったものです」

 松坂も反発し、両親へ向けて「あんたたちなんか眼中にない」と発言。これが火に油を注ぎメディアを賑わせ、親娘関係はこじれにこじれる。その後、和解が報じられることなく、07年に英明氏が逝去。実母は21年春に亡くなったが、100歳を目前にした大往生だった。

「松坂さんの夫が忙しい妻に代わって献身的に義母を介護し、車椅子を押して散歩をすることも。そういう意味では、松坂さんの選択は間違っていなかった。両親の猛反対を押し切って結婚したのは、そうした人間的な優しさを求めていたからではないでしょうか」

 中森明菜(56)と中森一家の絶縁騒動も、ワイドショーのネタになった。

「デビュー4年で日本レコード大賞を2年連続で受賞し、稼ぐお金も莫大なものでした。実家は東京・清瀬で中華料理店を営んでいて、所属事務所が資金的な援助を行っていたとも聞きます。こうしたお金の流れで誤解が生じ、明菜さんが疑心暗鬼になってしまったのでは‥‥」

 川内氏は明菜の父・明男氏に話を聞くため、何度も店に足を運んだ。

「お父様は良いことも悪いことも何でも話してくれました。明菜さんにしてみたら、自分のことをベラベラとテレビで喋る姿が面白くなかったかもしれません。そんな明菜さんの意を汲んでか、お母様は大のマスコミ嫌い。今だから話せますけど、『帰れ!』とモップを投げつけられたこともありますよ」

 その母親が95年に亡くなると、明菜と一家は没交渉になってしまう。

「お母様の葬儀には参列したけど、すぐに帰ってしまったそうです。確執が取り沙汰されて30年以上が経ち、親交があった妹の秋穂さんも3年前に他界しているので修復は難しいかも」

 落語一家がスキャンダルに見舞われたのは08年秋。前年に春風亭小朝との離婚を発表した歌手でタレントの泰葉(61)がブログで、

〈離婚の本当の理由の一つを書く!元夫だった金髪豚野郎は私の母のことを20年間『ゲロ』と言っていた〉

 などと衝撃的な文章を綴って世間を驚かせた。

海老名家や小朝さんが取った対応は沈黙すること。もしも何かひとつでも反論しようものなら、3倍、5倍になって返ってくることを恐れていたそうです」

 さらに泰葉は17年に、

6月25日を持ちまして海老名家と絶縁し完全独立したことをここにご報告申し上げます〉

 と公表して、母・海老名香葉子、実弟の9代目林家正蔵、2代目林家三平を擁する名門一家との関係を絶ったのだった。

「13年頃には双極性障害によるうつ病と診断されましたが、家族に限らず、周囲の人間を信じきれない部分がありました。泰葉さんは今でも母・香葉子さんに対して『認めてもらいたい』『許してほしい』という気持ちがあり、根岸(台東区)の家にも足を運んだのですが、会うこともかなわなかったそうです」

 親子関係の雪解けを願わずにはいられないが。

アサ芸プラス