3月13日(日)に「ドキュメンタリードラマ 奇跡のバックホーム」(昼1:55-3:20、テレビ朝日系)が放送される。同作は、元阪神タイガース選手・横田慎太郎氏の自伝的エッセイを原作に、横田氏のラストプレーへとつながる真実の物語をドラマ化したもの。そんなプロ野球界に語り継がれる“奇跡のラストプレー”を演じるために行われた、主演・間宮祥太朗と横田氏の貴重な対談シーンの公開が決定した。

【写真を見る】間宮祥太朗、横田慎太郎氏からバッティングの指導を受ける

■ドラマ×ドキュメンタリーで真実の物語を紡ぐ

横田氏が暮らす鹿児島で、間宮は撮影前に横田氏と会って話す機会に恵まれた。野球に打ち込んだ経験のある間宮にとって、病気のために24歳という若さでプロ野球人生にピリオドを打たざるを得なかった横田氏はどんな存在だったのか。

役作りのためにバッティングフォームを直接教えてもらったり、横田氏が当時のことを実際にはどう感じていたのかを質問するなどした二人のやり取りや対談シーンは、ドラマとともに放送される。

「病気の宣告を受けたとき」「闘病を支えた家族とのやり取り」「野球を辞めると決意したとき」など、間宮に向けて真っすぐに当時のことを振り返っていく横田氏と、噛みしめるように耳を傾ける間宮。間宮は「ひとつひとつのお話から横田さんの勇気と感情をもらうことができました」と語る。

金本知憲氏、矢野燿大氏、鳥谷敬氏のインタビュー映像も

プロ野球選手として将来を嘱望されながら病魔に襲われ、24歳という若さで引退をした横田氏。そのプロ野球人生を知る、金本知憲氏、矢野燿大氏、鳥谷敬氏が当時を振り返るインタビュー映像もドラマとともに放送される。

横田氏が一軍昇格した時の阪神タイガースの監督だった金本氏は、「一言でいうとがむしゃらな選手でした。とにかく一生懸命で、彼のような選手を9人そろえてチームを作りたいと話していたほど」と、横田氏へ込めた期待感や、横田氏の病状が発覚した際の心境を明かす。

そして、横田氏がファームでリハビリをしていた頃の二軍監督だった矢野氏は、「苦しかったと思うんです。だけど、その苦しさを出さずに頑張っていたのが印象に残っています」と、横田氏が復帰に懸けていた頃のエピソードなどを語る。

鳥谷氏は、「横田のラストプレーを見たとき、野球に真剣に向き合えば、本当に神様からの贈り物ってあるんだな、と感じました」と話す。さらに、二軍だった横田氏の引退試合に、一軍選手が総出で駆けつけた“異例の引退試合”の舞台裏についても語る。

間宮との対談で見せる真っすぐな視線、そして球界を代表する3人から語られる人柄など、ドキュメンタリーとドラマで横田氏の半生を見つめることで、横田氏が実直に歩んできた軌跡を知ることができる。

■「奇跡のバックホーム」あらすじ

2014年の阪神タイガース入団会見。その壇上にドラフト2位指名を受けた横田慎太郎(間宮祥太朗)はいた。背番号タイガースを代表する打者・桧山進次郎がつけていた24番。将来を嘱望されたルーキーとして晴れ晴れしいスタートを切る。

高校野球の名門校・鹿児島実業高校出身の慎太郎。当時、甲子園出場の夢は叶わなかったが、阪神タイガースのスカウト・田中秀太(丸山智己)は、慎太郎の野球センスとスケールの大きいスイングに注目していた。その期待に応えるように、慎太郎はプロ3年目で開幕スタメンを勝ち取る。

しかし翌年、原因不明の頭痛とボールがぼやけて見えるという症状が慎太郎を襲う。精密検査の結果は脳腫瘍。あまりに予想外の診断結果と、医師からの「野球のことは、いったん忘れてください」という言葉に、目の前が真っ白になる。活躍が期待されたプロ野球シーズン直前のことだった。

18時間に及ぶ大手術を終えた慎太郎を待っていたのは、目が見えない状態からの過酷な闘病生活。辛い治療に耐える慎太郎を、母・まなみ(石田ひかり)は病室に寝泊まりしながら看病し、励まし続ける。何度も絶望しそうになる慎太郎を支え続けたのは家族の存在、そして慎太郎の元に届く数多くのファンレターだった。

退院後、育成選手契約となった慎太郎は一軍復帰を目指す。しかし、体力は回復するものの、視力だけは戻らない。そして下した決断。「野球、やめることにしました」――。

突然襲われた病魔と闘い、不屈の精神で一軍復帰を目指し続けた慎太郎。彼の野球人生最後の試合は、1096日ぶりの公式戦だった。その8回二死2塁の場面、万感の思いを胸に全速力でセンターの守備位置へとつくが、その直後、本人でさえ予想することのできなかった“奇跡”が起きる。

間宮祥太朗、横田慎太郎氏との対談がかなう/ (C)ABCテレビ