「産業道路」「産業通り」。このような愛称の道路が全国に存在します。いかにも広い道でトラックがびゅんびゅん通る、といったイメージがあるかもしれませんが、実態は必ずしもそうではありません。

片側1車線のフツーの道でも「産業道路」?

「産業道路」あるいは「産業通り」といった名前の道路が全国に存在します。その響きから、広い道で、トラックがびゅんびゅん通る、といったイメージを持っている人もいるかもしれません。

関東で有名な「産業道路」といえば、京急大師線の旧「産業道路駅」(2020年に大師橋駅へ改称)がある東京都道・神奈川県道6号東京大師横浜線ではないでしょうか。首都高K1横羽線高架下を通る片道3車線の主要道で、文字どおり“トラックびゅんびゅんの広い道”です。

この道も産業道路駅も、戦前から存在しており、京浜工業地帯の目貫通りとなったことが伺えます。しかし、なかにはこうしたイメージとは裏腹の「産業道路」も存在します。

たとえば、埼玉県新座市には「産業道路」の愛称がついた市道があります。東京都練馬区との境目から北東へ、志木街道(さいたま東村山線)まで4km弱の区間ですが、全線にわたり片側1車線で広いとはいえず、特に練馬区側は一歩入れば住宅街。トラックがびゅんびゅん通るイメージも希薄です。

実際のところ「産業道路」にはどのような意味があるのでしょうか。

国土交通省の用語説明によると、「おもに貨物輸送の交通に供される道路の通称。工業団地と埠頭を結ぶ区間に設けた道路や、工業地域を縦貫する道路などをさす」とあります。京浜工業地帯の「産業道路」はまさに合致します。

「産業道路」に歴史アリ

一方、新座市の「産業道路」。市の道路管理係によると、1980年代から90年代にかけての道路愛称選定会議で決定したものだといいますが、具体的な選定理由は不明とのこと。ただ、「このときは歴史的、伝統的な由来などが重視されたこともあり、昔からこう呼ばれていたとも考えられます」と話します。

新座の産業道路は1966(昭和41)年の時点ですでに全線整備されており、当時の沿道は大部分が農地ですが、志木街道側ではいくつか工場ができていました。

埼玉県には、このほかにも複数の「産業道路」があります。うち、さいたま市の市街地を南北に縦貫する県道35号の「産業道路」は、片側1車線区間が多く、しばしば渋滞します。

この道路も昭和20年代には大部分ができており、当時の沿道を航空写真で見ると、そのほとんどは農地や山林でした。埼玉県道路環境課によると、「今では市街地化されていますが、工業地域を結ぶ貨物輸送のための道路というだけでなく、当時は産業を誘致する意味合いもあったのでしょう」と話します。

この路線に並行して近年、東側に片側2車線の「第二産業道路」も整備されましたが、これは「産業道路のバイパス」という意味だそう。もとの産業道路の名称が昔から地域で使われていたことが伺えます。

もとは貨物車をメインとしていた「産業道路」、昔から存在するその通称が地域になじみつつも、昔と今とで様相が変わっているケースがあるようです。

川崎市の産業道路。首都高の高架下、京浜工業地帯の目貫通り(画像:PIXTA)。