3月8日、ボーイングのロシア製チタン購入停止が報道された。エアバスは継続すると言う。
すでにウクライナで戦争が始まって以降、航空産業ではロシアからチタンを購入できなくなる可能性が心配されていた。
最盛期にはエアバスが6割、ボーイングが4割のチタンをロシアに依存していた。もっとも、報道によるとボーイングの方は既に3割に減っていたようだ。
常識的にはそれだけの供給がなくなれば、生産も激減する。日本の航空産業もチタンを使用しているはずであり、心配である。
しかし、ボーイングは大丈夫だと言っている。なぜなのだろうか?
オンリーワンではなかったロシアのチタン
ロシアのチタンはほぼすべてVSMPO-Avisma社によって製造される。
元々、ボーイングはVSMPOと親密だった。合弁企業ウラル・ボーイング・マニュファクチャリングを立ち上げていた。
しかし、昨今の情勢を見るに、ボーイングは、仮にロシアからのチタンが止まっても大丈夫そうだということは見えていた。
ロシアからのチタンが止まっても、ボーイングが大丈夫な理由は2つある。
1つ目の理由は、ロシア製チタンが同業他社に比べてハイテクでないことだ。つまり、技術的には代替可能なのだ。
航空業界で使用するロシアのチタンで多いのは板材と鍛造材である。
板材はある種の汎用品であり、ボーイングの認定のある世界中のチタンメーカーで製造可能だ。日本でも神戸製鋼所で製造している。
鍛造材の方は、少し厄介だ。
鍛造材の多くは部品固有の鍛造型が必要である。鍛造型がなければ作れない。また、生産の習熟にある程度の時間を要する場合がある。
さらに、航空機の場合は部品一個一個に対し、製造工程の認定が必要となる。
この認定作業には、時間もコストもかかる。鍛造材は右から左へとサプライヤーを変えることができない。
恐らく、これがエアバスがロシアからの調達を継続する理由であろう。
しかし、ボーイングは2014年以降、チタンのデュアルソース化を進めていた。デュアルソース化とは、2社に発注できる体制を作ることである。
ボーイングで最もチタンを使用する機種は「ボーイング787」である。
ボーイングのVSMPO活用も、787から本格化した。「ボーイング777」の新型(-8と-9)もチタンを多用するがまだ生産が立ち上がってない。
それ以前の機種では、チタンの使用は少なかった。
また、777以前の機種はボーイングがVSMPOを本格活用する前に開発された機種である。VSMPOなしでも生産できていた。
ボーイング787で最もチタンを使用するのは、日本のSUBARUの半田工場で製造する中央翼だ。主翼と中央翼を繋ぐ部分は大型チタン部品の集合体だ。
かつて、その多くをVSMPOが製造した。VSMPOが誇る7万5000トン鍛造プレスが大活躍していた。
主翼の下弦と中央翼を繋ぐ長さ5メートルの部品は、VSMPOの自慢の一品だった。
確かに、VSMPOの7万5000トンプレスは世界最大級のプレス機だ。大型プレス機を用いた鍛造技術は優れていると言われている。
しかし、技術的優位性は低コストを実現しているものの、オンリーワンの技術力ではない。
米国のワイマン・ゴードン、フランスのAubert & Duvalなど、世界にはほかにも大型プレス機がある。
これらの企業でも、VSMPOが作っているチタン鍛造材と同等の物を作れる。
787の大型チタン部品は、デュアルソース化の進展とともに、VSMPOしか作れないものではなくなっていった。
787で最もチタンを使用する部分が日本にあるので、日本でもある程度様子が分かる。どうもVSMPO製チタンは現場で数を減らしていたようだ。
前述のとおり、鍛造材の場合、切り替えが簡単にいかない場合がある。いくつかの部品では、ロシアからチタンが買えなくなって困るものも発生するかもしれない。
しかし、時間をかけて認定作業をやれば、他のサプライヤーで作れるようになるはずだ。
エアバスでは分からないが、ボーイングではそうした部品は極めて限定されると推察される。
戦争以前に壊滅していたボーイング
ボーイングが、ロシア製チタン購入中止に耐えられる2つ目の理由は、減産だ。
最盛期月産10機を超えたボーイング787の生産数は今では1~2機だ。2021年7月から品質問題により納入停止になっている。
2021年の引き渡し数は14機。2019年は144機だったので文字通り10分の1になっている。
なお、ライバルの「エアバスA350」は新型コロナ感染症前より減らしているが、2021年の納入は55機。月産4機以上を維持している。
A350も787と同じく炭素繊維複合材製飛行機で、チタンを多用する。恐らく、これもエアバスがロシアからのチタン調達を継続する理由だろう。
デュアルソース化が進んでいる中、チタンを最も使用する787が大減産した。ロシア以外から買える分で十分に間に合ってしまうのだ。
コロナで、チタン爆食いの787もA350も生産数を半減させた。
加えて2021年からは787は品質問題で生産数は最盛期の10分の1に落ちた。787、A350ほどではなくてもチタンを使用する他の機種も、生産数が落ちている。
世界中でチタンの製造能力は余っていると考えるのが自然だ。これまでロシアに行ってた分の注文が来たら、他のチタンメーカーは喜んで作ってくれるに違いない。
チタン爆食い機種が絶好調だった2018年とか2019年にウクライナで戦争が始まっていれば、大混乱が起っただろう。
787がデュアルソース化を進めていたとは言え、ロシアが欠けることになったらチタン生産能力が不足した。大騒ぎになったはずだ。
しかし、2022年の今、既に大減産している状態だ。チタンの供給が減ったとしても、大勢に全く影響しないのだ。
日本の航空産業への影響
航空産業は機体とエンジンに分かれる。機体に関しては、日本の航空産業はほぼボーイングの仕事をしている。
事情はボーイングに近いので、VSMPOからチタンを調達できなくなっても、全体としては、それほど影響はないのではと思われる。むしろ、2020年以降の減産の影響で困っている人が多いだろう。
787では、大物チタン材はボーイングからの支給品になっていたりする。日本の独自調達の鍛造材にVSMPOのみから調達していたものがあれば、困るかもしれない。
個別具体的な調達先なので、部外者では完全に追い切れない。しかし、該当する部品が大量にあるとは思えない。
現在、日本の航空エンジン業界の重要な飯のタネは、「PW1100G」だ。
比較的好調な「エアバスA320neo」に搭載されているジェットエンジンだ。A320neoが大減産になれば、仕事量が激減する。
A320neoは1980年代開発の機体をベースに改造されたもので、チタンの使用量は限定的だし、VSMPOが得意な大物チタン部品は少ない。VSMPOのチタンがなくなったことによって、大減産するとは考えにくい。
エンジンでもVSMPOからの調達ができなくなって困るかは、個別具体的な部品毎の調達先選定による。さすがに部外者では追い切れない。それでも、それほど困らないのではないかと推察される。
日本はPW1100Gの低圧部を中心に分担生産をしている。
かつて低圧部はチタン製部品の塊であった。しかし、PW1100Gではファンやファンケースはより軽量な新型アルミ合金や炭素繊維複合材に置き換わっている。
かつてのエンジンよりチタンの使用は減っている。
それでも、ケーシングやベアリング・サポートなどに、大型のチタン部品は残っているかもしれない。
だが、VSMPOがそれらの部品の素材を受注したという話をあまり聞かない。また、VSMPOが展示会に出すサンプルでもPW1100Gのものは見たことがない。
ロシアのチタン供給不安の影響は限定的
ロシアからチタンが入手できなくなった場合、一部部品では調達先切り替えに手間取る可能性がある。また、VSMPOより価格の高いサプライヤーに調達先を切り替える必要があるかもしれない。
しかし、調達切り替えに苦労しそうな鍛造材をVSMPOのみに発注しているケースが少なそうであるし、現在はチタンの製造能力が余っている。
航空業界以外のチタンはどうだろうか?
元々、VSMPOが得意なのは航空機に使用するチタン合金だ。航空業界以外ではロシアのチタンは縁が薄い。日本での航空業界以外のロシア製チタンのユーザーは限られるだろう。
現時点で、ロシアのチタンの供給が途絶えても、パラジウムで予想されるようなインパクトはない。
残念ながら、ロシアのチタンがなくなってもそれほど困らない理由が、航空機大減産である。元航空産業関係者としては、少し悲しさを感じる。
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