田中絹代(たなか・きぬよ)が死去したのは、1977(昭和52)年3月21日。享年67。

 今となれば、大女優は67歳の若さで逝ったのである。生まれは、1909(明治42)年11月29日。松竹の看板女優であり、松竹蒲田を体現する清純派スターであったが、後年の老婆役にこそ、その演技の真骨頂を見せることになる。白眉は、1974(昭和49)年11月2日東宝配給「サンダカン八番娼館 望郷」での“おサキさん”役。熊井啓監督作品である。

 原作は、“底辺女性史”の研究者である山崎朋子・著の「サンダカン八番娼館」(筑摩書房版)。第4回(1973年)大宅壮一ノンフィクション賞受賞作である。

 海外に連れ出され外国人の客をとった、知られざる“からゆきさん”の実像に迫り、忘れ去られようとしていた、あるいは、故意に消されようとしていた「日本の恥部」を描出したとの評価も高く、当時、話題を集めた原作であり、映画である。

 ちなみに、公開年の、時の総理大臣田中角栄3月12日には、フィリピン・ルバング島から小野田寛郎陸軍少尉が、戦後29年目での日本への帰還を果たしている。小野田少尉の「戦争」は終わっていなかったのである。

 さて、映画「サンダカン八番娼館 望郷」は、からゆきさんの研究者である栗原小巻が、偶然にも、からゆきさん=田中絹代と出会うシーンから始まるのだが、撮影時29歳の匂うばかりに美しい栗原に対し、65歳の田中は、老婆であり、村はずれのムカデが這い回る“猫屋敷”のあばら家に住む身である。この無残な対比を奇妙な明るさと共に、田中が演じるのである。日に焼けた顔から、ほの見える、かわいらしく、美しかった昔がまぶしくもある。

「ようあがってくれた」「昼寝までしてくだはった」「死ぬまであんたば忘れんばい」と栗原に話しかける田中である。

 そして、再びの同居が始まり、田中演じる“からゆきさん”こと、おサキさんから語られる、南方へ身を売られた少女たちの日常は、「戦前日本の恥部」をあぶり出す、底辺女性の生き様そのものであった。

 なお、このボルネオでの娼館での日々を演じたのは、当時21歳の高橋洋子。おそらくは、監督の熊井が求めたであろう、海外で体を売った女性の実像を体当たりで演じ切っている。

 やがて、同居の日々にも終わりが来る。

 別れの日、栗原が使っていた「手ぬぐい」をねだる田中が切ない。

「ありがとう。ありがとう。 この手ぬぐいば使うたんびに思い出すけんな」

 田中の絞り出すばかりの号泣が胸を打つ。人々から、日本から「拒否」された“からゆきさん”の号泣であり、それを今こそ、「回復」した喜びの号泣にも映る名シーンである。

 田中は、本作で第25回ベルリン国際映画祭1975年開催)で、銀熊賞(最優秀主演女優賞)を受賞。その2年後に田中は逝くことになる。

(文中敬称略)

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