『ELDEN RING』は2009年に発売された『Demon’s Souls』によって幕を開けた、全3作の『DARK SOULS』シリーズ、『Bloodborne』、『SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE』(以下、『SEKIRO』)のいわゆる“ソウル系”と位置づけられるフロム・ソフトウェアの作品群の系譜における最新作である。

 すでにご存知の方も多いとは思うが、“ソウル系”の特徴を一言で言えば“何度も死んで覚えるアクションRPG”である。ステージはプレイヤーの死角をことごとく突いてくる嫌らしい敵配置や理不尽なトラップの数々で満ちており、ボス戦では適当に操作していれば数秒程度で死に至るであろう猛烈な攻撃と壮絶な火力に圧倒される。目の前に立ちはだかる様々な脅威に対して、プレイヤーはどうしようもないほど無力であり、特に序盤はその辺にいる雑魚敵に幾度となくボコボコにされ、プレイを初めてすぐにその世界の非情さを思い知ることになる。ゲーマーのなかにはこのシリーズに対して強い嫌悪感を抱く人もいるだろう。

【画像】死にゲーの歴史をさらに更新した、『エルデンリング』の圧倒的なビジュアル

 だが、一方でここまで熱狂的に愛されるシリーズもないだろう。その要因は、探索すれば探索するほどに新たな発見と便利な道具を手に入れることができるステージの作り込みの妙と、最初こそ理不尽に感じられるボス戦における、相手の行動パターンを覚えてその動きを見切ることで勝機を見出すことができる絶妙にも程がある戦闘バランスという、あまりにも見事なアメとムチの構造にある。また、手元に直接鉄の重みや血飛沫の飛び散る感覚が伝わってくるかのような重みと鮮やかさを兼ね備えたアクションの手触りは絶品だ。その快楽に惹きつけられながら、やがてプレイヤー自らの成長が、主人公の強さへと繋がっていく。そうして困難を乗り越えた時の達成感と喜びは、ほかの作品では得られないほどの麻薬的な魅力を持っており、数多くのゲーマーに中毒症状を引き起こしてきた。

 それは当然のようにゲーム業界に絶大な影響を与え、やがて「ソウルライク」という言葉が生まれ、メジャーインディー問わず様々な作品群が独自の要素を取り入れながらその高みへと挑んできた(この10年ほどのゲームレビューにおいて、一体どれほど「『ダークソウル』の影響を感じさせる」という言葉が書かれてきただろうか)。しかし、結局のところ本家であるフロム・ソフトウェアを上回るような作品は未だに登場していない。だからこそ、世界中のゲーマーが『ELDEN RING』の発売を切望していた。

 そうして迎えた2月25日の発売日。近年では稀に見るほどに高いハードルが用意されていた同作だが、少なく見積もっても、フロム・ソフトウェアはその期待に見事に応えて見せたと考えて良いだろう。世界中のレビュースコアをまとめたメタスコアは今年どころか2017年の『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』に匹敵する97点を叩き出し、すでに「歴史的傑作」の扱いを受けている状態だ。プレイヤー側の反応も極めて熱狂的で、大勢の国内外のストリーマーが本作の実況動画を配信し、Twitchでは一気にトップクラスの人気コンテンツに君臨。Steamの同時接続者数は発売以降も伸び続け、発売から約2週間後という本稿執筆時点で歴代同時接続数6位という記録を樹立している。これまで“ソウル系”に馴染みの薄かったプレイヤーであっても、その熱狂ぶりを目の当たりにして、興味を持った人も少なくないだろう。

 とはいえ、『ELDEN RING』に対する感想やレビューを書くというのは(特にこれまで“ソウル系”に親しみの無かったプレイヤーにとっては)、実のところ複数の問題を抱えている。まずは、いくら定着したとはいえ、その作風はいまなお決して大衆的なものではなく、熱狂的に支持する人々がいる一方で、前述の通り全く理解できないという人々も非常に多く存在するということ。そして、これは既存のプレイヤー側の問題なのだが、同シリーズはクリアした、あるいはやりこみを重ねる人物に対してある種のバイアスを与え、それが結果として本作に関心を抱く人々に対する間口を狭めている可能性があるということだ。要は、いくら本作を絶賛したところで、それを書いた人物が“ソウル系”を長年に渡ってやり込んでいる場合、未経験者にとっては何の助けにもならない可能性があるということである。

 というわけで前置きが長くなったが、これから『ELDEN RING』の内容に言及していくにあたって筆者の“ソウル歴”を書いておく。『SEKIRO』、『DARK SOULS 3』はこの手のゲームが得意な友人とともに遊び、ラスボスを含む半分程度のパートを自らの力では進めていない。一方で、『Bloodborne』と『DARK SOULS Remastered』、『Demon’s Souls』(PS5版)についてはDLCを含めて最初から最後まで自分の力でクリアしている。『DARK SOULS 2』は中盤まで進めたものの肌に合わなかったため、途中でプレイを終了した。『SEKIRO』は諦めたが、『Bloodborne』はあのゴシック・ホラー×クトゥルフの世界観とアグレッシブな戦闘システムに魅了され何周か遊んでいる、という具合である。つまるところ、筆者もバイアスを受けているのは否めない。

 肝心の『ELDEN RING』についてはすでにプレイ時間が50時間を超えているが、物語の進行よりも探索をメインに進めているためにクリアには程遠く、マップの半分程度は隠れたままで、(進行の目安の一つである)手に入れた大ルーンの数は未だに1つだけである。というわけで本稿はあくまでプレイ中の状況で書いたテキストであり、もし機会を頂けるのであれば、改めてクリア後に何かしらの形で書くことができればと思う。

・オープンワールド化によって実現した、“死にゲー”のラベルに隠れていた本来の姿

 『ELDEN RING』を一言で表すなら、「オープンワールド化した『DARK SOULS』」である。基本的な操作システムやインターフェース周りは(『SEKIRO』で導入されたジャンプを除いて)ほぼ完全に『DARK SOULS』を継承しており、名称こそ一部に変更が入っているもののステータス周りやレベルアップの仕組みに関してもほぼ同一だ。これまでに同シリーズを遊んだことのあるプレイヤーであれば、一切困ることなく本作のシステムに馴染むことができるだろう。それは探索面や戦闘面においても概ね同様であり、冒頭で書いた“ソウル系”の魅力はほぼそのまま本作の面白さに受け継がれている。オープンワールドを無視して一直線に前へと突き進めば、恐らくこれまでの『DARK SOULS』とほぼ変わることのない面白さを味わえるはずだ。特に、序盤のフィールドにおける「ストームヴィル城」などの通称「レガシー」と呼ばれる巨大なダンジョンは、広大なオープンワールドの反動かと思えるくらいに、もはや異様とも思えるほど細部まで作り込まれた巨大な仕上がりとなっており、改めてそのレベルデザインの妙に唸らされる。

 だが、そうした「予想できる面白さ」以上に本作をプレイしていて強く感じられるのが、オープンワールド化によって得られた恩恵の大きさである。それはまるで『Demon’s Souls』以降、“死にゲー”という言葉によってすっかり覆い隠されてしまっていた本来の“ソウル系”が持っていた魅力を、『ELDEN RING』によってついに思う存分輝かせているように思えるほどである。2011年の『The Elder Scrolls V: Skyrim』以降、多くの作品がオープンワールド化し、それがプラスに働くこともあればそうでもない場合もあったが、ここまで明確にオープンワールド化に対して意味を感じられる作品も珍しいように思える。

 突然だが、もしあなたがファンタジー系の作品の主人公だったとして、目的の場所に辿り着いた時、いまの自分の力ではまず勝ち目がないであろう圧倒的な脅威を目の当たりにしたとする。その時、きっと頭の中には複数の選択肢が思い浮かぶはずだ。何度負けても諦めない覚悟を胸に立ち向かうのは素敵なことだが、「今の自分には無理」と冷静に判断して今の自分に適した場所で力を鍛えてから戻ってくるのも懸命な判断だろう。手元の武器や装備が十分でないと考え、より強力なアイテムを探す旅に出ても良いし、「何とか無視できないか」と考えて迂回路を探してみても良い。そもそもそんな脅威よりここまで来る途中に見えた変な建物や洞窟の方が興味があるし、通りで佇んでいた誰かの言っていたことが気になっているという場合もあるだろう。あるいは、ちょうど同じ時期に冒険中の友人の力を借りるのも良いかもしれない。全てはあなたの自由であり、『ELDEN RING』ではそれが全て可能であり、そんな“あなただけのロールプレイ”を実現するために本作では過去作以上の様々な選択肢を用意し、広大なオープンワールド中に巧妙に配置しているのである。

 いまやすっかり忘れがちだが、そもそも『Demon’s Souls』や『DARK SOULS』は最初にいくつかのクラスの中から出自を決め、ステータスの割り振りを決め、キャラメイキングを行い、そうして生まれた自分だけのキャラクターとともに、火を噴くドラゴンや墓地から這い出してくる骸骨たち、洞窟に住む巨人や混沌を操る魔女といった要素の詰まった世界でロールプレイをするという、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』などのTRPGの直接の影響下にある超王道のファンタジーRPG作品である(アクションに特化した『SEKIRO』は除く)。そんな世界で「特定のエリアに多めの経験値を持つ敵がたくさんいるから、そこでひたすらレベル上げをし続ける」ことくらいしか困った時の選択肢が無いのは、それこそRPGの美学に反していると言えるだろう。これまでの作品における直線的なレベルデザインは作り込みの面では優れており、アクションゲームとしては概ね問題が無かったのだが、『ELDEN RING』が存在するいまでは、それはあくまでRPG性の薄さを細かな作り込みでカバーしていたのだと思えるほどだ。

 本作の舞台である「狭間の地」では、マップや景色を眺めて「あの辺に何かあるのでは」と感じてその場所を探索すれば、大抵の場合は貴重なアイテムや、何かしらの小・中・大規模のダンジョン、あるいは興味深い話やサービスを提供してくれるNPC、そして突然のドラゴンの襲撃や、陸地を歩く巨大な城といった何とも形容し難い光景など、その好奇心に応えてくれるだけの何かと出会えるようになっている。それはまさに『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』の「とりあえず歩き回っていると何かしらのアクティビティがある」という探索の面白さに近いのだが、本作では、同作以上にそこで得られた報酬がプレイヤーに対して絶大な影響を与えることが珍しくない。

 とある場所で出会えるNPCから購入できる魔法や、小規模なダンジョンでボス敵を倒すと手に入れることができる霊体などはその一例だろう。筆者は知力と技量に重きを置いた魔法使いとして冒険を進めていたのだが、序盤こそ苦戦を強いられたものの、やがて魔法使いの師範的な人物と出会い、そこで学んだ魔法を使って遠距離から複数の敵を安全かつ高火力で攻撃できるようになり、強力な敵と対面した際には霊体を召喚して1対複数の構図で危険を軽減しながら戦うことで、全体的に余裕を感じられるようになっていった。その自信を旨に、かつては心を折られたボスへと再び立ち向かうと、今度は拍子抜けするほどあっさりと倒せてしまったのである。最初は魔法を使える「素質がある」程度だった自分が、この世界を旅する中で様々な出会いを経て、経験と知識を積み、やがて「本物の魔法使い」へと成長していったのだ(それでも調子に乗るとすぐに痛い目に遭うが)。何度も死闘を繰り広げてようやく手にした勝利の持つ達成感も格別だが、このように自らが歩んできた旅路を経て感じる成長もまた、何物にも代え難い喜びを感じることができる。

 また、筆者には同時期にゲームを始め、信仰に重きを置いて冒険を続けていた友人がいたのだが、久しぶりに再会した時には竜になって氷のブレスを吐いて敵陣を圧倒しており、さらに別の友人はゲームの序盤からやたらと巨大な槍を手に入れ、それをブン回しながら敵をなぎ倒していた。また別の友人はそんなことを全く気にすることなく低レベル・初期武器のまま正面突破しており、その光景を見ながら改めて本作の持つ可能性の幅広さを感じた次第である。たしかにベースは完全に『DARK SOULS』だが、オープンワールド化による膨大な選択肢によって実現したこの自由度こそが『ELDEN RING』をこれまでに無かった特別な作品へと引き上げているのだ(そして、最近ではそれぞれの探索しているエリアがあまりにも違いすぎて話が噛み合わなくなってきている)。

 誤解を与えないように書くと、本作は決して“ソウル系”史上最も簡単なゲームというわけではない。だが、少なくとも、これまでで最も豊富なアプローチを用意した作品であることには間違いないだろう。これまでの作品では、ひたすら前に進んでいくと突然ドラゴンが現れて為す術もなく死に、その理不尽さに怒りを感じてコントローラーを置く日もあったが、本作では脅威は正しく脅威として存在しており、この世界に生きるものとして、その圧倒的な強さを自然なものとして感じることができる。そして、いつかその脅威と直接対峙する日を想いながら、今日もこの美しい世界を旅するのだ。その魅力は、これまでの“ソウル系”における作品が持っていたものとは似ているようで全く異なるものであり、本作で初めて触れるプレイヤーにとっても、きっと伝わるものなのではないだろうか。

・あまりにも経験者の存在に頼っているが故の、作品全体の不親切さについて

 と、こうして綺麗に締め括ってもよかったのだが、本作は『DARK SOULS』をベースとした古典的なファンタジーRPGであり、これまでの“ソウル系”の作品よりも遥かに間口が広いにも関わらず、“古典的すぎる”が故に入り口を狭めているような気がしてならないのも正直なところだったりする。あまりにも過去作品のプレイヤーの存在を前提としすぎているが故に、「不親切すぎるのでは」と思ってしまう場面が何度も訪れるのだ。

 ゲームを起動してから最初の約30分程度の時間は、まさにその極みと言えるだろう。最初に表示されるクラス選択画面では、それぞれの出自は分かるものの記載されている「生命力」や「精神力」といったステータス、そして表示されているアイコンの意味は一切書かれていない。その後、体型を「タイプA」と「タイプB」から選ぶことになるが、それが一体どんな体型なのかは選んでみなければ分からない。また、ゲームが始まると、一切操作方法を教えることなく、突然強力なボスと戦わせた後に、わざわざチュートリアルを進行方向とは別のルートに用意しているという有様だ(しかもそれに気づかなければ、本作中で重要な「祝福」というシステムも完全にスルーすることになる)。経験者である筆者も戸惑い、同時期に見ていた多くの配信者も手探りで進めていたことを踏まえると、本作で初めて“ソウル系”のゲームを手にしたプレイヤーはまず間違いなくただただ困惑し続けるだけだろう。

 実際にフィールドに出てみても、目的地は不明でせいぜい向かうべき方向を教えてくれるのみであり、一般的なRPG作品には用意されているクエストログも存在しないため、場合によっては何をすれば良いのか分からずに開始早々露頭に迷うことになる。しかも、そんな状況にも関わらず、開始地点付近に初心者ではまず敵わないであろう強力な敵キャラを配置しているため、「何も分からないままで、ただただ為す術もなく殺される」という完全に間違った形での“死にゲー”という側面だけが伝わる可能性がある。また、そのほかの導線についても、レベルアップの方法やマルチプレイの始め方といった重要な要素であろうが、ある程度ゲームを進めてから、妙なタイミングで教えてもらうことになるためにとにかく不親切という印象が積み重なり続ける(筆者と友人は発売直後に揃ってゲームを始めたのだが、しばらくマルチプレイの方法が分からずに彷徨い、結局、攻略サイトを見てその方法を確認した)。

 また、「クエストログが存在しない」というのは本作における特徴の一つでもあり、過去作から引き継がれた要素でもあるのだが、人によっては「没入感に繋がる」といってその選択を称賛する意見も少なくない。だが、プレイ時間が約50時間を超えた今、筆者としては確実にかなりの数のクエストの存在を忘れているという自覚がある。「メモを取れば解決する」という声もあるだろうが、何故わざわざデジタルのゲームをプレイしているのに手元でメモを取らなければならないのだろうか。せめてマップにメモを取れる機能があるのならばかろうじて理解ができるが、そのマップも複数種類のマーカーを置いておくことができるのみであり、そこにいたNPCがどんな話をしていたのかを記録しておく手段は無い(しかも一度聞いた話をもう一度話してくれなかったり、その場からいなくなってしまうという場合もある)。没入感を与えたいのであれば、たとえば、約20年前に発売された古典的RPGの傑作である『The Elder Scrolls III: Morrowind』のようなジャーナル機能でも良いだろう。結局、筆者を含め多くのプレイヤーは業者が運営している攻略サイトへと向かっていくわけであり、それはクリエイターにとってみれば最も「没入感を損なう」行為なのではないだろうか。

 そういった、「高難易度」とは異なる「不親切さ」は、挙げようと思えば枚挙に暇がないほどであり、結果としてそれは本作に対するアクセシビリティ面における当事者からの強い批判にも繋がっている(それだけで別のテーマとなるほどのトピックであり、現在進行系で論争が進んでいるため、本作を巡るアクセシビリティの議論については今回とは別に何かしらの形でまとめられればと思うが……)。

 少なくとも、ここまでに書いてきた通り、『ELDEN RING』が『Demon’s Souls』から受け継がれてきた“死にゲー”というラベルを剥がし、本来持っていた正統派ファンタジーRPGとしての魅力を全力で引き出した傑作であることは確かであり、メタスコア97点も頷けるほどの圧巻の仕上がりである。そして、その大胆かつ壮大な試みによって、本作はこれまでで最も間口の広い、プレイヤーに応じた多様かつ自由なアプローチを許容する作品となっているのだ。だからこそ、本作が様々な部分において、過去作品の存在に頼って「不親切さ」をそのままにしているという現実が、あまりにも惜しくて仕方がないのである。(ノイ村)

『ELDEN RING』(C)BANDAI NAMCO Entertainment Inc./(C)2022 FromSoftware,Inc.