日本海軍駆逐艦「雪風」が1939年の今日、進水しました。太平洋戦争の初戦から戦艦「大和」の水上特攻に至るまで、数々の激戦に参加するも大きな損傷は受けず、僚艦40隻のなかで唯一生き残りました。

対艦から対空を意識した兵装へ

1939(昭和14)年の3月24日は、旧日本海軍駆逐艦「雪風」が進水した日です。「雪風」は太平洋戦争において数々の戦いに参加するも大きな損傷を受けず、40隻ほどあった陽炎型夕雲型駆逐艦のなかで唯一生き残りました。

「雪風」は陽炎型の8番艦として長崎県の佐世保海軍工廠で建造されます。全長118mあまり、基準排水量2000トンあまり、最大速力35.5ノット(約64km/h)の艦にして、12.7cm連装砲や四連装魚雷発射管などを備えました。

ただ、歴戦を重ねるなかで兵装を強化し、艦容は変化しています。大きな点としては、1943(昭和18)年に後部の主砲1基が撤去され、替わりに三連装の対空機銃2基が増設されました。ほかにも当時最新だったレーダー(電探)を導入するなど、竣工時には艦対艦の戦闘を想定していたものの、海戦が航空機を使った空襲主体になるにつれ、対空火力を増強したためです。

そのような「雪風」の初陣は1941(昭和16)年12月、フィリピン中部のレガスピー攻略でした。上陸作戦の支援に始まり、翌1942(昭和17)年2月のスラバヤ沖海戦インドネシア沖)、6月のミッドウェー海戦、10月の南太平洋海戦、11月の第三次ソロモン海戦と、連合軍と激しく砲火を交えていきます。

とはいえ大きな損害を受けなかった「雪風」は、次々と作戦に投入されます。

戦後は中華民国へ渡る

1943(昭和18)年には、1月から2月にかけてのガダルカナル島撤収作戦に参加。その後も、本土と南方とを往復し、物資輸送任務など従事します。1944(昭和19)年6月にはマリアナ沖海戦に、10月にはレイテ沖海戦に参加しますが、いずれにおいても生還しています。

同年11月、「雪風」は横須賀港~呉港間で、就役したばかりの大型空母「信濃」の護衛を行います。夜間に実行されましたが、「信濃」はアメリカ軍潜水艦の雷撃によって撃沈されています。

「雪風」にとって最後の海戦は、翌1945(昭和20)年4月の水上特攻でした。戦艦「大和」などとともに沖縄を目指しますが、その途上で激しい空襲にあい作戦は失敗。しかし「大和」など6隻が沈没するなか、ほぼ無傷だった「雪風」は佐世保に帰投します。

8月、太平洋戦争が終わると、作戦行動可能だった「雪風」は復員兵の輸送任務に従事しました。日本人を本土に戻すためにパプアニューギニアラバウルや満州(中国東北部)などへ赴き、計1万人あまりを帰還させています。

こうして戦後も働き続けた「雪風」でしたが、1947(昭和22)年7月に、戦争賠償艦として当時の中華民国に引き渡されます。中国軍艦として艦名を「丹陽(タンヤン)」に改めたのち、中華人民共和国中華民国との国共内戦でも用いられました。

退役は1965(昭和40)年12月16日。そののち解体され、1971(昭和46)年12月8日に舵輪と錨が日本に返還されました。これらは広島県江田島海上自衛隊第1術科学校に展示されています。

太平洋戦争を生き抜いた「雪風」は、「強運艦」「不沈艦」などと呼ばれます。

1940年に佐世保で撮影された、旧日本海軍の駆逐艦「雪風」(画像:アメリカ海軍)。