新国立劇場のシリーズ企画「声 議論、正論、極論、批判、対話…の物語」、その第1弾の舞台『アンチポデス』が4月8日に開幕する。ピュリッツァー賞受賞作家アニー・ベイカーによる「だれかが“おはなしをする”お話を描いた物語」を、芸術監督である小川絵梨子が演出。「私がこれまで手がけて来た中でも、1番変わった戯曲かもしれない」と笑う小川が、新たに見つめる議論や対話、そこで生まれる“物語”の正体とは…。

“物語を作り出す”8人の会議室での悲喜こもごも

――この『アンチポデス』の作者、アニー・ベイカーさんが書いたピュリッツァー賞受賞作『フリック』は、2016年に新国立劇場で上演されましたね(マキノノゾミ演出)。映画館で働く若者たちの日常を描いた作品で、溢れ出る言葉の妙に笑わされたり、考えさせられたりと非常に引き込まれた記憶があります。今回の作品はどういった経緯で浮上したのでしょうか。

アニー・ベイカーさんはアメリカの若手劇作家として注目を浴びていて、私もずっと気になっていた方なんです。コロナ禍の中で、わりと新作に近いものを中心に何作か取り寄せて読んでいたのですが、『アンチポデス』もその一つでした。難しいけれどすごく面白いな、やれたらいいなと思いました。「声 議論、正論、極論、批判、対話…の物語」と銘打ったシリーズテーマに合った戯曲を最初に5作ほど選び出しまして、まずシリーズでお願いする演出家の方(桑原裕子、五戸真理枝)にそれぞれ作品を選んでいただいたんです。それで残った中から…って言ったら言葉が良くないけど(笑)、私はこの『アンチポデス』を選びました。

――会議室に集まった8人が、“物語を作り出す”作業を続けていく物語で、なんとも不思議な味わいを持った戯曲ですね。

『アンチポデス』チラシ

そう、不思議な台本ですよね。会議室で起こる悲喜こもごもを描いていて、読んでいるとなかなか難しく、これは役者が立って、やってみたほうがわかりやすいなと。そしてコメディなんだな……とはなんとなく思いました。普通の人間たちの日常にある小さい機微が、どんどん積み重なっていって、物語になっていく台本だと感じたので、それですごく興味を引かれたんですね。

――確かに、さりげない言葉に笑ってしまう瞬間が多々ありました。それと同時に登場人物たちのやりとり、そこに流れる空気に不穏な揺らぎがあるようにも感じます。

そうですね。人間が社会活動をしていく中で、自分以外の他者といる、ということの面白さや難しさ、その中で物事を進めていく状況が、すごく敏感に書かれていると思います。書かれた言葉の内容も大事ですが、それよりも登場人物たちのあいだに起こっていることが、小さな日常の出来事から、神話が飛び出すところまで描かれていて、その小から大までをダイナミックに繋げていく構成に、あらためて面白い作家だなと感じましたね。

「アンチポデス」=「世界の反対側」=理解できない他者の存在?

――この8人がどういう職業で、なぜ“物語を作る”ためにさまざまな物語を語り合っているのかが明確に書かれていないけれど、会話が進むうちに、何かコンテンツを生み出そうとしているクリエイター集団かな…と予想がついて来ますね。

アニー・ベイカーさんはおそらく、具体的に書かないことによって、どこにでもある普遍的なものにたどり着こうとしていて、「いわゆる映画業界の話なんだね」で終わっちゃうような要素はいらない、別に言わなくていいと考えたんだろうと思います。ただ「物語を作る人間たちの話なんだな」ということは絶対に伝えなきゃいけないことなので、私たちの中では、“テレビドラマシリーズを作るために、契約で雇われているライターたちの物語”という設定にしています。

この8人が会議をしている中で、「世界の反対側」とか「怪物」といった言葉がいっぱい出て来ます。それはたぶん、たどり着けないもの、自分が理解出来ないもの、自分以外の他者という存在の比喩として、その言葉を出しているのだろうと。他者を本当に理解することは難しいけれど、なんとか知ろうとするために物語が存在している……、この台本はそういうことを書いているのだろうなと思っています。

――それでアンチポデス=対蹠地、地球の裏側というタイトルであると。

そうじゃないかなと私は思っていますね。アニー・ベイカーさんから「全然違うよ!」って言われるかもしれないけど(笑)。

――戯曲について気になったのでお伺いしたいのですが、最初に「(登場人物の)エレノア(高田聖子)とアダム(亀田佳明)は人事部の圧力によって採用されたと想定して書いた」という作者の説明があり、「サンディ白井晃)はいつも野球帽をかぶっている」などキャラクターの衣裳のことや、その様子についての細かいノートがいくつか書かれています。この説明はどういう意味なのか、また演出の際、これらのノートは指定と考えて反映させていくのでしょうか。

そうですね、それを踏襲するか否かは次の段階で、まずはなぜこれが書かれていて、どういう意図を持っているのかを考えていきます。エレノアは、男性ばかりの会議の中で、ひとりだけ女性なんですね。で、アダムは実は黒人の男性であって。いわゆる白人男性優位主義のコミュニティ、つまりアメリカという社会の縮図の中に、女性や有色人種の人も参加させなきゃいけないだろうという会社の方針を“圧力”と感じる人間がいることを意味するのではないかなと。

また、会議のリーダーであるサンディが野球帽をかぶっているのは、アメリカのヒエラルキーを表していると考えます。トランプ元大統領とか、よく帽子かぶってますよね(笑)。野球帽というのは、成功とか、パワーとか、権威といった意味合いが多分に込められていて、まあわかる人はわかる、わからない人はわからなくてもいい、というのがアニー・ベイカーさんのスタンスだとは思うのですが、いわゆる成功者とか、トップとか、そういう人たちの象徴なんだと思います。

――そうした作者の投げかけを、どう受け取り、どう表すかは託されていると。

そうですね。イギリスで上演された時のプロダクションでは、サンディは帽子をかぶっていませんでした。おそらくイギリスの文化圏だと野球帽の意図が通じないからだったんじゃないかと。今回は、サンディ役を白井晃さんがやってくださって、帽子をかぶっていただくことにしています。白井さん、「全然似合わないんだよ〜」なんておっしゃいながらご自身でも帽子を持ってきてくださって、ありがたいです(笑)。

他者との向き合い方を、愛を持って探究する作品

――最初から最後まで会議用テーブルを囲んで話し合う、まさしく声の劇であり、俳優の方々には負荷のかかる挑戦に思いますが、実力十分の面々が揃ったようですね。

はい、ありがたいですね。一見とても抽象的に見える台本ですが、実はものすごく具体的に書かれていると私は思っていて。物事が同時多発で起こったり、各々で起こったりして、一人ひとりが各自でその事象をつなげていかなきゃいけないんですけど、それを一緒に積極的にやってくださる方々なので、すごく嬉しいし、楽しいです。

――最初におっしゃっていたように、俳優さんが立って見せていくことで、戯曲に書かれていることがより明確になっていっている実感はありますか?

そうですね。翻訳家の小田島創志さんも一緒に入って考えてくださるので、いろいろ見えて来たことがあります。ただワンシーンずつ、こういう物語が立ちあがってくればいいな〜と思って稽古を進めていくと、これって理解出来るかな? 面白いのかな!?って疑問が湧いてきたりして(笑)。そのまんまやっていけば、私にはすごく面白い気がする! でも私たまにマニアックだからな……とか思って、隣にいる演出助手の方に「面白いですか?」って聞きながら稽古しています(笑)。

やっぱり他者とどう向き合うか、そして、それぞれ皆、違うということがとても大事だと思うんです。同一民族だろうと、同一の宗教の中にいようと、どんなカテゴリーにいようと、人それぞれ、違うのが当たり前で、違っていいんだよと。その中でどうコミュニケーションをとるか、もしくはどう一緒に存在するか、その難しさと、楽しさと、大切さと。答えには永遠にたどり着けないけれど、頑張って目指して行こうか……、つまりそういうことが書かれている作品だと思っていますね。

――SNSなどの文字だけのつながりじゃない、声を飛び交わせてつながろうとする人たちによる議論、正論、極論……、それらが目の前で展開するわけですね。

芝居の中で、ものすごく正論を言うんだけど、全然それが機能していなかったり(笑)。会話しているようで全然していない!とか、議論じゃなくマウンティングで勝とうとしているんだな、とか。私たちの日常でも、意外と見かける光景もあって面白いです。そうそう、こういう側面ってあるよね〜と、象徴化されたドキュメンタリーみたいな感覚もあるかなと。会議室で現代人たちが話し合うという、ものすごく地続きな台本なので、あ〜私もこんなことやってるな〜とか、これはちょっと痛いな〜と、私自身もそういうふうに感じているんですね。その感覚をお客様にちゃんとシェア出来るように、作り上げていきたいと思っています。

――語られるたくさんの物語が人と人のあいだでどう作用するのか、楽しみに目撃したいと思います。

他者の存在について、とても温かい目で書かれている作品です。実はちょっとイヤなヤツも出て来ちゃうんですけど(笑)、アニー・ベイカーさんはそうした人たちのこともすごく愛おしく書いている。そういう意味でコメディなんですね。自分以外の存在であり、立場も考え方も違うと理解するのもやや難しい他者と、どう出会って、どう一緒にいるか。そのことをもう1回、愛を持って探究するために書かれた本だと思います。物語とは、別に小説という意味だけじゃない、テレビドラマでも演劇でも、映画でもゲームでも、音楽でも何でも……。他者と存在する時、物語の存在がいかに不可欠か、そのことを改めて考えるような、そんな舞台にしたいと思っています。



取材・文:上野紀子 撮影:藤田亜弓



★『アンチポデス』と5月公演『ロビー・ヒーロー』、6月公演『貴婦人の来訪』の新国立劇場の演劇「シリーズ 声」演劇3作品通し券発売中!(4月3日まで、3作品通し券特典あり)

新国立劇場の演劇『アンチポデス』チケット情報
https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b2297522

小川絵梨子