(清永 健一:展示会営業コンサルタント中小企業診断士

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 比叡山延暦寺、妙心寺、二条城など誰もが知る歴史的建造物のシロアリ駆除を任されている企業が京都にある。山下元信氏が社長を務める社員5人の会社、株式会社トラスト京都市南区)だ。

 殺虫剤を散布せずにシロアリを防除する「セントリコン」という新手法を、日本でいち早く取り入れた。2019年にはシロアリ誘導装置に関する特許も取得。神社仏閣だけでなく一般家庭にも注力し、一般顧客数を直近の7年間で200世帯から400世帯に倍増させるなど業容を順調に拡大している。

 なぜ、延暦寺などの錚々たる神社仏閣が、わずか5人の中小企業にシロアリ駆除・防除を依頼するのだろうか。社長の山下氏の答えはこうだ。「シロアリを無駄に殺さないからです」

 一瞬、脳が揺れたが、次の言葉を聞いて納得した。「お寺なので、むやみに殺生したくないという意識を持っておられるんです」。

 セントリコンという手法は、従来の殺虫剤散布と比べて、死ぬシロアリの量が少ない。そのため、殺虫剤による環境汚染の危険性がない施工方法は、延暦寺などの寺院の他にも、環境意識の高い京都市が管轄する二条城でも採用されている。

 セントリコンとは、シロアリの習性を利用し、巣ごと根絶させるシロアリ防除法のことだ。以下のような流れで実施する。

1.シロアリが好むように配合された薬剤入りのステーションを設置する。
2.餌を探し続ける習性を持つ働きアリがステーションを見つけ出し、薬剤を餌と勘違いし、仲間がいる巣へと運び込む。
3.運ばれてきた餌が薬剤だと知らず、仲間から仲間へ行き渡りシロアリが死んでいく。
4.まず先に死ぬのは働きアリなので、自分で餌を取ることができないシロアリたちは餓死する。そして、女王アリを含むシロアリの巣が根絶する。

 従来の方法である建物の軒下への薬剤散布は、生き残ったシロアリが増殖し、それを残留している殺虫剤で処理し続ける。一方、セントリコンはシロアリを巣から根絶するので、殺すシロアリを最小限にできる。しかも、そもそも薬剤を散布しないので環境にやさしく、建物へのダメージもない。

国宝級の神社仏閣を顧客にした手法

 なぜトラストは国宝級の神社仏閣を顧客にすることができたのだろうか。その決め手となったのは、実施前の詳細なレポートと、アフターメンテナンスだ。例えば、延暦寺のケースである。

 比叡山中にはお堂など200もの宗教建築物がある。延暦寺は、そのすべてにシロアリ防除対策を施すと莫大な費用になってしまうことに悩んでいた。

 それに対して、シロアリの習性を熟知する山下氏は、どの院・お堂のリスクが高いのか、どの院・お堂を優先して対策すべきなのかを記載した写真付きレポートを作成、提出した。このレポートが、延暦寺でシロアリ対策の業者選定稟議を通すのに大きな威力を発揮した。

 延暦寺の担当者は「自分が担当でいる間のシロアリ防除は、トラスト以外考えられない」と語る。

 自前の調査リポートに加えて、トラストのもう一つの特徴は、毎年のメンテナンスを丁寧に行う点だ。

 山下氏は「大切な建物や住宅をもう二度とシロアリ被害にあわせたくない」という強い思いを持ち、毎年のメンテナンスにもシロアリの知見を生かしている。売りっぱなしにしないトラストの姿勢が顧客に伝わり、信頼関係を強め収益を安定させているのだ。

社長はシロアリの気持ちがわかる虫マニア

 社長の山下氏は無類の虫好き。幼いころから虫が大好きで40年以上虫を観察し続けている。いつのころからか、虫の触覚のちょっとした挙動から、怖がっているか、喜んでいるか、虫の気持ちがわかるようになった。

 シロアリは危険に気づくと大げさに防御する傾向がある。だからシロアリに防除の仕掛けを危険だと思わせてはいけない。シロアリが危険だと思えば、仲間に「この場所からは離れた方がいいぞ」と大げさに伝え、危機を回避する。

 ところが、そんなシロアリも、いくつかの条件下で特定の餌を与えると、恐怖を忘れ、危険を顧みずに餌を貪り食うようになるという。

 山下氏は、そうしたシロアリの感情や習性を観察し、独自のシロアリ誘導装置「シロアリ絆創膏」を開発した(特許取得済)。シロアリが今まさに食べている箇所に「シロアリ絆創膏」をつけると、近くにいるシロアリが数日以内にすべて絆創膏に集まるため、被害の進行をストップさせることができる。

 シロアリの巣に仕掛けるセントリコンでシロアリを根絶することができるが、施工開始から家屋木材を食べなくなるまでにはタイムラグがある。シロアリ絆創膏は、このタイムラグ期間中の被害の進行を抑えるための装置である。

 今では、ユーザーや工務店からの問い合わせが絶えない。一般家庭客の数は、山下氏の社長就任時から倍増、400世帯に達している。

社長になって知ったシロアリ駆除業界のネガティブイメージ

 トラストは、もともとは山下氏の父親が創業した会社だ。しかし、山下氏は、会社を継ぐつもりは、まったくなかった。実際、山下氏は大学時代のアルバイトから始まり、下積み8年を経て10年間コンビニエンスストアオーナー経営者だった。

 コンビニ経営を仕事に選んだ理由は、「虫を見るのも好きだが、人間観察も好き。コンビニなら朝から晩まで人間観察できる。コンビニほど人間模様が見えやすい場はない」から。山下氏はとにかく観察が好きなのだ。

 このコンビニでの経験が、後にトラストでの業務に生きることになる。

 転機は、父親が脳梗塞で倒れたことだ。好きだったコンビニ経営を辞めることには迷いはあったが、その2年後の2014年、38歳で山下氏はトラストを引き継いで社長になる。

 その社長就任直後が最も苦しかったと山下氏は語る。

 未練のあったコンビニを手放し、山下氏がトラストの社長を引き継いだ時には、同社には社長不在状態になってから2年が経っていた。この2年の間、既存顧客との関係が薄れ、新規顧客との接点も作れていなかった。山下氏の父親が30年、培ってきた会社としての信頼やブランドが毀損していた。

 さらに、社長になってわかったのは、この業界の悪しき慣習だった。例えば、「無料診断と称して宅内に上がり込み強引な営業をする」「床下の状態をひどく言って不安をあおる」「売り逃げする。施工後、シロアリ被害が再発しても無視する」などといった慣習である。

 こうした業界を変えようと客先を訪問しても、業界のイメージから問答無用で怒鳴られることが何度もあった。このように、山下氏のトラスト社長としての仕事は、業界を代表しての謝罪行脚から始まった。コンビニという異業種から来た山下氏には驚きだった。

信頼回復につながったコンビニでの「お叱り」体験

 新社長として自社の経営改革と業界イメージの刷新に苦戦した山下氏は、専門書を読み、研究会に足を運ぶなどして糸口を探った。そして、山下氏は、防虫の専門家である奥村敏夫と出会う。奥村は、殺虫剤の設計まで担っている業界の大先輩である。

 奥村も無類の虫好きで、「同好の士」として意気投合した山下氏は、奥村からシロアリの習性などについて多くの知見を得る。奥村からの教えもあり、趣味としての「虫博士」が、シロアリの専門家に脱皮したのだ。

 そして、山下氏は専門知識を基に、顧客に根気強く説明した。時には、説明だけのために同じ顧客に3日続けて訪問することもあった。さらに、施工後の定期点検とメンテナンスのレベルアップを続け、売って終わりにするのではなく、責任を持って対応する姿勢を示した。

 こうした取り組みにより、山下氏は顧客との関係修復に成功し始める。

 顧客も、怒りたくて怒っているわけではない。以前、シロアリ被害を受けた実体験による不安が怒りに転じている。だとすれば、将来への不安が解消すれば怒りは収まる。専門知識に基づき、理路整然と、今後のシロアリ防除対策方針を説明する山下氏の話に、耳を傾ける顧客が増えていった。

 この時に役に立ったのが、コンビニオーナーとしての経験だ。山下氏はコンビニ時代、頻繁にトラブル対応を経験していた。

 山下氏の経営していたコンビニのスタッフは、主に学生アルバイトだった。学生アルバイトは卒業と同時に辞める。辞めると、新人を雇う。新人にはミスもある。ミスすると顧客とトラブルになる。コンビニ業務の複雑化もあり、顧客とのトラブルは避けられない。

 トラブルへの対応は正攻法しかない。誠心誠意、謝罪した上で、今後どうしていくのかをきちんと伝える。山下氏はそれを身をもって知っていた。

 この経験が、顧客が不安を持ちがちなシロアリ対策の業界で生きた。

「点検に来てくれるけれど頼りないし、もともと被害があった箇所、本当に駆除できているの?」「点検って誰にでもできるようなことをやっているだけなんじゃないの?ぼったくり?」

 顧客から、歯に衣着せぬ苦情を日々浴びせられたが、顧客の叫びに真摯に対応していくことで、山下氏の中にシロアリ被害の解決方法と、顧客からの生の声に応えたわかりやすい説明の仕方の「データベース」ができあがっていった。このデータベースを新たな顧客向けのチラシに反映することで、業容拡大にもつながった。

「独自の技術開発」「専門知識」「顧客とのコミュニケーション」。この3つを生かし、自社だけでなく業界のイメージ向上にも尽力している。

「慈悲」の心でシロアリ対策  

 不幸にして、シロアリの被害にあった人は、自分の大切な家を台無しにするシロアリを強く憎んでいる。

「シロアリが憎い!ぶっ殺してやる!」

 こんな物騒な言い方をする人もいるそうだ。

 そんな人も、山下氏やトラストの社員から「むやみな殺生をしないシロアリ駆除」の説明を受けると、気持ちが落ち着き穏やかな表情になる。そういう人を増やしていくことが山下氏の願いだ。国宝・世界遺産の建築物からの信頼も、そうした山下氏の「慈悲」の思いに共感してのことだと思えた。

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