「苦情ばっかり言っていると、男の人が3~4人来て精神科病院に連れていかれちゃうよ」30代シングルマザーを襲った悪夢のような“強制入院”体験 から続く

 精神科病院での身体拘束は、他に方法がないと精神保健指定医が認めた場合のみ、例外的に行うことができるとされている。しかし、日本の精神医療における身体拘束率は近年倍増しており、世界的に見ても著しく高い。

 摂食障害を理由に精神科病院に入院した武田さんは、“地獄”のような身体拘束生活を経験した。のちに病院に対して損害賠償を求める裁判を起こすが、病院側は次のように主張している。

「拘束を中止したら、(点滴の)自己抜去や自殺企図、自傷行為の恐れ、安静を守れず過活動や運動もあると判断した。身体拘束以外に代替方法はなく、継続が必要だった」

 しかし、武田さんの当時の体重は生命に危険が及ぶ恐れのある数字ではなく、入院中の食事も経口摂取できていた。点滴抜去の防止のために拘束以外の代替手段を検討した形跡もなかったという。

 ここでは、「東洋経済オンライン」が日本の精神医療の闇に迫った『ルポ・収容所列島』より一部を抜粋。当時14歳だった武田さんが経験した壮絶な状況について紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

◆◆◆

14歳の少女が体験した地獄

「かゆいときも自分ではかけず、寝返りもいっさい打てません。一度大嫌いなクモが天井から降りてきたことがあり、動かせない顔の数センチ横に落ちましたが、どうにもできませんでした。身体拘束された77日間で、『死』よりも『いつ地獄が終わるのかわからない生』のほうが、とてつもなく恐ろしいと知りました」

 14歳のときに摂食障害(拒食症)で都内の総合病院の精神科に入院し、77日間にわたり身体拘束された武田美里さん(27歳)は当時の経験をそう振り返る。

 武田さんは中学2年の冬からダイエットを始めた。

「始めたきっかけは単純で、学校の友達に『思ったより体重あるんだね』と言われたという、ささいなことでした」

 完璧主義者だった武田さんは、ほんの少しでも体重が増えると摂取カロリーを過度に抑えるような食事制限を自らに課していた。

 生理がなくなったりふらついたりする状態を心配した両親とともに、中学3年の春となる2008年5月にこの病院を受診し、入院した。

「医学知識はありませんでしたが、拒食症という病気であるならば治さなければならないと思い、また開放病棟での任意入院と聞き安心し、入院にも納得していました」

 受診後、入院するまでの数日間、武田さんはどこかで入院生活を楽しみにしている自分もいたと話す。

「いままで病気らしい病気になったことがなかった自分に病名がつき、皆が自分の体を心配してくれることがうれしくすらありました。入院中、友達に手紙を書きたいし、家族の面会も楽しみ、同じ病室・病棟の子と仲良くできたらいいな、などと考えていました」

 ところが入院当日、そうした浮かれた考えは一気に打ち砕かれた。案内されたのは病棟の奥にある、ベッドとポータブルトイレだけがある、無機質な独房のような隔離室だった。

制約ばかりの中、たった一つだけ許されたのは…

 鉄格子のついた窓の外はつねに日陰で、その日の天気もわからなかった。

「両親は『頑張ってね』と泣いて私を見送りましたが、私も両親もまさか次にお互いの顔を見ることができるのが、約4カ月半も先になるとは想像もしていませんでした」

 入院にあたって、まず行われたのが持ち物検査だ。眉をそるためのカミソリはおろか、携帯電話や音楽を聴くためのiPod、書籍や筆記用具、コンタクトレンズまで持ち込みが許されなかった。一つひとつ選んで持ってきた大切なぬいぐるみは手乗りサイズ1つを残し、すべて持ち帰りが命じられた。

 入院後、武田さんが主治医からきつく課されたのが、ベッド上に寝たままで勝手に動かない(床上安静)ということだ。ベッドサイドに腰掛けることも認められない。

 また個室内の衝立のないポータブルトイレすら勝手に使うことが許されず、看護師の許可を得て利用し使用後確認させることが求められた。

 つまり武田さんに許された自由は、個室のベッドの上で横になり、小さなぬいぐるみをひたすらなでることだけだった。

 同じく主治医からは、出された普通食を3分の2以上平らげることを厳しく求められた。

 しかも病院ではそれまで胃が受け付けないと避けていた、天丼やカレーなど重い食事が頻繁に提供された。揚げ物の衣の油がきつく、できれば食べたくなかったが、そうできないのには訳があった。

主治医との最初の面談で、3分の2以上食べなければ、鼻から胃に直接栄養をいれる『経鼻胃管』に切り替えると告げられており、胃もたれに苦しみながら必死で食べ続けました」

 テレビも読書も音楽も禁止され、両親や友人との面会はおろか手紙や伝言も許されないなど、外界とつながりが隔絶された日々に、武田さんの病院と主治医への不信感は高まっていった。

 入院から約1週間後、武田さんは両親に会いたいとの懇願を看護師にあしらわれると、一連の処遇への不満から点滴を自己抜去した。駆けつけた主治医に、彼女は思いの丈をぶつけた。

訴えもむなしく、非情な医師の答えは…

「ほかの精神科へ転院させてください。それが無理なら小児科病棟に移してください」

 主治医に却下されると、最後の希望をかけて訴えた。

「私は任意入院だと聞いています。権利があるはずなので退院して自宅に帰ります」

 そのとき、武田さんに主治医から非情な一言が告げられた。

「ああ、いまから医療保護入院になるから、それは無理だよ」

 医療保護入院は精神科特有の入院制度で、本人が拒絶しても、家族など1人の同意に加え、1人の精神保健指定医の診断があれば強制入院させられる。

 武田さんの両親は入院時に主治医から求められて、あらかじめ同意をさせられていた。

「もういいかな? じゃあやっておいて」

 主治医が手慣れた様子で言い放つと、4人の看護師が病室に入ってきた。

看護師が手足を押さえつけ、手際よく柔道着の帯のような平たい頑丈なひもを私の体に巻き付け、ベッドの柵の下側に結んでいきました」

 両手、両足、肩の身体拘束が終わると、次に鼻の穴から、経鼻胃管のチューブが挿管された。チューブは胃カメラのときに入れるものよりも太くて固い。それが常時入れられたままになる。

「経鼻胃管をされると、24時間ずっと鼻とのどに食べ物や飲み物が詰まっているような、何ともいえない違和感があります。例えるなら、柱がのどに突き刺さっているような感覚です。とにかく、苦くて痛い、そして苦しくかゆいとしか言いようがありません」

意識が鮮明ゆえの「極限の地獄」

 排尿は、尿道バルーンが自動的に尿を吸い出す形で行われた。拘束が外れた後も筋力が回復して自力でトイレに行けるようになるまで、2カ月半ほど付け続けた。

「経鼻胃管の痛みと違和感が強すぎて、尿道バルーンの痛みや違和感はそこまで記憶していません。ただ、恥ずかしさはとても大きかったです」

 より恥ずかしかったのは排便だ。おむつを着けさせられたうえ、排便時にはナースコールをして看護師おむつを脱がされ、お尻とベッドの間にちり取りの形をした「おまる」を入れられ、そこにしなければならなかった。

「排便時もおなかに1枚タオルをかけてくれたぐらいしか、プライバシーへの配慮はありませんでした。3日に1回お通じがなければ浣腸され、無理やり排便させられました。恥ずかしいし情けないし、思い出したくない経験です」

 当然のことながら、摂食障害で入院した武田さんは意識も鮮明で、はっきりと意思の疎通もでき、もちろん幻覚を見たり幻聴を聞いたりすることもなかった。

「意識が完全にクリアな中でされる身体拘束や経鼻胃管、尿道バルーンの経験は、まさに極限の地獄でした」

(風間 直樹,井艸 恵美,辻 麻梨子)

©iStock.com