(在ロンドン国際ジャーナリスト・木村正人)

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ロンドン発]ロシアによるウクライナ侵攻によって引き起こされたパワーバランスの変化を、われわれはもしかすると過小評価しているのかもしれない。

「私たちは第二次大戦が始まる前年の1938年にいるという大局を認識すべきだ。ロシア軍ウクライナ侵攻は米中の大国関係が新しい段階に入ったことを物語る。イギリスは範を示すため国防費を国内総生産(GDP)の3%(現在2.25%)に引き上げよ」

 英陸軍出身で予備役(中佐)のトビアス・エルウッド英下院国防委員会委員長はこう警鐘を鳴らしている。

NATOの中で国防費がGDPの3%越えはギリシャとアメリカのみ

 NATO加盟国で国防費がGDPの3%を上回るのはギリシャとアメリカの2カ国。このほかNATOの2%目標を達成しているのはポーランドイギリスクロアチアエストニアラトビアリトアニアの6カ国だけだ。フランスは1.9%、イタリアドイツ各1.5%、スペインは1%にとどまる。ドイツは2%達成のため1000億ユーロの国防予算を宣言した。

 しかしロシア軍の攻勢がウクライナ東部、南部に集中して強化される中、ロシア産原油・天然ガスに依存するフランスドイツは再び宥和主義に走る気配を漂わせる。アメリカとの「特別な関係」を保つイギリスはどう動くべきか。エルウッド氏が英シンクタンク「王立防衛安全保障研究所」(RUSI)のZOOM討論で語った考えは示唆に富んでいた。

 日本にとっても他人事ではない。米中逆転が刻々と迫る中、台湾、東シナ海の尖閣諸島、南シナ海での中国の圧力、北朝鮮の核・ミサイルの脅威に直面している。アメリカの同盟国・日本は、ユーラシア大陸の対極に位置するイギリスの動きを注視する必要がある。

「軍事力の有用性を検討する勇気を」

 エルウッド氏はまずこう切り出した。

「欧州は再び戦争で荒廃している。私たちの生き方を守るために軍事力の有用性を検討する勇気を呼び起こさなければならない。ウクライナ戦争は世界の安全保障がいかに急速に悪化するかを示す警鐘である。と同時に、自己満足に浸り、自分たちの価値を守るための投資を怠るとどうなるかという警告でもある」

 エルウッド氏は昨年11月、ロシアの戦闘部隊がウクライナ国境付近に集結したことに対して、北大西洋条約機構(NATO)の1個師団をウクライナに派遣させるよう要求した。しかし即座に却下された。

「もし派遣されていたら侵略を抑止できていたかもしれない。軍隊をウクライナに派遣しないという決断はいくつかの教訓を与えてくれた」

 この時、NATOを統治する政治指導者の多くがいかにリスクを避けるようになっているかをエルウッド氏は痛感した。「核戦争を引き起こしたくない」「第三次大戦を起こしたくない。私たちはそれを望まない」というフレーズを何度聞かされたことか。情勢分析もお粗末だった。ウクライナ戦争の広い影響を評価できなかった、と自戒を込めて振り返る。

「戦争はウクライナだけの問題とみなされていたが、実際には欧州で原油・天然ガス価格が高騰し、イギリスでも食料価格が実に高くなった。私たちの臆病、ためらいをウラジーミル・プーチン大統領に利用された」

 一方で、領土を守るために立ち上がったウクライナ国民の意志について、プーチン氏も評価を完全に誤った。

「しかし西側がウクライナを直接支援する気概を見せることにどれだけおびえているかという点で彼は的確に判断していた。私たちはプーチン氏にウクライナに侵攻しても罰せられないというゴーサインを与えた責めの一部を負う。キーウ近郊のブチャや南東部の港湾都市マリウポリなどでの大量虐殺、戦争犯罪、ジェノサイドにつながった」

 この事態を受け、イギリスをはじめ東欧諸国、バルト三国などNATOのいくつかの加盟国は集団的なためらいから脱却しつつある。ウクライナへの武器供与も範囲を広げて強化している。

「ロシア軍が撤退すれば戦争はさらに暗い章に突入する」

 エルウッド氏はこう続ける。

「西側はウクライナが戦争に負けないよう支援しているが、彼らの勝利を確実にするのに十分なことはできていない。ポーランドによる旧ソ連戦闘機ミグ29供与の提案がよい例だが、いくつかの加盟国が先陣を切ってNATOの集団的なためらいを打破すべきだ。イギリス装甲車を送ることを検討しているが、NATOの枠外だ」

 エルウッド氏は、西側はもっと本腰を入れてウクライナを支援しなければならないと言う。

「私たちがなすべきことは有志連合を作ることだ。時間はなくなってきている。ロシア軍が撤退すれば戦争はさらに暗い章に突入する」

 ロシア軍は部隊を再編成して東部戦線を強化している。黒海に面した南西部の港湾都市オデーサオデッサ)侵攻を準備している可能性がある。オデーサが落ちればウクライナ陸の孤島となり、穀物を輸出できなくなるだろう。

「そうすればプーチン氏は自国民に勝利宣言できる。ロシアの脅威はさらに拡大し、数年先まで続くだろう。これを防ぐにはウクライナが確実に武器を受け取って紛争の行方を決められるようにすることだ。私たちはウクライナから世界への穀物供給を確保するためにNATOの海上部隊にオデーサの港を守らせることもできるはずだ」

 NATOの海上部隊を派遣することは、プーチン氏とクレムリン、ロシア国民に対して、マリウポリの戦いのような惨状はオデーサでは繰り返させないという明確なメッセージを送ることになる。西側がウクライナ支援を強化していることを示すこともできる。

 しかしエルウッド氏は声を落として言った。「正直に言おう。これはおそらく実現しない」と。

 クリミア戦争(1853~56年)では英仏とオスマン帝国とが手を組んだため、英仏艦隊は黒海に自由に出入りしてロシア軍を撃破できた。しかし今回トルコは、黒海が戦場になるのを恐れてNATO加盟国の艦艇の通航を拒否している。トルコも原油・天然ガスのロシア依存国なのだ。マリウポリ陥落が目前に迫った今、オデーサが次の標的になるのはほぼ間違いない。

「トゥキディデスの罠」の5つのフェーズ

「NATOのイェンス・ストルテンベルグ事務総長がこの戦争は何年も長引く恐れがあることに同意した。私たちは本当にそうなることを認めているのか。イギリスの国防予算はGDPの2%に制限され、ステルス戦闘機F35、戦車、装甲戦闘車、艦艇、兵員1万人が削減される。私たちは目の前の現実から逃避している」とエルウッド氏は語気を強めた。

「私たちは第二次大戦が勃発する前の年にいるという軍事的、政治的、精神的な心構えができていない。現在の状況は1938年よりさらに悪い」

 エルウッド氏は「トゥキディデスの罠」を例に挙げて説明した。米政治学者グレアム・アリソン氏が米中を念頭に、歴史的に新旧のパワーが逆転する時、戦争が起きるリスクが増すと指摘した「罠」だ。

 エルウッド氏によると、中国は軍事的、経済的、技術的なアメリカの世界支配に挑戦している。「トゥキディデスの罠」は5つのフェーズに分かれる。まず、新しく台頭した勢力が現在の支配勢力と争い、追い越すというプロセスだ。米中間では1990年代から始まり、21世紀は中国の時代になりつつある。

 第2段階では、古い大国がこれに対抗する戦略をまだ確立しておらず、新しい大国の行動を批判し始める混乱の時代。周りの国はどちらにつくか迫られる。ドナルド・トランプ前米大統領には戦略がなかった。第3段階ではより敵対的で攻撃的な行動が始まり、第4段階で新大国が旧大国に直接または代理勢力を使って挑む嵐の時代に突入する。

 最後の第5段階では勝利者の書いた条約により新秩序が確定される。ウクライナは第3段階の始まりという。

「多くの人がウクライナは中国と何の関係があるのかと尋ねるかもしれないが、私はすべてだと答える。プーチン氏は中国の支持がなければ冒険主義に走ることはなかった。物事の行く末を議論するため北京冬季五輪に参加したのだ」

聖域なき中露関係

 ロシアと中国には歴史的な相違点がある。領土を巡って争った過去もある。マルクス主義の解釈も異なった。「しかしそれは何十年も前のことだ」とエルウッド氏は言う。北京冬季五輪の開会式に合わせた中露共同声明では中露の相互信頼に上限はなく、戦略的協力に禁じられた領域もなく、長年の友情はどこまでも進むことが高らかに謳われた。

「いまモスクワと北京のエリートの立場に立って考えると、西側はより多くの民主主義、透明性、説明責任を求めていると認識するだろう。西側は静かに政権交代することを求めている。そしてモスクワや北京の現政権が権力を失い、一般市民に分散することを望んでいる、と。だから中露両国は長い間、西側、特にアメリカの支配を嫌ってきたのだ」

 エルウッド氏は続ける。

「彼らは西側の影響力が弱まることを望んでおり、法の支配に基づく国際秩序について全く異なる解釈をしようとしている。中露関係はウクライナ問題とすべて関係している。プーチン氏も中国の習近平国家主席も自分のレガシー(政治的遺産)を残そうとしている」

 中国はより多くの原油・天然ガス、武器を必要としている。ロシアも欧州など西側諸国に代わる新しい市場を求めている。しかし中露関係は対称的なものではない。中国が支配的なパートナーになるのは明らかだ。これはプーチン氏が自由や民主主義、人権という西側の価値観を排するために支払う代償だ。

「二国間貿易や軍事協力を強化する一方で、核兵器国際宇宙ステーションの開発など、あらゆる分野で中露は結束を強めている。中国は自由主義的世界秩序を解体するための戦略的パートナーとロシアをみている。中国はウクライナ戦争を利用してアメリカの必然的な衰退を促し、プーチン氏が欧州で拡張主義に走ることを歓迎している」

「世界は再び侵略の時代に戻った」

 習氏がプーチン氏のウクライナ侵攻を容認したのは、自国の拡張的な野心から国際社会の目をそらすことができるからだとエルウッド氏は指摘する。

「米欧の勢力をインド太平洋と欧州に分散できる。アメリカは、自国の価値観に合致した国際的なルールに基づく秩序の強化に失敗しただけでなく、アフガニスタン撤退が物語るように軍事力を世界に展開する力が弱まっている。中国とロシアから見れば今がギアを上げるべき明らかなタイミングだ」

 このプリズムを通して見た場合、ウクライナだけの問題にとどまらないことが浮かび上がる。ウクライナで起きていることの成否は地政学的に大きな影響を及ぼす。米欧は結束してプーチン氏の野望を封じ込めることができるのか、それとも危険な時代の再来を象徴するものになるか。

「世界は再び国家間の侵略の時代に戻った。私は間違っているかもしれないし、『トゥキディデスの罠』の第3段階でもないのかもしれない。しかし今起きていることをみると、イギリスが果たすべき役割は西側のためらいを払拭するため範を示すことだ。まずは国防費をGDPの3%に引き上げることから始めなければならない」

 エルウッド氏は最後にそう力を込めた。

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