(立花 志音:在韓ライター)
「お母さん、日本と韓国の差がはっきりと分かったよ。」
月曜日の夜10時、塾から帰ってきた息子が食卓に宿題を広げながら話し始めた。この会話のスタイルは、もはや我が家の定番である。
「ねぇ、簡単に食べられるものがないから、うどんでもいい?」
筆者は台所の後片付けをしながら、冷蔵庫をのぞき込んで夜食の材料を探していた。
「うどんでもラーメンでもスパゲッティでもなんでもいいけど、今の話聞いてた??」
しまった。筆者は息子の話を聞いていなかったわけではない。日々の生活に追われていると、子供との会話の返答が、おざなりになることがある。子供たちはそれを見逃さない。
「ごめん。ごめん。ちゃんと聞いてたよ。それで韓国と日本の違いは何?」
息子が見たのは4月14日付の朝鮮日報の記事と、それに対するコメントだった。
ウクライナのゼレンスキー大統領のオンライン演説が国会図書館の地下講堂で行われたが、参加したのは国会議員300人のうち50人前後だったという。そのうえ、議員たちの中には、スマホをいじったり、居眠りしていたりする人までいて、演説が終わっても拍手する人もいなかった。
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その様子を見たロシア・ウラジオストクにある極東連邦大学で国際関係を教えるアルチョム・ルーキン教授は、「アジアがウクライナに関心を持っていないというもう一つの証拠」とツイートし、「日本は例外」と書いたそうだ。
教授は前日にも、「韓国は米国の圧力によって反ロシア制裁に参加し、ゼレンスキーが議会で演説することを決めた。それにもかかわらず韓国はウクライナに武器を供給する意思がない」と書き込まれたとある。
息子は米国や日本の国会議員はゼレンスキー大統領の話を真剣に聞いて演説が終わると起立して拍手を送った、という記事を見て、自国の韓国を情けなく思ったようだ。
歴史的に国際情勢に関心を示さない韓国
前日のカレーの残りにめんつゆを加えてカレーうどんを作りながら、筆者は息子の話を黙って聞いていた。
「ねえ、さっきから僕の話、聞いてるの?うどん、まだ?」
カレーの美味しそうなにおいに空腹感も増大したのだろう。イライラしながら、食卓から立ち上がってやって来た。
「これは難しい問題なのよ、ママはできれば、日本にも韓国にもウクライナ情勢にはあんまり関わってほしくなかったな。何が良いか悪いかという判断はあえてしないけど、とりあえず韓国が『破壊兵器の支援はできない』という判断をしたことには賛成。はい、熱いから気をつけてね。」
うどんをどんぶりに移しながら息子に渡した。
ウクライナ情勢に関する筆者の考えはここでは割愛するとして、韓国という国は昔から、周辺国家の情勢にあまり関心を示したことはない。
それは100年以上前から全くと言っていいほど変わっていない。
作家司馬遼太郎の歴史小説「坂の上の雲」の時代、日本は凍らない港を求めて南下するロシアに脅威を感じていた。同時に、当時の清もロシアがシベリア鉄道の建設を始め、東アジアに進出してくることが脅威だった。そのため、日本も清も朝鮮半島だけは思いのままにしたかった。
しかし、朝鮮は昔から厄介な国だった。当時、朝鮮に対して日本は開国を迫った。日本が米国にされたように。開国後の朝鮮半島では、おのずと幕末の日本と同じように、開国派と反対派に分かれて争いが起こる。そして、それはやはり政局争いへとシフトしていくのだ。
それを鎮圧しようとした清と日本の関係が悪くなっていくのは当然のことだ。朝鮮は清の属国だったのだから。
腹にすえかねた高宗のアホさ加減
日本は朝鮮に、独立した国家としてロシア南下を防ぐ役割をしてほしかったのだろう。ところが、朝鮮は日本が思っているような国家ではなかった。弱いものが強国につき従う事大主義的な考えが骨の髄までしみ込んでいた。
日清戦争で日本が清に勝ったことで、独立したのは良いものの、朝鮮は清という後ろ盾を失ったと考えた。小心者で軟弱な大韓帝国の初代王高宗は、おそらく不安で不安で仕方がなかったのだろう。
もっとも、日本の言うことは聞きたくない。自分たちより格下だと思っていた島国になど支配されるのはプライドが許さない。同時に、清の背後に見える大国イギリスも怖い。とっさにロシアにすり寄り、朝鮮の保護の対価として、こともあろうに不凍港を差し出したのだ。
日本は、韓国がこんな厄介で小賢しい国だとは思わなかっただろう。当時の朝鮮は、国際情勢と自国の立ち位置には全く関心がなく、自己保身しか考えていなかった。
そして、日露戦争に勝利した日本は、韓国の外交権を取り上げる。死ぬ思いでポーツマス条約を結んだのに、ロシアに渡されたくないものをこれ以上勝手に渡されては、たまったものではない。
これは1905年の第二次日韓協定の内容であり、朝鮮は日本の保護国となった。おそらく日本が見つめていたのは大国ロシアで、ロシアとの間に朝鮮半島があったから、面倒なこの国を相手にしなければならなかったのだろう。
ただ、自分はまだ一国の王であると主張したい高宗がおとなしくしているわけもなく、1907年、オランダのハーグで行われていた第2回万国平和会議に特使を派遣し、自分たちが日本に不法に侵略されていると訴える。
ハーグ密使事件である。この高宗の自己中心的かつ浅はかな思惑は国際社会から全く相手にされず、かえって日本の韓国支配が全世界に認知されてしまった。
その高宗のアホさ加減に日本はキレた。初代韓国統監だった伊藤博文は高宗を退位させて、第3次日韓条約を結んだ。日露戦争にも韓国併合にも慎重派だった伊藤が暗殺されたのちの、1910年に日韓併合となる。
過去の歴史に学ばない韓国の悲しき性
韓国の歴史の授業では、決してこのような話はしない。日本が一方的に、不法に韓国の主権を奪ったと教えている。自分たちは100%犠牲者で国際情勢は全く関係ない。
しかし、歴史には、様々な解釈と様々な議論があっていいはずだ。だいたい100%善と100%悪の対立構図など、昔も今もあるわけがない。
外国人として韓国に住み、韓国人と韓国文化に深く接してみると、筆者にはなんとなくこのような絵が見えてくるのだ。
現在の韓国の政治家や、北朝鮮の某リーダーを見ても、やっていることは100年以上たっても似たり寄ったりだ。
あくまでこれは筆者の解釈であるので、その点はご理解いただきたい。
国際情勢の把握能力は国益に直結する重要な問題だが、この国はその能力が根本的に欠落している。
朝鮮半島は昔から大国に挟まれ、他国の支配を受けながらもどうにかここまで生き延びてきた。苦しく悲しい歴史が多いこの国も、今となっては国際的にも一人前の主権国家で、先進国の仲間入りもしたと息巻いている。
しかし、全く過去の歴史に学んでいない。常に被害者意識と自信過剰の混合物を並べて国を動かし、それだけでなく世界中に吹聴して回っている。
これは韓国の問題なので、事件が起こった時は韓国が被害をこうむり韓国が責任を取ればいい話なのだが、いかんせん、この国は必ず周辺国家を巻き込む。そのとばっちりを受けるのは隣国である。
迷惑な話だが、日本は日本で振り回されず国益を守ってほしいと韓国の地から常に筆者は祈っている。伊藤博文も同じような気持ちで、この厄介な国に手出しをしてしまったことをあの世で後悔しているのかもしれない。
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