夢の猫腎臓病治療薬の誕生に向けて、愛猫家たちから3億円もの寄付が――。その期待を一身に背負うのが、フランススイス、アメリカで研究を重ねてきた免疫学者・宮崎徹教授である。

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 宮崎教授の研究の内容についてはこちらの記事(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/69807)を参照していただくとして、今回はその新たな研究基盤について報告したい。

 宮崎教授のもとに集まった寄付や応援は、各方面を「本気」にさせ、研究は大きく前進している。宮崎教授自身もさらに「本気」になった。

 たんぱく質の一種「AIM」による猫と人の創薬研究に加え、診断薬(検査で使われる薬)やサプリメントの開発、さらに基礎研究などをトータルで加速させるために、15年間勤めた東京大学大学院医学系研究科附属疾患生命工学センターを退任して一般社団法人「AIM医学研究所」(The Institute for AIM Medicine、略称:IAM)を設立したのだ。

 早速、「ウマ娘 プリティーダービー」や「グランブルーファンタジー」などで知られるゲーム会社のCygamesサイゲームス)がAIMネコ薬の開発研究の意義に賛同し、2022年度から23年度にかけて継続的に寄付を行うと発表した。AIM研究への期待と本気は広がりつつある。

「科学と文化は車の両輪」と話す宮崎教授の新しい研究所への想いや、現在の日本における科学研究について、「本気」の話を聞いた。

「研究者は芸術家に似ている」

――いよいよ4月からAIM医学研究所が始動します。

宮崎徹氏(以下、宮崎) 有難いことに、東京大学でともに研究していた学生やスタッフも、全員が付いてきてくれたので、アクティビティを落とすことなくシームレスで研究を継続できます。

 私は1995年から5年間、スイスのバーゼル免疫学研究所にいて、そこは30~40歳の若手研究者が40人程、一人ひとりがインディペンダントとして集まり、それぞれが小さな研究室を持ち潤沢な研究費に給料も出て、免疫に関することなら思い通りになんでもやっていいという理想的な環境でした。大手製薬企業が財政支援をしていましたが研究所は完全に独立しており、研究成果も企業とは関係なく「科学の発展は全世界の人々の幸せのため」というポリシーを貫いていた、今では考えられない研究のパラダイスでした。

 今の時代にあのような研究所を作りたいというのが、独立してAIM医学研究所を設立したモチベーションのひとつです。私が所長として全責任を取り、研究者たちが研究に没頭できるようにしていきます。

 基礎研究も創薬も息の長い仕事です。私は、研究者は芸術家と似ていて、日常の雑事にとらわれず、生活のことを気にすることなく没頭できてこそ、いい研究、いい作品ができると思っています。

 ヨーロッパやアメリカでも教えてきましたが、日本の学生は彼らにひけをとらず優秀です。アメリカの大学院生には給与があるのに、日本では経済的な理由で博士課程に進めない人も少なくないですし、奨学金があっても返済のことを考えると厳しい。

 残念ながら日本では、若い人がせっかく高いモチベーションを持っていても、研究に没頭することがなかなか難しいように思います。

 私はAIM医学研究所を設立することで、自分がバーゼル研究所で経験できたような環境を日本に作れるのだと見せたいのです。若い研究者が生活のことを心配せず、ひたすら興味ある研究に自由に打ち込める環境を作りたいと考えています。

――AIMの猫腎臓病治療薬には多くの人から寄付が集まりましたが、研究者を支え、科学が発展することに寄付者も携わると言えますね。

宮崎 もちろん、いただいた寄付はまず薬の開発に使わせていただきますが、そのためには若い研究者の協力、尽力がなければできませんから、彼らが安心して猫の薬に打ち込めるようにも有効に使わせていただきたいと思います。そのために、AIM医学研究所も引き続き応援していただければと思います。

 皆さんと一緒に作っていく薬であり、研究所です。ここから何人もノーベル賞学者が出たら、あの時寄付してくださった人たちと共に日本の科学が発展したのだと胸を張って言えるでしょう。

じっくり基礎研究に取り組む重要性

――つい、ここ数年で急に猫の夢の治療薬が出てきたように思いがちですが、実際には宮崎先生が20年以上、4カ国にわたって研究を続けられてきたからこそですよね。

宮崎 いまの日本では、3年、5年といった短いスパンで実用につながる成果を求められますから、じっくり基礎研究に取り組むのは難しいのです。私がAIM研究の最初の10年間、時間をかけてAIMの基礎的な研究に取り組めたのは、たまたまその時期に海外にいたからかもしれません。

 1999年にバーゼル免疫学研究所でAIMを発見してから、アメリカのテキサス大学でもほぼノーデータでしたから、もし日本でやっていたら諦めなければならなかったでしょう。もちろん10年かけてじっくり研究するというのは研究者自身の辛抱が続くかどうかにもかかってきます。

 やはり、一つの分子や生命現象の本当の声を聞く、真実を垣間見るには本当に時間がかかります。いかに諦めないで辛抱強く研究を続けられるか、これはとても大切なことではないでしょうか。

 20年経った今でもAIMにはゴミ掃除以外の働きがあるのではないかと考え始めたように、他のタンパク質でもこれまでわかっている成果以外に作用を持っているかもしれず、短期間で論文にまとめて成果を出さなければ次の研究費を得られないというシステムでは、狭い範囲での成果以外の大きな可能性を閉ざすかもしれません。

 もちろん、実用的な目的や目標とする応用研究も開発も大切ですし、医学ではその先に待っている患者さんたちがおられます。そのためにも、基礎研究の厚さは必要なので「成果が出なくてもしつこく続けろ、10年やってダメならさらに10年粘れ」と言えるような研究環境が作れたらいいのですが。

――薬や治療法が確かに効いて安全であるとか、速く安く行き渡るためには、科学的な根本の仕組みや作用を突き詰めることが欠かせないのですね。

宮崎 そうです。AIMを投与すればさまざまな病気に効くとわかっても、本当に細かい作用のメカニズムまできちんと研究せずに薬にする気はありませんでした。そうでないと、怪しげなもので終わってしまう可能性もありますし、何より使う人の安心を最大限に担保することが科学者としての義務であり、それが当然あるべき姿勢です。

 でも、一刻も早く困っている人たちに届けたいし、現場では「効果のあるお薬がじきに出来ますよ」と言って安心させたいと思うこともありパラドックスになる・・・けれども、患者さんたちの期待や不安を煽ってはならないと常に肝に銘じています。

タンパク創薬の発展にはハード面の整備が急務

――AIM医学研究所を設立されたことで、厚みのある基礎研究を含めた研究環境を民間で整備するロールモデルが作られると期待もされています。

宮崎 動物実験も含め、いわゆる生物学的な実験が十分できる施設で、しかも行政とのやり取りや会議、研究に使う機材や試薬の入手などに便利な首都圏にあるとなると、使える施設は非常に限られます。最終的に、新宿のTWIns(東京女子医科大学・早稲田大学連携先端生命医科学研究教育施設)内に広いスペースを貸借して研究所を開設しました。

 設立準備をしていて感じたのは、大学以外でこうした医学・生物学研究を大規模に行える施設は、特に首都圏内では、実はとても少ないことでした。

 新しく独立した研究所を作ろうとした際、さまざまな専門的な設備が必要になりますから、いちから建設したり所有したりするのは困難です。まずは既存の施設やレンタルスペースを使うことになりますから、条件を満たした施設が首都圏にもっとあれば、独立して研究所やベンチャーをやろうという人たちも増え、研究が推進されるのではないかと思います。

 私たちは新型コロナウイルスの治療薬研究もしていますが、そのためにはコロナウイルスに感染させた動物を使うことになるので、「BSL3」という2番目に高いレベルの実験施設が必要になります。しかし国内には3、4カ所しかなく、ほとんどすべては所属する大学の専用になっており、常に埋まっている状態で、なかなか満足に使えません。喫緊の課題でありながら、国によるハード面の整備が他の近隣諸国に比べても十分とは言えないように感じました。

 海外ではそうした施設を持っている民間業者が業務委託を請け負っていますが、日本国内にはまだありません。結局、私たちはカナダの大学と共同研究することにしましたが、スピード感をもって取り組みたいと思っても、AIMタンパク質などの研究試料を送るのも大変ですし、カナダで採取した動物の検体も検疫があるので送ってもらうこともたやすくありません。そんな時、実験施設や委託業者が国内にあれば・・・と歯がゆい思いを何回もしています。

 国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)にも何度か提案しましたが、科学の将来を見据えたハード面の整備は必要不可欠です。近隣の台湾や中国、韓国では免疫疾患等の治療に使われる抗体医療などのタンパク創薬のための施設作りを、ずっと以前から行政の主導のもと、システマティックに始めて、その後民間企業としてスピンアウトさせています。

 以前、猫AIM薬の開発の一部を台湾の受託会社と共同で開発しましたが、「国内にあればすぐに行って、直接日本語で細かいところまでやり取りができるのに」と何度も思いました。

新型コロナウイルス感染症とAIM創薬研究

――新型コロナウイルス感染症では、AIMはどのように使われる可能性があるのでしょうか。

宮崎 2005年にスペインの研究グループが「AIMが細菌に貼り付き、菌をまとめて固めて弱毒化する」という報告をしているのですが、もしも細菌よりも小さい新型コロナウイルスに同じような働きをするのであればウイルスそのものを標的にした薬になるかもしれません。

 また新型コロナの深刻な後遺症もわれわれが注目すべき分野です。腎機能の低下などは太い血管に、また味覚・嗅覚障害では細い血管にそれぞれトラブルが起きている可能性が考えられます。

 災害の後にがれきを取り除かなければ新しい家を建てられないように、感染による炎症が終息した後の体内も、老廃物や残骸のようなゴミを片付けられていないために小さな血管の修復がうまくいかないのかもしれません。初期に後遺症で注目された脳梗塞や急性腎不全は、本来、AIMの最大のターゲットですから、それが多く起きているということはAIMに何かあったという可能性もあります。

 もし、今AIMがすでに何かしらの疾患の薬として認可されていれば、すぐに治験を始めることができるので、新型コロナの後遺症で苦しむ人たちを見て、「ああ、これが薬になっていれば」と本当に思いました。このような予想外の世界的な疾患が起こった時のためにも、どんな病気に対する薬としてでもいいので、とにかく一刻も早くAIMを薬にしておかねばならない。そのためにも猫のAIM腎臓病治療薬の実現で得られる知見は、とても重要です。

「文化のないところに本物の科学は育たない」

――東大では著名な科学者や芸術家を招いた講演会やイベントを開催しておられたそうですが、これはどのような狙いがあってのことだったのでしょうか。また、同様の活動はAIM医学研究所でも行われる予定でしょうか。

宮崎 研究者には、若いうちから芸術や科学領域の超一流に触れてもらいたいと思っています。そのために東大では、ノーベル賞の受賞前の本庶佑先生や岸本忠三先生、ハーバード大やバーゼル大から知り合いの教授を招くなど一流の先生方に講演に来ていただき、学生や研修医を対象にしたセミナーシリーズをやっていました。どの先生も気軽に来てくださって、若い人には大好評でした。

 やはり若い人は、超一流に触れる前と後では大きく変わりますし、そういう機会に飢えているのだなと感じました。

 科学者だけではありません。2006年にはピアニストのクリスティアン・ツィメルマンを東大に招き、コンサートと対談を行いました。彼のような超一流の芸術家とも触れてほしいのです。人間の精神や自然の美、神秘といったものを音楽家は音楽の言葉で表し、科学者は科学の言葉で表すのですから、科学者の卵はきっと啓発されるところがあると思います。

 私がヨーロッパで研究しているときには、外に出ればコンサートホールやオペラ劇場、数々の美術館などさまざまな文化が身近にありました。ヨーロッパの科学は自然の深いところに切り込んで医学を紡ぎ出していく、血の通った自然科学だと常々感じるのですが、それは文化の深さが土台にあるからではないかと思うのです。科学と文化は車の両輪で、文化のないところに本当の科学は育たないのではないでしょうか。

 科学者の卵たちが一流の科学と文化の両方に接し、吸収していく機会を、AIM医学研究所でたくさん作ることができればと思っています。

*AIM治療薬は治験薬製造前の段階であり、現時点では治験の参加などは受け付けていない。

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