ロシア疲弊が北方領土奪還のチャンス

 ウクライナ侵攻までのウラジーミル・プーチン大統領は生きのいい北極熊ではなかっただろうか。

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 しかし、今や深手を負ったクマと化した。理不尽な侵攻で多大の国損をもたらしている大統領を国民はいつまで許すのだろうか。

 プーチン西側諸国の金融・経済制裁は全く影響を与えていないかのように語っている。しかし、家計を預かる主婦たちからは、物価の値上がりで困惑している声が聞こえてくる。

 金回りが悪くなって各種企業などの経営が行き詰まり、失業者が増えてくれば、暢気なことは言っておれなくなるに違いない。

 国民から怨嗟の声がふつふつと上がり、大統領を追い落とす動きも出てくるだろう。

 しかし、権力をなくしたら地獄が待っていると知っているプーチンがすんなりと椅子を明け渡すとは思えない。一波乱があるかもしれない。

 いま日本が注目すべきは、プーチンの運命ではない。

 ロシアの疲弊と北方領土を抱えておけない状況の到来である。その好機を見逃がしてはならない。

ロシアの経済的困窮

 ロシア2月24日ウクライナ侵攻を開始して以降の戦費を試算した欧州の調査研究機関は、3月上旬、人的被害の影響なども含めて1日当たりのコストが200億ドル(約2兆5000億円)超になるとはじき出した。

 米国の経済紙フォーブスは、3月中旬時点でウクライナ軍の情報に基づく兵器の損失額について、約51億ドル(約6400億円)と報じた。

 ロシアのショイグ国防相は3月25日ルシアノフ財務相と軍予算の増額について協議したとされる。

 ストックホルム国際平和研究所によると、ロシアの2020年の軍事費は約617億ドル、軍事費の国内総生産(GDP)に占める比率は4.3%で、米英に比しても高かった。

 報道されるコストには大きな開きがあるが、侵攻の戦費負担が軽くないことは確かである。ペスコフ露大統領報道官は、4月7日、「露軍に甚大な損失が出ている」と認めた。

 その後も戦闘は続いており、至近距離での戦闘を避け、人的損害の防止のために遠距離攻撃も可能なミサイルを多用する方向にある。

 高額のミサイル使用と、兵器の損失・補充で戦費は一段と嵩むことになる。

 欧米の対ロ経済制裁で外貨獲得が難しくなる中、戦費拡大はロシアの財政を直撃するとされる(「産経新聞令和4年4月10日付)。

 ロシアが2014年にクリミア半島を併合した時も、国際銀行間通信協会SWIFT)からの排除案が浮上した。当時のロシア財務相は損失としてGDP(国内総生産)が年5%縮小すると試算したという。

 今回は300行近くが加入する銀行の全部ではなく選択的に排除する方針(欧米の共同声明)であるが、主要銀行の多くが対象にされており、ロシア経済への影響は大きいとみられる。

 ロシア最大手の銀行などにはドル決済を封じる金融制裁がすでに発動されていたが、新たにSWIFTから排除されれば、あらゆる通貨の国際取引もできなくなる。

 制裁直後には通貨ルーブルや株式相場が急落し、米国のロシア専門家の間では国民生活への打撃がロシア国内の厭戦気分を高め、政権への圧力になると期待する声が上がっていた。

 しかし、なぜか急落がやむどころか元の水準に戻り、プーチンの強気な発言や強硬姿勢につながっていった。

 どんな手を使っているのか詳細は不明だが、監視されている中国はなかなか加担しにくいと思われる。

 大国を任じているプーチンにとっては「負けました」と簡単に白旗を挙げるわけにもいかない。

 ロシアの今年の経済成長率は10%超落ち込むと予測されている。その上、ウクライナ西側諸国は補強しているので、戦闘は少なくとも年内は続くという見方さえある。

 大統領の強気にかかわらず、ロシア国民の厭戦気分が高まるのは必定であろう。

頭脳流出が30万人超

 経済成長率の落ち込みも大きいが、頭脳流出はロ経済を長期低迷に追い込むのは必至とみられる。

 侵攻直後に、2021年ノーベル平和賞を授与されたリベラル紙「ノーバヤ・ガゼータ」のムラトフ編集長はネット動画で「悲しみと恥ずかしさを感じている」と語ったし、同紙は侵攻翌日の紙面記事をロシア語ウクライナ語で掲載し、「反戦の意」を示したという。

 今回の侵攻で、日頃プーチン政権を支持してきた有識者や文化人の間からも「理解を超えている」といった類の発言が聞かれた。

 こうした有識者たちが、言論封殺や情報統制に耐え切れず、国外脱出している。その数は2か月足らずで30万人超とも報道されている(「産経新聞令和4年4月21日付)。

 流出の大部はIT(情報通信)、医療、金融、芸術分野など、高い技能や知識を持つ頭脳労働者だと言われ、人数ではIT関係者と企業経営者が3分の1(約10万人?)ずつを占め、残りは医者、コンサルタント、デザイナー、ジャーナリストなどとされる。

 出国の理由は「侵略者の国に住みたくない」「自身の自由が奪われないか心配」「(制裁で)多くの事業パートナーを失いロシア国内で収入を得られなくなった」などだという。

 しかも、国外脱出の半分以上の57%が34歳以下の若年層で、68%は帰国意思がないかロシアを長期間離れる考えという。

 情報統制と違反者への罰則強化などから、プーチン政権支持は従来の60%台から83%にまで上がった。

 政府系のテレビからしか情報を得ない高齢者はロシアの行動に賛成する意見が多く、SNSなどから情報が得られる若い年代の人は、ロシアの報道に疑問を持ちながらも、罰則などから発言も慎重にならざるを得ない。

 また、調査は対面方式で行われ、「支持しない」などの意見は言いにくい環境であったとされ、限りなく「作られた」支持率に思える。

 中国は「千人計画」などによるヘッドハンティングで軍民融合の著しい発展をもたらした。

 ロシアの30万人超の頭脳流出には千人や万人を超える超有能な人物も含まれているに違いない。そうなれば、科学技術を初めとする多くの分野で著しい停滞が避けられないのではないだろうか。

ロシアが直面する混乱と困窮

 国力が衰退し、あるいは混乱期には領土の割譲や勢力圏の縮小などが生起する。

 過去にはアラスカの米国への売却があった。アラスカは元来ロシア植民地で、セイウチの骨やラッコの毛皮などが主要産品であった。

 ところが乱獲から資源が枯渇し、期待されていた金の採掘も見通しが立たなくなっていた。

 また、クリミア戦争(1853~56年)が始まると、英仏トルコの同盟軍が海路をコントロールしていたため、アラスカへの補給や保護ができないことが明らかになった。

 今日のような戦略的な価値を見出していたわけでもなかったことから足手纏いになるとして、良好な関係にあった米国に1867年720万ドルという象徴的(安価)な売却になったとされる。

 ベルリンの壁が崩壊(1989年11月9日)すると、ドイツ再統一が語られ始める。

 問題はNATO(北大西洋条約機構)との関係であった。

 西ドイツの首相も米国の国務長官もソ連の同意を得るために、「NATOは東へ1インチたりとも拡大してはならない」と発言していた。こうして壁崩壊から1年もたたない1990年9月、ドイツの統一が認められた。

 この時の「東へ」は「東ドイツへ」の(NATO軍などの)配備はしないということであって、「東欧諸国へ」の意ではなかったというのが、当時取り決めにかかわった東西ドイツと米英仏の見解である。

 2年後の1991年12月にはソ連邦が崩壊し、ロシアが誕生する。

 ロシアは長年、NATOの東方拡大を自国の命運がかかった重大問題だと訴えてきた。その際、ロシアドイツ再統一交渉の過程でNATOを東方に拡大しないと約束したのに、その後、一方的にその約束を反故にしたと主張してきた。

 ウクライナ侵攻直後の停戦交渉でも、プーチンウクライナのNATOへの非加盟を求めた。しかし、米国などは「そんな約束はない」と一蹴している。

 アラスカ買収でも東ドイツの吸収でもロシア(ソ連)の弱みに付け込んできたことは確かである。

 これが国際政治の現実で、日本も北方領土の奪還や国益増大に活用しない手はない。すなわち、ロシアの疲弊と上手に向き合うことだ。

 サハリン州知事もモスクワの尻馬に乗って、高飛車な発言を繰り返してきた。しかし、中央からの支援がなくてはどうにもやっていけないことは目に見えている。

煮え湯を飲まされてきた日本

 ソ連が解体した直後のエリツィン大統領時代、北方領土問題に明かりが灯ろうとしていた。それを無造作に吹っ飛ばしたのがプーチンの登場であった。

 ボリス・エリツィン時代は民主主義的体制への移行期で、主張は合理的でなければ通らなかった。

 細川護熙首相との合意で出された東京宣言(1993年10月)も橋本龍太郎首相との会談で出されたクラスノヤルスク合意(1997年11月)、川奈提案(1998年4月)も、領土問題とは4島の帰属問題であり、国境画定の問題であることを明確にした。

 プーチン大統領となって間もなく訪日して森喜朗首相と会談、その4か月後には首相が訪ロしてイルクーツク声明(2001年3月)を出す。

 骨子は、日ソ共同宣言(1956年)は有効で、交渉プロセスの出発点とする、東京宣言に基づき4島の帰属を解決して平和条約を締結するというもので、エリツィンの線を離れてはいなかった。

 しかし、民主党政権時代にはプーチン首相の手綱で動いていたドミトリー・メドベージェフ大統領が国後を訪問するなど、恰も領土問題はないかのごとく行動し始める。

 安倍晋三首相の再登板で交渉停滞を打破するため、経済協力をやりながら領土問題解決につなげるという「新しいアプローチ」を試みた。

 しかし、クリミア半島併合(2014年)で支持率を上げたプーチンは北方4島に軍隊を配備し、ミサイル基地化を図り、演習も盛んに行うなど、大統領の態度は日本に煮え湯を飲ませるように一段と硬直化していった。

おわりに:国家の衰退が解決のチャンス

 国際社会は腹黒さに満ちている。日露関係について、エリツィン以降の交渉をみただけでも歴然としている。

 ソ連が崩壊した直後のエリツィン時代、一度は領土確定協議まで進みそうになったが、プーチンになり、言を左右し、近年は返還どころか日本を騙して(ダシにして)北方4島の永久領土化の為の法制を作り、軍事基地化さえ果断に進めてきた。

 日本に返還する意図はないと言外では語っているも同然で、奪還の夢は遠のくばかりの感じであった。

 そうしたところに、ウクライナ侵攻があり、鎧袖一触どころか、国際社会から総スカンを食らう状況が生起した。

 2か月経った今も戦争が続いており、年内は続くという見方さえ出てきている。

 プーチンの強気とは裏腹に、ロシアの疲弊・衰退は確実であり、北方領土にかまっておれなくなる状況が現出するかもしれない。

 領土問題は相手が弱体化したときが千載一遇のチャンスである。

 日本がいかなる交渉を持ちかけるか。外務省の交渉力が問われる。

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