2022年6月2日(土)開幕の「六月大歌舞伎」第二部『信康』にて、歌舞伎座で初めて主演を勤める市川染五郎が、演出の齋藤雅文と共に徳川信康ゆかりの地を訪問。その様子が公開された。

近年は歌舞伎以外にも、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で薄幸の美青年・源義高役で注目を浴び、劇場版オリジナルアニメサイダーのように言葉が湧き上がる』で主人公の声優に挑戦、シュウウエムラのアンバサダーに起用されるなど活躍の幅を広げている染五郎が勤めるのは、「六月大歌舞伎」第二部で上演される『信康』の主人公・徳川信康

21歳という若さで命を落とした徳川家康の嫡男・徳川信康を、父・家康との心の葛藤に焦点を絞って描き、昭和49年に第三回大谷竹次郎賞(その年の優れた新作歌舞伎に贈られる賞)を受賞。天下統一目前の織田信長に抗うことができず苦悩する家康や、哀れさを漂わせつつも家のために潔く生きる信康の姿など、時代に翻弄された親と子の運命がドラマティックに描き出される感動作だ。今回、信康の父であり後に江戸幕府を開く徳川家康松本白鸚を勤め、祖父と孫の共演にも注目が集まる。

岡崎城にて。左は演出の齋藤雅文

上演を翌月に控えた5月13日、ふたりが最初に訪れたのが、信康が城主をつとめたこともある岡崎城(愛知県岡崎市)。「三河武士のやかた家康館」で学芸員の説明に耳を傾け、展示されている資料を見つめる染五郎。劇作家の齋藤雅文は、かつて同じ信康を描いた『反逆児』の舞台化を手掛けたこともあり、岡崎城にもつい先月訪れたそう。『信康』の舞台でも、序幕は「岡崎城本丸書院の場」から始まることもあり、徳川家の居城として栄華を誇った土地に立ち、染五郎は初めて訪れた岡崎城で多くのことを吸収した様子。市内にある若宮八幡宮の首塚にも立ち寄り、手を合わせた。

若宮八幡宮にて

織田信長に謀反の疑いをかけられたことにより、父・家康から岡崎城を離れることを命じられた信康は、岡崎から遠く離れた遠州二俣城へと移される。『信康』では、岡崎城の場面に続き、「二俣城外の丘の場」「二俣城本丸広間の場」へと場所が移る。実際の信康がたどった足跡と同じく、岡崎城を訪ねたふたりは、続いて静岡県浜松市の二俣城跡へと場所を移した。二俣城はかつて信康が最期のときを過ごした場所だ。

二俣城跡にて

ここで自害した信康の墓は、すぐ近くの清龍寺にある。息子の信康を供養するために家康が建立した寺であり、「清瀧寺」の名も家康がつけたとされる。その清龍寺が今回の「悲運の武将・徳川信康の足跡をたどる旅」の終着点。

二俣城跡にて

信康の墓は雨風を防げるように廟の中にあり、住職の案内で門が開かれると、墓前で染五郎と齋藤雅文が手を合わせる。雨のため、本堂にて行われた法要でも神妙な面持ちで手を合わせる染五郎。訪問を終えた染五郎は「来なければ分からないことがたくさんありますし、自分が想像していなかった角度からも信康のことを知ることができ、多くの収穫がありました」とコメントを寄せた。

ゆかりの地で多くを吸収した染五郎が来月の舞台でどのような姿を見せるのか期待が高まる。

新しい『信康』を作っていきたい

【市川染五郎コメント 】

今回、自分が演じる役のゆかりの地を訪れることができ、大変嬉しかったです。来なければ分からないことがたくさんありますし、自分が想像していなかった角度からも信康のことを知ることができ、多くの収穫がありました。 信康が自害した二俣城跡は、事前にネットでも調べていましたが、今日実際に訪れてみて、何もないからこそ、「ここでこういうことがあったのだな」と想像することができ、より信康のことを知ることができました。ゆかりの地を訪れ、現代に生きる私たちには想像もつかないような覚悟を持って生きなければならなかった時代の信康の悲劇的な運命、強さを肌で感じることができました。今回は、齋藤さんに脚本・演出に入っていただき、新しい『信康』を作っていきたいと思っていますので、是非劇場にお運びいただければと思います!

【齋藤雅文(演出)コメント 】 この地に立ってみて、信康の切なさや、家康は本当に信康を愛していたのだなということを実感できた気がします。切ないけれど男らしい、いい物語になるような、大きなヒントをもらった気がします。そして、染五郎さんは信康という役にとても合っている方だということを、この地に来てさらに感じました。信康は激しいキャラクターですが、とても切なく、青春を生き抜いた男、いいドラマになると確信しました。期待してください!

「六月大歌舞伎」は東京・歌舞伎座にて6月2日(木)から27日(月)まで。チケット発売中。

市川染五郎、清瀧寺にて