
2020年度に「性犯罪・性暴力等」を理由に処分された公立学校の教員は200人。しかし、被害者が泣き寝入りしたり、学校側が事実を認めなかったりしたケースは反映されていないため、この数字は氷山の一角だ。
ここでは、こうした統計にも出てこない学校での性犯罪の実態を、被害者の母親の視点で綴ったノンフィクション『黙殺される教師の「性暴力」』(南彰著、朝日新聞出版)から一部を抜粋。障がいを持つ小学6年生の娘に、担任教師が及んだ下劣な行為とは——。(全2回の1回目/2回目に続く)
◆◆◆
「タカギにおっぱいぎゅうされた」娘が性被害を告白ゆっくりと上がるエレベーターの扉が開くと、記憶のよどみを押し流すように、潮風が吹き抜けた。ベランダ側に広がる海辺では花火が舞った。引っ越してきた日は、ちょうど周辺の花火大会が重なった。
ベランダではしゃいだ娘たちの声がよみがえる。あの時は、新しい街から祝福を受けているようだった。海沿いでは高層マンションの開発が進む。マンションを取り囲むヤシの木の先に、小学校の体育館がのぞいた。
あれから何年が過ぎただろうか。
新しい街で穏やかに育んできた家族の営みが、娘の被害を証明するという、長い闘いの日々へと変わったのは七夕の金曜日。学校から戻ってきた娘の告白だった。
ピン、ポーン――。
「おかえり」と言いながら、玄関の方に向かうと、聖子(編集部注:以下全員仮名)の声が耳を突き刺した。
「え?」
「3回、ギューされた」
聖子は何を言っているのだろう。何かの拍子に間違って手が当たってしまったのではないかしら。
「どうやって?」
思わず問い返した私に、聖子は両手で自分の胸をつかんだ。
「こうやって。すごく痛かった」
私はベランダから突き落とされたような気持ちになった。
ランドセルを背負ったままの聖子の顔は真っ赤。これまで学校での出来事を自分から話したがらなかった子が体を震わせ、今にも泣き出しそうだった。
「ひどいよね。タカギ、最低だよ」
一緒に学校から戻ってきた同級生の景子ちゃんも相づちを打っている。
タカギ――。
聖子が通う「あさがお学級」の担任だ。まさか小学校の先生がそんなことをするのだろうか。パニックで何も言えない私に、聖子は続けた。
「頭たたかれたし、怒鳴られたし。勉強ができないとか、頭が悪いとか言われたし、笑われたりしたんだよ」
「うん、1回、おうちへ入ろうね」
聖子をそっと抱きしめ、おやつを用意してあったリビングに2人を入れた。時計を見上げると、景子ちゃんと一緒に通っている学習塾の開始時間が迫っていたが、高まる鼓動を抑えることができない。
景子ちゃんも預かっているし、とにかく塾に送って行かなくちゃいけない――。
3カ月前に「高木先生」と出会ったきっかけ高木先生に出会ったのはこの3カ月前だ。
あさがお学級は、新設された市立小学校の特別支援学級。障がいのある1年生から6年生までの10人を、5人の先生で受け持っていた。2人の担任と3人の補助教員の5人チーム。「担任」の1人が高木先生だった。
3人姉妹の次女である聖子は、生後11カ月の時に旅行先で麻疹にかかり、その後遺症が残った。記憶力は同じ年齢の子どもたちと変わらないが、状況の意味を理解したり、表現したりすることが苦手だった。
それでも、5年生までは別の市立小学校の「普通学級」に通っていた。同級生となじめず、「特別支援学級に移らせた方がいいのかしら」と悩んだ時期もあったが、障がいのある子どもの発達を支援する市の療育相談の石坂先生からこんなアドバイスを受けていたからだ。
「うちの市は補助教員を手厚く配置しているので、障がいのある子どもたちも普通学級に通っているケースが多いんです。特別支援学級は重度の障がいの子どもが多いので、逆に聖子ちゃんが浮いてしまってかわいそうですよ」
5年生では、聖子のことをきめ細かに見てくれる担任の先生ともめぐりあった。理解度に合わせた学習プリントを用意してくれる。小学校に上がってから、聖子は最も順調な学校生活を送っていた。
家族も街に溶け込み、マンションの自治会長になった夫は、家族ぐるみの餅つき大会やハゼ釣り大会を次々と企画していた。聖子がほかの子どもたちと芝生を駆け回る姿を眺めながら、スモークベーコンを焼くグリルを囲んでみんなで飲むビールは最高だった。
「このまま無事に小学校を卒業できればいいね」
3人の娘たちが寝静まったリビングで夫とも語り合っていた。
ところが、前年の秋に市から新設校へと転校するよう、熱心な勧誘が始まった。口火を切ったのは石坂先生だった。
「今までと違うことを言って不思議に思うでしょう。でも、今度新しくできる特別支援学級は、軽い遅れがある子どもを集めて、その子、その子に合った指導をしてもらえるんですよ」
新設校はマンションから見下ろせる公園の隣で建設が進んでいた。川の対岸にある今の学校よりも近い。三女の千春は新設校に通うことにしたが、聖子の環境を変えるという提案は気が重かった。
聖子は「転校はしない」と泣きながら訴えたが……「佐藤先生と離れたくない」
案の定、何度尋ねても、大好きな担任の佐藤先生と同じ学校に通うと言って抵抗した。涙を浮かべる娘に説得を続けるのは気が引けた。10月末の進路決定の締め切りを越えても、市の教育委員会は「年度末まで待ちましょう」と言ってきたが、聖子の気持ちが変わるとも思えなかった。
「最終的には聖子の判断を尊重しよう」
正月休みに転校しないことを夫と決め、休み明けの療育相談で「最終回答」を伝えに行った。
すると、普段は穏やかな石坂先生がペンを机に打ち付け始めた。
「お母さんがそんな態度だからいけないんですよ。6年生ぐらいの子どもの場合、普通の子でも自分の進路を自分で決めることは不可能ですよ。私立中学に行くにせよ、最終的には親が決めるものでしょ?」
「でも、聖子が千春と同じ学校の特別支援学級に通うと、『姉が特学通い』と変な差別を受けて、辛い思いをしないでしょうか」
「そんなことは大丈夫。全然、気にすることはないですから」
石坂先生の気迫に押され、私は黙り込んでしまった。
帰り道、「転校はしない」と泣きながら訴えた聖子や、繊細な性格の千春の姿が浮かんだ。車のハンドルをつかみながら、フロントガラスの先がにじんだ。
「同じように新設校への転校を考えている女の子たちと会ってみたらどうでしょう? お友だちになれそうな子がいれば、聖子ちゃんの気持ちも変わるかもしれない」
石坂先生に誘われて、新設校への転校を考えている子どもたちとの交流会に参加した。子どもたちが体育館の一角で指導員とゲームで遊ぶなか、保護者は別室に集められた。
「これまでの特別支援学級と違い、モデル校的なクラスになります」
市教委の担当者からの説得は毎週のように続いたが、聖子は転校を嫌がっているとそのたびに伝えた。
すると、石坂先生から驚くような新提案があった。
「教育委員会と校長先生に事情を伝え、佐藤先生を新設校に転任させるよう頼んでみたらいかがですか」
「えっ? 私が、ですか?」
「だめもとで言ってみたらいいんですよ」
そんな、一保護者の申し出で便宜をはかってもらえるはずがないのに……。
気は進まなかったが、校長と市教委の担当者をそれぞれ訪ね、事情を話してみた。
教員異動の発表を控えた3月下旬。突然、校長から電話が入った。
「佐藤先生が新設される小学校の方へ転任することが決まりました」
「ほんとですか?」
「はい。いろいろと手続きも必要になりますので、一度学校の方にお越しいただけますか」
急いで学校に向かい、お礼を言うと、校長はつぶやいた。
「佐藤先生、『本当は転任したくない』と言っていましたよ」
皮肉が交じっていた。
石坂先生に勧められた話とはいえ、申し入れたのは自分だった。その影響の大きさに申し訳ない気持ちになりながら、教室で荷物をまとめていた佐藤先生にも感謝の念を伝え、急いで転校準備を進めた。
相談に乗ってもらっていた友人にはメールで報告した。
「聖子も最初は納得できないかもしれないけれど、少人数のなかで個別の指導を受けた方が、将来的にプラスになるかなと思って」
戸惑う自分自身も納得させようとしていた。
佐藤先生は、6年生の普通学級の担任になった。美術と音楽の時間は、あさがお学級と普通学級が合同授業になるので、聖子の指導にあたってくれるという。
ふだん、あさがお学級で指導してくれる担任の先生はどんな人なのだろうか。
半月後の始業式。期待と不安が入り交じった気持ちで、聖子と一緒に学校へ向かうと、浅黒い顔に黒縁めがねをかけた男の先生が教室の前で出迎えてくれた。
「おはようございます。担任の高木です」
口数は少ないが、40を少し超え、落ち着いているベテランの先生に見えた。
耳にたこができるほど聞かされていた私はそう心に言い聞かせた。
「よろしくお願いします」
聖子の背中をそっと押した。
「いったい、高木先生はどういうポリシーなの?」学校では爛漫の桜が風に舞っていた。
市長も新しい学校の船出を広報誌のコラムにつづった。
「子どもたちと地域住民に愛着を持ってもらえる学校が完成しました。各階にオープンスペースを設けて、異学年交流やさまざまな学習形態に対応できるようにしています。成長過程に合わせた校舎です」
ところが、市長が誇る美しい校舎の内側は、発足直後からきしみ始めていた。
高木先生は「校外学習」と言って、子どもたちを頻繁に外に連れ出すばかり。教室での授業には関心がないようで、宿題もあまり出なかった。
「いったい、高木先生はどういうポリシーなの? 理解できないわ」
教育熱心な保護者から不満の声が上がり、ゴールデンウィーク明けに角田教頭を交えた臨時の保護者会が開かれた。
私も高木先生にいい印象は持てずにいた。
連休前の家庭訪問のときのことだ。
「聖子ちゃん、女の子の方はまだですか?」
ソファに座るなり尋ねてきたのだ。ほかの女子児童の名前を挙げて、「出るところは出ているし、引っ込むところは引っ込んでいるし、とても小学生とは思えない体つきをしていますね」と唐突に言われたこともあった。
それでも、臨時保護者会では、みんなの意見を黙って聞くだけで、帰り際に「先生方もいろいろと大変ですよね」と高木先生に声をかけた。新しい学校で摩擦を起こさずに、聖子に落ち着いた学校生活を送らせたい。そんな気持ちの方が強かった。
ところが、6月下旬の金曜日。梅雨の晴れ間が広がり、娘たちがプールセットを持って学校に出かけた日の出来事だった。
聖子と一緒に学校から帰ってきた千春が口火を切った。
「きょう、お姉ちゃんが学校で高木先生にたたかれたんだよ」
「どうしたの?」
聖子は目を伏せながらつぶやいた。
「プールの時、高木先生に2回頭をたたかれた」
「何か悪いことをしたの?」
「してないよ」
そんな、理由もなく学校の先生がたたくなんてことがあるかしら。
「先生、何か言っていた?」
「『この頭が悪いんでしょ』と言ってた」
「先生、どうやってたたいたの?」
「こうやって」
聖子は平手で自分の頭をたたいた。
「お母さん! もう、お姉ちゃん、可哀想だったよ!」
千春はまくし立てるように聖子に代わって、聖子がたたかれた状況を説明し始めた。ガラス越しにプールサイドを見渡せる体育館から目撃したという。聖子は目を合わさず、体も横に向けたまま、ぐーっと髪の毛を引っ張っている。聖子から話を聞き出すのは難しそうだった。
子どもたちが寝静まった後、出張帰りの夫に相談した。
「ひょっとして、学校で体罰を受けているのかしら」
「そうだなあ……。ちょっと授業の様子を見に行こうか」
月曜日の午前。通用門をくぐり、校舎の右隅にあるあさがお学級の教室へ向かった。夫の考えで、あえて事前の連絡はしていない。
授業後に行った高木先生との面談教室はガラス張りになっている。廊下から見渡すと、高木先生と補助教員のゆかり先生、聖子と4人の子どもたちがいた。全員、オルガンの周りに集まって遊んでいるように見えた。
夫が引き戸を開けて教室の中に入ると、高木先生は慌てて教科書を手に取った。
「あっ、おはよう……ございます。これから授業に入るところだったんです」
子どもたちを急いで着席させ、詩の朗読を始めた。
私はパートの時間が迫っていたので、夫が残り、授業の後に高木先生と面談をした。
この頃、高木先生が主に担当する高学年の女の子たちが次々と不登校になったり、普通学級に移ったりしていた。聖子は高木先生と1対1に近い状況だった。「きつく問い詰めて、逆に聖子に対して厳しく当たられるようなことがあったら怖いね」。夫と懸念していた。
「療育の先生からも、聖子は家庭でも大きい声で𠮟ったり、たたいたりしないように言われています」
だから夫は、高木先生がたたいたという話には直接触れず、やんわりとした表現で伝えた。
「わかりました」
高木先生はそう応じたという。
晩ご飯の前に、聖子にだけ聞こえるよう耳元でささやいた。
「先生には、聖子のことをたたかないようにお願いしておいたからね」
聖子はうなずくだけだった。
「おっぱいぎゅうされた」と訴えたのは、その4日後だった。
女子小学生が40代教師の性暴力を告白「頭を持ってガン!って。痛くて血が出たけど…」 調査を行った学校側が出した“3行だけの結論” へ続く
(南 彰)

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