1988年9月に電撃入籍し、世間をアッと言わせた明石家さんま大竹しのぶ。翌89年9月に長女IMALUが誕生するも、4回目となる結婚記念日を目前にした92年9月、正式離婚した。2人は時間をずらして離婚会見を行ったが、その際、さんまが使った「バツイチ」という言葉が流行語にランクインし、社会現象になったものだ。

 その離婚会見からしばらく経ったある日のこと。編集部のデスクから「実はさんまが某モデルと付き合い出したらしい。周辺を取材してみてよ!」との指令が。ネタ元はテレビ局スタッフだ。

 とはいえ、具体的な証言のない、全くの第一次情報。ただ、芸能記者をやっていると「瓢箪から駒」はよくあること。さっそく、カメラマンと張り込みをスタートさせた。

 とはいえ、張り込みを続けるも、これといった女性の影は見えない。すると「さんまの新恋人」に固執するデスクは「とりあえず、本人に直接話を聞いてみようか」と言い出した。

 いやいや、さすがにそれはないだろう。そうは思っても、当時デスクの権限は絶対である。翌日、私はカメラマンを伴い、フジテレビの地下にあった食堂で待機。さんまが通るのを待った。

 今では考えられない話だが、当時のテレビ局はまだ受付を通らずに入館することも可能だった。そのため、アポなしで楽屋を訪ね、マネージャーと直談判してインタビューする、なんていうのは、珍しいことでもなかった。まさに、時代である。

 待つこと数時間。さんまがスタッフとともに、食堂に現れた。名刺を出す私に「なんや? 何の用や?」とさんま。そこで「離婚後の近況をお話しいただけないか」と切り出せば「仕事以外はなんも変わりはあらへん!」とピシャリ。

「でもモテモテのさんまさんなら、すでに新しい彼女がいる、なんていうこともあるのでは…」

 そう食い下がると、踵を返したさんまは言った。

「おらへん、おらへん。なんなら、おまえんとこの雑誌で『恋人募集』してくれや。頼むわ」

 そして足早にスタジオへと消えていく。私へのリップサービスであることは間違いないが、今で言う「神対応」に、すっかり「さんまファン」になったものだ。むろん、翌週には「さんま、本誌で『恋人募集』」なる記事が載ったことは言うまでもない。なんともおおらかな時代だった。

山川敦司(やまかわ・あつし):1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。