(舛添 要一:国際政治学者)

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 プーチンにとって、これは耐え難い事態だ。

 5月18日フィンランドスウェーデンがNATOに加盟申請した。両国にとって、安全保障政策の大きな方針転換であるとともに、ヨーロッパの戦略環境も変化する。

 ただNATO加盟は、30の全加盟国の賛成がなければ実現しない。そして今、トルコが両国の加盟に反対を明言している。その理由は何なのか。そして、今後のNATO内の協議はどうなるのか。

ドンバス州-クリミア-ヘルソン州の回廊

 ウクライナ軍が激しく抵抗していたマリウポリで、製鉄所に立て籠もっていた兵士たちが投降した。ロシア国防省によると、その数は1730人にのぼるという。これでマリウポリは陥落したとみてよく、これによりロシアから見れば、東部のドンバス州、クリミア、ヘルソン州を結ぶ回廊が繋がったことになる。ロシア軍はさらにこの回廊を伸ばすため、オデーサ、そしてモルドバの親露派地域である沿ドニエストル共和国を目指す動きを加速化させるであろう。

 一方、ウクライナ軍には、NATOから最新鋭の兵器が大量に供与されており、抵抗はさらに強まると予想される。

 現在、両国間の停戦交渉は全く進んでいない。ロシア側によると、ウクライナ側が一方的に打ち切ったという。今後の交渉の展開は予断を許さないが、戦争が長期化することが危惧される。

ノルディック・バランス

 ノルウェーデンマークスウェーデンフィンランドの北欧4カ国の安全保障政策は多様であった。ノルウェーデンマークはNATOに加盟し、フィンランドロシアに配慮する政策を、そして両者に挟まれたスウェーデンは重武装・中立政策を採用してきた。この微妙な均衡を「ノルディック・バランス」と呼ぶ。

 フィンランドは、ロシアとの陸続きの国境が1300kmにわたる隣国であり、サンクトペテルブルクから目と鼻の先にある。1939年9月1日に勃発した第二次世界大戦は、その1週間前の独ソ不可侵条約の締結が前提にあった。ヒトラースターリンの密約であるが、ドイツとソ連は、ポーランドなど周辺諸国を分割して奪い取る作戦に出た。11月にはソ連軍がフィンランドに侵攻した。フィンランド軍は激しく抵抗したが、領土の10%を失って休戦した。しかし、独立を保つことができたのである。

 その経験から、第二次大戦後はソ連を刺激しないためにNATOやECに加盟せず、またワルシャワ機構軍にも属さなかった。その意味で中立であるが、ロシアへの配慮ということを「フィンランド化」という表現で西側が揶揄してきた。

 しかし、米ソ冷戦が終わると、フィンランドは、1995年にEUに加盟し、2000年にはユーロを通貨として採用している。その意味で、西側の一員にすでになっていたと言ってもよく、軍事的にもNATOとの協力関係を深めていた。

 そこに、今回のロシア軍ウクライナ侵攻である。「明日は我が身」という思いで、NATOへの加盟申請を行ったのである。

 スウェーデンは、第二次大戦後は、1834年以来の中立政策をNATO寄りの中立という姿勢に変更したが、その傾向はソ連邦の崩壊後にさらに鮮明になっていた。フィンランドと同じ年にEUに加盟しており、NATOとの共同行動も増やしてきた。

 実質的には、中立政策はすでに放棄していたと言ってもよく、ロシアウクライナ侵攻がそれをNATO加盟申請という形で明確化したのである。

スイスの中立政策

 フィンランドスウェーデンの場合、中立政策と言っても、東西冷戦終了後は実質的に「西側寄りの中立」であった。

 これに対して、スイスの中立政策は、いわば筋金入りのもので、2002年9月までは国際連合にすら加盟しなかった。

 私は、若い頃、2年間スイスで研究生活を送り、スイスについて日本との比較という視点から分析した。

 太平洋戦争終結後、日本を占領したマッカーサーが、「日本は太平洋スイスたれ」と述べたとされている(1949年3月3日の発言)。それ以降、日本ではスイスの中立が理想のように語られてきた。スイスは非武装どころか、重武装、国民皆兵制であるが、そのようなことはきちんと伝えられなかった。

 重要なことは、スイスの中立政策は外交政策ではなく、内政政策だということである。理由は、スイスが異質性、多様性に富んだ連邦国だからである。公用語ドイツ語フランス語イタリア語、ロマンシュ語と4つもある。そんな国だから、たとえばスイスドイツと同盟を結び、フランスと戦うことになれば、フランススイス人は連邦から離脱するだろう。これでは、国家の統一が保てないので、どの国とも同盟も戦争もしない中立しか道はないのである。

 また、宗教改革を断行したジャン・カルヴァンの拠点はジュネーブであったが、プロテスタントカトリックスイスでは分立している。宗教も言語と同様で、スイスプロテスタント国と同盟すれば、カトリック教徒は連邦から出ていくことになる。宗教的にも中立が望ましいわけである。

 ナポレオン戦争後のヨーロッパの国際秩序を再確立するために1815年に開かれたウィーン会議で、スイスの中立が国際的に認められた。それ以来、スイスは一度も戦争をしていない。

 その中立政策は、戦火を被らない国という国際的評価を生み、世界各国の資産家の財産がスイスの銀行に集中するというプラスの効果を生んだ。しかも、銀行口座の秘密を守るという点でも、外国資産を惹きつける魅力がある。

 スイスは、アルプスの貧しい山国で、男は傭兵として外国に出稼ぎに行かざるをえなかった(今でもバチカンの衛兵はスイス人の傭兵が務めている)が、今や金融大国として生計を立てているのである。

 そのように効能のある中立政策を維持してきたスイスも、今回のロシアウクライナ侵略という事態を前にして、ついにその政策を変更した。EUと歩調を合わせて、経済制裁に踏み切ったのである。

 エネルギー関連の財やサービスのロシアへの輸出禁止、ロシア製鉄鋼製品の輸入禁止、特定の国営企業との金融取引禁止などである。また、約75億フラン(約9900億円)の資産を凍結した。因みに、スイスの銀行にあるロシア資産は、1500億〜2000億フランにのぼると見られている。

欧州統合の勝利

 近代ヨーロッパの戦争は、ドイツフランスの戦いが主軸で展開されてきた。二次にわたる世界戦争もそうである。その反省から、第二次大戦後、ヨーロッパ統合がなされた。ドイツフランスも今やEUの主要国であり、両国が戦争をすることはない。スイスの悩みの種はなくなったわけで、ロシア語スイス公用語ではないし、ロシア正教徒はほとんどいない。ロシアのことを配慮する必要はないわけで、スイスにとって、中立政策を続ける意味はなくなっている。

 近代の欧州外交は、ドイツイギリスが支援し、フランスロシアと協調するというパターンが多かった。イギリスは、ヨーロッパ大陸内の勢力均衡を維持するために、フランスが強大化するとドイツに肩入れした。それを利用したのが、たとえばヒトラーである。フランスロシアは、強力なドイツを封じ込めるためにドイツの東西で手を握った。戦争になると、様々な形の合従連衡が生まれたが、欧州大陸の基本的対立軸は独仏対立であった。

 スウェーデンフィンランドは、第二次世界大戦ではヒトラースターリンの戦争に翻弄されてきたが、第二次大戦後には欧州大陸の戦争には関わりたくないという思いが強かった。それ故の中立政策であったが、EUの成立によって、その懸念はなくなったのである。

 その意味で、ジャン・モネやロベールシューマンらが第二次大戦後に心血を注いだ欧州統合が、今まさに、フィンランドスウェーデンのNATO加盟という形で実現しようとしている。

トルコの狙い

 ところが、このフィンランドスウェーデンのNATO加盟に反対しているのがトルコエルドアン大統領だ。

 トルコにはクルド人少数民族として存在し、「クルディスタン労働者党(PKK)」を組織して、反政府のテロ活動を行っている。このPKKの活動家をフィンランドスウェーデンが支援しているのだが、トルコはそれを許せないと言う。

 また、PKKを征伐するために、トルコは2019年にシリア北部に侵攻したが、それに対して、両国がトルコの武器輸出を禁止する制裁に加わったことも問題視している。トルコには、シリアから270万人の難民が流入したことも忘れてはならない。

 ただそうしたことよりも、今回の加盟反対論の背景には、ロシアに対する影響力を維持したいというエルドアンの思惑もある。トルコはNATO加盟国でもあるにも関わらず、ロシアから最新鋭の対空防衛システムS-400を購入したが、それに反発したアメリカはステルス戦闘機F-35の売却を取りやめている。

 エルドアンは、北欧へのNATO拡大をアメリカに対する取引カードに使うことも考えている。さらには、悲願のEUへの加盟を実現するための取引材料とするのかもしれない。

 これからはNATO内部での、様々な駆け引きが行われるであろう。ウクライナ戦争の停戦交渉に関しても、トルコは仲介役として重要な役割を果たしうる立場にある。また、トルコは世界第13位の軍事大国で、安価で高性能な武器の生産国である。とくに、「バイラクタル」のような軍事ドローンは、ウクライナロシア装甲車や艦船を破壊しており、世界から注目を浴びている。

 ウクライナ戦争は、欧州の内外における新しい秩序の形成のきっかけとなることは確かである。プーチンの無謀な冒険は、想像を絶するような結果を生む可能性がある。

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