5月18日カンヌ国際映画祭で『トップガン マーヴェリック』(5月27日公開)のプレミア上映を行ったトム・クルーズが、自身の映画人生を語るスペシャルトークセッションに登場した。イベント冒頭では、『卒業白書』(83)、『カクテル』(88)『レインマン』(88)『7月4日に生まれて』(89)といったキャリア形成の要となった作品から、『アイズ・ワイド・シャット』(99)、『マグノリア』(99)、『バニラ・スカイ』(01)など稀代の映像作家と組んだ作品群、そして1996年の『ミッション:インポッシブル』第1弾から、2023、24年にそれぞれ7作目と8作目が公開予定のシリーズまで、ハリウッド随一のスター、トム・クルーズのキャリアを総括する映像が流された。大歓声の中で登場したトムは、「(パンデミックを)乗り越えたいま、こうして皆さんのお顔が見える映画館にいられるのは、とても美しい瞬間です。とても光栄で、大きな意味を持ちます」と、万感の思いを口にした。

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■「私の映画をストリーミングで初公開するようなことは、絶対にしません」

子どものころから映画に魅せられ、お小遣いを貯めては映画館に通っていたというトム・クルーズ。映画製作のすべてに興味を持ち、2度目のオーディションで掴んだ端役で映画界に足を踏み入れた。やがてたくさんの映画人と知り合い、彼らの話を聞くうちに“ストーリーテリング”とはなにか、と考えるようになったという。「世界中の観客も、私がおもしろいと思うシーンで同じように笑っているのだろうか?そう思うようになり、世界中の映画を観始めました。観光客としてではなく世界中を旅し、様々な国の文化の一部になるような仕事がしたいと考えるようになったのは、『トップガン』を作っていたころだと記憶しています」と、転機になった作品の続編と共にカンヌ映画祭に招待されたことを祝福した。1986年の公開当時、『トップガン』のプレミアを世界中の映画館で行い、レッドカーペットでファンと触れ合いたいと宣伝部に提案したのが、いまでこそ多くの映画が宣伝に取り入れている世界的プロモーションツアーの始まりだったのだそうだ。

トムのキャリアのなかで最大のフランチャイズとなった「ミッション:インポッシブル」は、世界中の文化を映画の中で輝かせることを念頭に企画されているという。「私がいままでプロデューサーとして関わってきた作品は、かなりの無理をしてでも、世界中の様々な場所で撮影することを試みています。例えば『ミッション:インポッシブル』は、世界各国の建築空間をベースに文化を尊重する映画にしたいと考えました。映画芸術から派生する物語に、人々がどう反応するかを見たいと思っています。私は映画の撮影場所、脚本会議、そして編集室で人生を費やしてきましたが、信じられないくらい恵まれた人生だと思っています」と、映画を作ることで世界と繋がる人生を祝福した。

トムは何度も、映画鑑賞体験を“映画館”という言葉を使って言い表していた。自身の映画が公開されると、帽子を被って映画館に座り、観客と一緒に映画を鑑賞するという。この3年間、彼が身を置く映画製作現場から、映画を上映する映画館まで、映画産業は多大な影響を受け犠牲を払ってきた。そして、「私の映画を(ストリーミングで)初公開するようなことは、絶対にしません。絶対に起き得ないのです」と、強い口調で述べると、会場から大きな拍手が起きた。「でも、これを当たり前のこととは思ってはいけないんです」と、デビュー間もなく出演した『タップス』(81)での経験を交えて話し始めた。

「ハーラン・ベイシュ将軍役を演じた、ジョージ・C・スコットとの撮影時に、彼は『博士の異常な愛情』の話をしてくれました。その時、こう思いました。『もしも、残りの人生でこの仕事を続けられるのならば、この光栄に感謝し続けます』と。そして、私にできることは、常にベストを尽くすことだと悟りました」。映画館で映画を鑑賞できることも、当然のことではない。映画産業に関わるすべての人々が最善を尽くした結晶であり、トムはそのために何度も映画公開を延期し、すべての人が最適な時に映画館で映画を観られるようにと考慮したのだろう。

■「観客をワクワクさせるためにはどうしたらいいか?頭に浮かんできたのは、4歳の自分の姿でした」

トークショーの後半では、司会者が「『ミッション:インポッシブル』では、危険だとわかっているのに、どうして自らの生命を危険に晒すのか?」と、誰もが聞きたい質問を単刀直入に聞いていた。トム・クルーズの答えは、「ジーン・ケリーに、『なぜ自分で歌うのか、なぜ自分でダンスするのか』とは誰も尋ねないでしょう。ミュージカルをやるからには、自分で踊りたいし、自分で歌いたいものです。これは私の初プロデュース映画です。

パラマウント映画に行って、テレビシリーズの「ミッション:インポッシブル」を映画化したいと言った時、誰もが『やめておけ』と言いました。でも、いままで映画を作ってきて、映画製作とはなにかを学び、自分にもなにかできることがあるのではないかとずっと思っていました。どうしたらアクションで観客を没入させるような映画が作れるかと考え、自分自身がアクションをやることでより接近した場所にカメラを設置できると思ったのです。床を滑る『卒業白書』にしても、海兵隊員を演じた『タップス』にしても、身体性を追求する演技は、私が時間をかけて開発したスキルなのです。曲芸飛行のパイロットを演じ、ヘリコプターを操縦し、ダンスや歌のレッスンも受けました。私がお手本に勉強した(CGなどがない)昔のハリウッドシステムでは、俳優がすべて自分でやるのは当然のことでしたから」というものだった。そして、こう続けた。

「観客をワクワクさせて映画に没頭させるには、どう構築すべきか?そう考えた時に浮かんだのは、4歳の子どもだった自分の姿でした。映画館で4歳の私が観た映画は、冒険心を与え、視野を広げてくれました。たくさんの人生や文化、冒険に興味を持ちました。他人が不可能だと言っても、自分だけは可能性を信じ努力することを学びました。そして、このシリーズで学んだことは、映画を通して観客と対話することができるということです」。

企画者でありプロデューサー、主演俳優のトム・クルーズの言葉は、私たちがなぜ「ミッション:インポッシブル」にこんなにも惹かれるのかをよく表している。彼が映画に懸ける情熱は演技や製作だけに留まらず、映画を通じた親善大使のような存在となっている。製作・出演した映画を世界中で公開しプレミアを行い、現地で映画館スタッフやファンと直接触れ合うことで、映画を通じた対話を試みる。それこそが、子どものころのトム・クルーズが「観光客としてではなく世界中を旅し、様々な国の文化の一部になるような仕事がしたい」と願った未来を、自身の手で掴んだ結果なのだ。

取材・文/平井伊都子

トム・クルーズがカンヌ国際映画祭でスペシャルトークセッションに登壇/[c]Photographs by Earl Gibson III