5月15日、沖縄本土復帰50年を迎えました。インパクトがあった記事はこれ。

基地問題「視聴率こない」』(朝日新聞5月18日

 ジャーナリスト田原総一朗氏が司会する「朝まで生テレビ!」は今年35周年を迎えた。1987年の放送開始以来420回の放送のうち、沖縄をテーマにしたことは5回ほどだという。その理由として「残念ながら沖縄の基地問題は視聴率がこないから」と田原氏は答えている。

 そもそも番組自体がつまらないから視聴率がこないのでは? という感想はさておき、この記事には「ヤフーニュース」編集部にいた人の証言も載っている。

ヤフーニュースでは、記事の見出しに「辺野古」と入ると、クリック率がみるみる下がった。一方で「沖縄県民はお酒の締めにステーキを食べる」というやわらかい話題はよく読まれた。》

 沖縄の基地問題は自分ごとに感じられていないと思ったという。

NHKに物申した産経新聞

 その一方、沖縄の基地問題を大きく取り上げすぎだと言っている新聞もあった。産経新聞である。一面コラム「産経抄」はNHK朝ドラ「ちむどんどん」の話から始まって最後にNHKに物申している。

《米軍ヘリの不時着や米軍基地反対デモなどをことさら大きく取り上げる報道姿勢もバランスを欠いていないか。沖縄復帰50年を機に改めて見直してほしいことだ。》(5月16日

 本土復帰50年の翌日、産経抄はこう書いたのだ。

NHK」「沖縄」というキーワードで言うと、5月10日東京新聞で、元NHKプロデューサーが沖縄報道について語っていた。

 元NHKの永田浩三武蔵大教授はまず、沖縄に関するテーマは大きく難しいと述べる。さまざまなニュースを扱い、日々短い枠で伝える報道機関には「沖縄」は不得意な分野だと。そして、

「節目を使って掘り下げる報道の意味はあるが、簡単ではない。節目にこだわらず、断片的でいいから沖縄で起きることを伝え続けることが大切だ」(東京新聞5月10日

 これを読むとNHKのOBは、沖縄報道はまだ足りないと思っているようだ。

 ここまで挙げてきたように、在京メディアでは沖縄基地問題に関して「視聴率がこない」「ことさら大きく取り上げる」「不得意な分野」などと考えを示している。

沖縄の地元紙の「実感」は?

 では、沖縄からはこの様子はどう見えるのか。

 私が熟読したのは共同通信の企画だった。本土復帰50年にあわせ、地元の沖縄タイムス琉球新報の編集局長の寄稿を全国に配信したのである(私は山梨日日新聞や信濃毎日新聞などで確認した)。

 抜粋しよう。まず沖縄タイムス与那嶺一枝編集局長は基地問題だけでなく憂鬱の理由は他にあると書く。一つは「女性への深刻な人権侵害である暴行事件が依然として起き続けていること」であり、もう一つは「激変する安全保障環境」。

 ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、安全保障をめぐる危機感を強めた政治家からは「台湾有事は日本有事」「核共有」「防衛予算倍増」「敵基地攻撃能力」と勇ましい発言ばかりが聞こえてくるが、沖縄の実感からするとリアルではないという。

《台湾有事の備えというならば、外交力の強化策や、武力衝突に巻き込まれる可能性が高いといわれる146沖縄県民を守る議論が政治家から出てこないのはなぜだろう。日本の中で最も切実に生活者が安全保障について考え、民主主義を問うてきた沖縄からの率直な疑問である。》

 地元沖縄からすれば、この機に「悲願」を達成したい人たちは自らの思いが先行しているだけで沖縄そのものは心配していないではないか、という実感。

 続いて琉球新報の寄稿。松元剛編集局長は、

《多くの県民が「日米関係(日米同盟)を安定させる仕組みとして、対米従属的日米関係の矛盾を沖縄に集中させる構造的差別」(元沖縄大学長の故新崎盛暉氏)が深まっているのに、大多数の国民が見て見ぬふりを決め込んでいることに不満を募らせている。》

 これは「不平等」というより「差別」という言葉を用いざるを得ないと書いている。在京メディアとの温度差がわかる。

 琉球新報は本土復帰50年の日、「変わらぬ基地 続く苦悩」という見出しを掲げた。実は50年前も同じ見出しだった。今も沖縄の基地負担は変わっていないではないかというメッセージ。この紙面はSNSでも話題になった。

菅義偉が見せた、沖縄への無関心

 沖縄への軽視。最近出版された「何が記者を殺すのか」は毎日放送MBSディレクター斉加尚代氏が書いたものだが、沖縄の基地問題ネット上でのバッシングテーマもあった。

 沖縄に対するデマや嘲笑は多い。斉加氏がデマを流した人に取材すると恥じる様子もない。あっけらかんとしている。この態度はどこから来るのだろう?

 同書にはある会話が収録されている。かつて翁長雄志沖縄県知事が菅義偉官房長官に沖縄について問うた。すると菅氏は、

「私は戦後生まれなものですから、歴史を持ち出されたら困ります」

 と答えた。沖縄と対話する政府のトップが平然と言った。

 沖縄に対してひどい、見下した態度がなぜ横行するのか。トップが無関心を見せつけるような態度なら、そこから地続きで差別の構造にも繋がっているのではないか? とも思える。

永田町から消えた「沖縄族」

 読売新聞に『贖罪と慈愛を継ぐ「沖縄族」の必要性』(5月22日)というコラムがあった。自民党にはかつて「沖縄族」とも言うべき人たちがいた。利権とは無関係に沖縄振興に奔走した。

《「沖縄族」に共通しているのは、太平洋戦争を知る世代であり、沖縄に対する贖罪の思いと深い慈愛を持っていることだ。現在の永田町を見渡しても「沖縄族」が見当たらないのが残念だ。》

 時間の流れで戦争を知らない政治家だけになるのは仕方ない。しかし沖縄に対して無関心と思える態度を平然とみせるのはおかしい。

 報道もそう。沖縄本土復帰50年の「記念日報道」をピークにしてよいのだろうか。

(プチ鹿島)

田原総一朗 ©文藝春秋