スウェーデンフィンランド5月18日北大西洋条約機構NATO)に加盟申請した。

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 ロシアウクライナ侵略を受け、両国は中立政策を放棄するという歴史的な転換を決定した。

 もし、ウクライナ2014年時点でNATOに加盟していたら、ロシアクリミア半島を併合したり、親ロ派が一方的に「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」の独立宣言をすることはなかっただろう。

 そして、今回のようにロシア国際法を無視してウクライナに侵略することもなかったであろうと誰しもが思っている。

 このように今、軍事同盟の重要性が見直されている。

 筆者は、最近の日本と英国の安全保障・防衛分野の協力関係の拡大・深化を目の当たりにして、日英同盟の復活を期待している。

 さて、日英同盟の復活といっても、締約国の一方が攻撃されたら、自動的に参戦義務を伴った条約に基づく、いわゆる攻守同盟までは期待していない。

 例えば、5月11日に英国が、ロシアの脅威から守るため、スウェーデンおよびフィンランド両国と合意した「安全保障に関する宣言又は声明」のようなものでよいと思う。

 同宣言では「一方の国が災害や攻撃を受けた場合、もう一方の国は要請に応じて軍事的な手段を含む様々な手段で支援する」と明文化されている。

 ただ、この宣言は法的義務や自動的参戦義務を規定したものでなく、要請があれば英国が軍事的な支援に向かうことを政治的に宣言するという位置づけである。

 では同盟とは何か。

 同盟の定義は学界的にも国際的にも定まっていない。

 専門家の間では自国の領域を守るため侵略に共同で武力行使する関係として狭く解釈する考え方と、安全保障のあらゆる分野で平和時から協力し合う関係として広く解釈する考え方が併存している。

 米国では、政府もメディアも、同盟条約がない国でも「ally(同盟国)」とか「alliance(同盟)」という言葉を使用しており、非常にあいまいである。

 例えば、条約がなくても米国から同盟国扱いされている国としては、イスラエルシンガポールがある。

 日本も条約がどうのこうのとか考えずに、もっと気楽に考えてもよいのではないだろうか。

 さて、本稿の目的は、日本と英国の安全保障・防衛分野の協力関係の拡大・深化の変遷を紹介することである。

 以下、初めにインド太平洋に進出する英国の外交・防衛政策について述べ、次に最新鋭空母クイーンエリザベスインド太平洋への派遣の意義について述べる。

 次に日英両国の安全保障・防衛分野の協力の拡大・深化の足跡について述べ、最後に防衛装備品に関する日英の共同研究・開発について述べる。

1.インド太平洋に進出する英国の政策

 かつて「太陽の沈まぬ国」とまで形容された大英帝国であるが、第1次世界大戦第2次世界大戦を経験して弱体化し、大戦後もその余波やスエズ動乱などを経て世界的な大国の地位から落ちていくことになった。

 しかし、グローバリゼーションが進行する現代において、英国は欧州連合(EU)からの過度な干渉を避ける一方で、より広い世界に目を向けるようになった。

 これが、21世紀の英国人のバランス感覚であり、その具体化として、EUからの離脱(ブレグジット)が決まり、「グローバル・ブリテン」という言葉が生まれた。

 そして、近年においても英国の存在感は、とりわけインド太平洋地域において大きくなってきている。

 以下、関連する事象を時系列に沿って述べる。

(1)「スエズ運河以東からの撤兵」

 英国は、戦後の経済的衰退と脱植民地化の潮流のなかで、世界規模にわたる軍事プレゼンスの展開を見直し、各地から徐々に撤退を進めた。

 1956年のスエズ危機(第2次中東戦争)での失敗は、中東における英国の影響力低下の象徴とも言われる。

 労働党ハロルドウィルソン内閣は1968年1月に、アデンからの即時撤退と1971年までにマレーシア連邦、シンガポールから撤兵することを表明した。

 これが「スエズ運河以東からの撤兵」の意味である。

 ただし、香港の租借は継続し、インド洋のディエゴガルシア島など一部島嶼の領土権益は引き続き維持された。

(2)英国病の克服

 1960年代から「英国病」とも言われた経済の疲弊とインフラの老朽化などから国防予算は長年削減を繰り返し、装備と能力更新は停滞した。

 1980年代以降に、北海油田が産出する原油を輸出できるようになったことで、「英国病」を脱した。

 国内総生産(GDP)は1992年から2008年までプラス成長が続いた。これを受け、2001年トニー・ブレア内閣は「英国病克服宣言」を行った。

 ちなみに、IMF(国際通貨基金)が発表した2021年の英国のGDPは世界第5位である。

(3)「国家安全保障戦略・戦略的安全防衛レビューNational Security Strategy and Strategic Defence and Security Review 2015)」の発表

 デービッドキャメロン首相は2015年11月23日に国防政策の指針となる「国家安全保障戦略・戦略的安全防衛レビュー」を発表した。

 今後10年間の防衛装備品の調達規模を1780億ポンド(約32兆7520億円、1ポンド=約184円)とすることや、海外での有事に対処する国際部隊の5万人規模への増強などのハード面の強化に加え、外交や援助を通じたソフトパワーの発信力強化や、欧州諸国および米国などとの連携強化などソフト面の政策も盛り込んだ包括的な内容となっている。

 装備面では、「クイーンエリザベス級空母と「F-35戦闘機を中心とする任務戦闘群」、「3個旅団の地上戦力」および航空戦力や特殊部隊からなる「5万人規模の高練度遠征兵力」を2025年までに確保するとされている。

 この文書が発表された背景には、前年の2014年ロシアクリミア併合があり、欧州においても再び国家間の対立が先鋭化してきた、という事情が挙げられる。

(4)欧州連合(EU)からの離脱(ブレグジット

 英国では2000年代以降に経済回復が進むと、EU域内、特に東欧諸国からの移民流入の増加やEUへの拠出金負担等を巡り、EUに対する国民の不満が高まっていた。

 こうした不満を背景に、2016年6月、英国のブレグジットの是非を問う国民投票が行われた。国民投票の結果を受け、テリーザ・メイ首相、ボリス・ジョンソン首相の下でEU離脱交渉が行われた。

 2020年1月末に英国はEUを離脱し、その後に設けられた移行期間経て同年12月31日に、EUから完全離脱した。

 英国がEUを離脱した根本的な理由は、「自国の事柄については自らの手で決めたい」という主権を取り戻すことであった。

 その根底にあるのも、かつて「太陽の沈まぬ国」とまで形容された大英帝国の強烈なナショナルアイデンティティである。

 また、英国のインド太平洋地域への接近については、次項(グローバル・ブリテン用語の登場)で述べるように、ブレグジットが大きな契機になっているとみられる。

(5)グローバル・ブリテン用語の登場

 グローバル・ブリテンの用語が初めて用いられたのは、ブレグジットに関する国民投票の後に首相に就任したメイ首相が 2016年10月2日保守党大会で行ったスピーチである。

 メイ氏は、次のように力強く演説した。

ブレグジットにおいて、英国は単に EU との新たな関係のみを考慮すべきではなく、より広範な世界における我々の役割を考えるべきである」

「このことにより、我々はグローバル・ブリテン、すなわち自信と自由の国として、欧州大陸を越えてより広い世界に経済と外交の場を求めていくことを考慮することができる」

ブレグジットにおける国民投票は、英国を世界から切り離すための投票ではなく、英国を奮い立たせ、世界における新しい役割を築くための投票であった」

 このようにグローバル・ブリテンの源流は、メイ首相のスピーチにあり、欧州大陸にとどまらず、広く世界に雄飛しようとする英国の姿勢がうかがえる。

(6)「香港国家安全維持法」を契機とする英国の対中認識の転換

 2015年キャメロン政権時には、中国が主導するアジアインフラ投資銀行AIIB)への参加をG7で最初に表明するなど、英中は蜜月関係にあった。

 しかしながら2020年初頭より中国の新型コロナウイルス感染症への初動対応を巡り対中懐疑論が高まっていたところ、同年6月30日に中国で「香港国家安全維持法」が施行されたことは、英国の対中認識を覆す決定打となった。

 英国は、「香港国家安全維持法」は、「一国二制度」を保障し、香港の高度自治を50年間保障するとした「英中共同声明」(1984年)に反するとして強く反発した。

 そして、英国政府は、米国やその他の民主主義国家と連携し、中国に対して対抗する姿勢を維持するとともにブレグジットの動きと並行して、近年インド太平洋地域に軸足をシフトしている。

(7)「統合レビュー」の発表

 英国政府が2021年3月16日に公表した外交・安全保障政策「競合する時代のグローバル・ブリテン(Global Britain in a Competitive Age:The Integrated Review of Security, Defence, Development and Foreign Policy)」(以下、統合レビューという)で、インド太平洋地域を世界の地政学的中心になりつつあると打ち出し、日本、韓国、オーストラリアインドなどとの関係強化を盛り込んだ。

 統合レビューでは、最新鋭空母クイーンエリザベス(QE)を年内にインド太平洋地域に派遣する方針を明記した。

2.最新鋭空母QEのインド太平洋派遣の意義

 2021年7月20日に開催された日英防衛相会談において、岸信夫防衛大臣とベン・ウォレス英国防大臣の両大臣は、

・長い歴史と伝統を有する日英防衛協力が「新たな段階」に入ったこと

・「自由で開かれたインド太平洋」の実現のための英国の関与が強固かつ不可逆的であること

・日英防衛協力が我が国の安全保障のみならず、インド太平洋地域と国際社会の平和と安定の確保に資するとともに、グローバルな課題に対処するものであることを示すものであること

 について認識が一致した(出典:防衛省HP)。

 以下、航海行程に沿って関連事象を述べる。

①2021年5月22日、空母「クイーンエリザベス」(排水量約6万5000トン、全長約280メートル)を中心とする空母打撃群が英南部ポーツマスの港を出港した。

 打撃群には英国の水上艦や潜水艦のほか、米海軍駆逐艦オランダフリゲート艦も加わり計9隻の艦船などで構成される。空母には18機の最新鋭戦闘機F-35Bを搭載する。

②同年9月4日、「クイーンエリザベス」が、米海軍横須賀基地(神奈川県)に入港した。日本への寄港は初めてである。

 空母打撃群は7日までの日程で、東シナ海から関東南方にかけての海空域で海上・航空自衛隊米海軍と防空戦、対潜戦訓練などを実施した。

③同年9月6日には岸信夫防衛大臣が横須賀に接岸中の同空母を視察した。

④同年12月9日 、「クイーンエリザベス」は、およそ7か月にわたる航海を終えて9日、海軍基地がある英国南部のポーツマスに帰還した。

 ウォレス国防相は、空母の帰還に合わせてコメントを発表し「(今回の「クイーンエリザベス」を中心とする空母打撃群の航海は)平和と繁栄の土台となる秩序と自由を守る決意を示した」と強調した。

 さて、今回の「クイーンエリザベス」のインド太平洋への派遣は、英国のインド太平洋地域へのさらなるコミットメントを示すこと、および海上自衛隊などが参加した多国間共同訓練を日本近海で実施したことは「武力による一方的な現状の変更」を図る中国を牽制する効果があったと筆者はみている。

3.日英の防衛協力、深化の足跡

 一般に、準同盟国とは同盟国に準ずる安全保障上のパートナーのことを指す。後述するが2017年8月に日英首脳会議において「安全保障協力に関する共同宣言」が発出された時点で、日英は準同盟国になったとみることができる。

 最近の日英の安全保障や防衛に関する協力関係は、「円滑化協定 (RAA)」の締結や次世代戦闘機に関する共同研究・開発など、より拡大・深化している。

 以下、時系列に沿って述べる。

(1)2013年7月4日、「防衛装備品等の共同開発等に係る枠組みを定める協定」「情報保護協定」の締結

「防衛装備品等の共同開発等に係る枠組みを定める協定」は、日英両政府が参加する防衛装備品等の共同研究・開発・生産に係る事業のために日英間で移転される武器及び武器技術の取扱いに関する法的枠組みを設定するものである。

 当該武器および武器技術の厳格な管理等について定めている。

 本協定を締結することにより、日英両政府が参加する防衛装備品等の共同研究・開発・生産において日英間での武器及び武器技術の移転が可能となる。

 我が国の安全保障に資するほか、日英間のより緊密な防衛装備・技術協力、我が国の防衛生産・技術基盤の維持・強化に寄与することが期待される。

 なお、米国以外でこのような枠組みに合意するのは英国が初めてである。

 また、「情報保護協定」の締結により、日英間の情報共有および情報協力の向上のための基盤が整備され、安全保障に資する秘密情報を両政府間でより円滑・迅速に交換できるようになることが期待される。

(2)2015年1月21日、初の日英外務・防衛閣僚会合(2+2)を開催

 英国を訪問中の岸田文雄外務大臣および中谷元防衛大臣は、フィリップハモンド外務・英連邦大臣及びマイケル・ファロン国防大臣との間で初の日英外務・防衛閣僚会合(2+2)を行い、次の内容の共同声明が発出された(肩書は当時)。

①4大臣は、2014年5月1日安倍首相の英国訪問時に発表された共同声明に述べられている「両国間のダイナミックな戦略的パートナーシップ」を再確認した。

②4大臣は、この70年間にわたる世界の繁栄と安全保障に対する両国の貢献を認識しつつ、公海、サイバー空間及び宇宙空間といったグローバル・コモンズを保護し、法の支配および国際的な規範に基づく国際システムを支援するために協働する意欲を再確認した。

③4大臣は、国連海洋法条約を含む普遍的に認められた国際法の諸原則にのっとり、海洋をめぐる南シナ海における紛争を平和的に解決することの重要性を再確認した。

(3)2017年1月27日、「物品役務相互提供協定(ACSA)」を締結

 日英ACSA(Acquisition and Cross Servicing Agreement)は、自衛隊と英国軍との間において、物品・役務を相互に提供する際の決済手続等の枠組みを定める協定である。

 この協定は、平和安全法制の内容を踏まえ、主に以下のものを協定の対象とする。

自衛隊と英国軍の双方が参加する訓練のための物品役務提供

②国連平和維持活動(PKO)、国際連携平和安全活動、人道的な国際救援活動、大規模災害への対処のための活動のための物品役務提供

③外国での緊急事態における自国民等の保護措置又は輸送のための物品役務提供

④連絡調整その他の日常的な活動のための物品役務提供

⑤それぞれの国の法令により物品役務提供が認められるその他の活動のための物品役務提供

(4)2017年8月31日、「安全保障協力に関する日英共同宣言」を発出

 安倍晋三首相(当時)は、訪日中のメイ英首相と日英首脳会談を行い、会談後「日英共同ビジョン声明」、「安全保障協力に関する日英共同宣言」などを発出した。

「日英共同ビジョン声明」では、「日英両国は、アジアおよび欧州において、互いの最も緊密な安全保障上のパートナーであり、安全保障及び防衛は両国の関係の礎石である」と述べた。

 また、「安全保障協力に関する日英共同宣言」では、「日本の『積極的平和主義』と『グローバル・ブリテン』という英国のビジョンにより具体化された、グローバルな戦略的パートナーシップを次の段階へと引き上げるコミットメントを再確認した」「世界において、特にインド太平洋地域において協力を強化する」と述べた。

(5)2022年5月5日、円滑化協定(RAA)締結の大枠合意

 ロンドンを訪問した岸田首相がジョンソン英首相と会談し、両首脳は自衛隊と英軍の相互訪問時の法的基盤となる円滑化協定(RAA:Reciprocal Access Agreement)締結に向けた大枠合意を確認した。

 RAAは、相手国に一時的に滞在する際の刑事手続きなどを定めて共同演習や災害救助活動の円滑な実施につながるもので両国間の防衛協力をさらに深化させるものとなる。

 日本が2国間で相手国軍の法的地位を定めた協定に署名すれば、米国とオーストラリアに続き3カ国目となる。

 日英円滑化協定(RAA)がどのようなものになるか。参考になる日豪円滑化協定(RAA)の内容を次に紹介する。

 日豪の一方の国の部隊が他方の国を訪問して協力活動を行う際の手続および同部隊の地位等を定める。(出典:防衛省HP)

①訪問部隊、その構成員等が、接受国において接受国の法令を尊重する義務

②訪問部隊の船舶・航空機等によるアクセス、訪問部隊の構成員等の出入国時の手続

③輸入時や滞在中の資材等の取得・利用の際の課税の扱い(免税等)

運転免許、資格、武器の携帯、武器の輸送等の滞在中の活動に関連する取決め

⑤協力活動参加のための自国の費用の負担等

⑥環境、人の健康等の保護に適合する方法による協定の実施

⑦訪問部隊の構成員等が関係した事件・事故発生時の対応等

⑧両締約国の協議機関としての合同委員会の設置

 今後、日英政府は滑化協定締結に向けて政府間交渉を行う。

(6)2021年7月20日、岸防衛大臣とウォレス英国防大臣との日英防衛相会談

 ウォレス大臣からは、昨今の日英防衛協力の深化を歓迎し、日本のような価値を共有する国との協力を強化したい旨の発言があり、岸大臣からは、基本的価値を共有する英国と我が国が、共にインド太平洋地域で直面している課題に立ち向かう必要があるとの発言があった。

 さらに、両大臣は、特にエンジンシステムに重点を置きつつ、両国の次期戦闘機に係るサブシステムレベルでの協力を追求するため議論を加速することで一致した。

4.防衛装備品に関する日英共同研究・開発

 日本は、1967年に「武器輸出三原則」を制定して以来、武器と関連技術の海外移転を厳しく規制してきた。

 しかし、米国政府からの防衛分野技術の相互交流要請をうけ、1983年中曽根康弘内閣が三原則の例外として米国に武器技術を供与することを決定した。

 それ以後もたびたび例外が認められ徐々に三原則が緩和されてきた。

(1)「武器輸出三原則」緩和の経緯

 以下、武器輸出三原則の緩和に関連する事象を時系列に沿って述べる。

①2011年12月27日、野田内閣は、安全保障会議を開き、原則としてすべての武器や関連技術の輸出を禁じた武器輸出三原則等を緩和する「防衛装備品等の海外移転に関する基準」を決め、藤村修内閣官房長官の談話として発表した。

 この基準では、「平和貢献・国際協力に伴う案件」および「我が国の安全保障に資する防衛装備品等の国際共同開発・生産に伴う案件」について、それぞれ一定の基準の下に防衛装備品等の海外移転を可能にした。

「平和貢献・国際協力に伴う案件」に係る基準では、政府間の枠組みにおいて、我が国政府による事前同意なく目的外使用および第三国移転がないことが担保されるなど厳格な管理が行われることを前提とする。

「我が国の安全保障に資する国際共同開発・生産に伴う案件」に係る基準では、「我が国との間で安全保障面での協力関係があり」、「その国との共同開発・生産が我が国の安全保障に資する」場合で、「参加国による目的外使用や第三国移転について我が国政府による事前同意を義務付けるなど厳格な管理が行われること」 を前提とする。

 この新基準により、米国や友好国との防衛装備品等の共同開発・生産が可能となった。

②2012年4月10日野田佳彦首相(当時)が、来日したキャメロン英首相と会談し、防衛装備品の共同開発に取り組むことで合意した。

 日英共同開発は、日本が2011年12月に武器輸出三原則を緩和したことを受けた初めての措置で、米国以外との共同開発も初である。

③2013年7月4日、上記したが、「防衛装備品等の共同開発等に係る枠組みを定める協定」及び「情報保護協定」が締結された。

2014年4月安倍内閣が「武器輸出三原則」に代わる「防衛装備移転三原則」を閣議決定した。

2014年7月17日、安倍内閣は、国家安全保障会議(NSC)の閣僚会合を開き、迎撃ミサイルパトリオット2(PAC2)」の部品の米国への輸出と、F-35戦闘機搭載のミサイル技術をめぐる日英共同研究を認めた。

 この2つの事例は、4月に定めた「防衛装備移転三原則」の下で初めての防衛装備品等の海外移転となる。

(2)次期戦闘機に関連する日英共同研究・開発

 英国は現行の主力戦闘機ユーロファイター・タイフーン」の後継として、次期戦闘機テンペスト」の2035年までの実戦配備を目指している。

 日本も、「F-2戦闘機の退役が始まる2035年頃までに、次期戦闘機の配備を始めたいとしている。

 このため、日英の次期戦闘機の開発時期が重なるため、共通する分野での効率化も期待できるとして、次に挙げるミサイルエンジン及びレーダーに関する共同研究・開発が進んでいる。

 2014年11月25日防衛省と英国防省は、新たな空対空ミサイル(JNAAM:Joint New Air to Air Missile)について共同研究することで合意したと発表した。

 共同研究は、英国のミサイル関連技術に、日本のシーカー(ミサイルの目標追尾装置)技術を組み合わせた場合のミサイルの誘導性能などについてシミュレーションを通じて分析するもので、将来の共同事業の実現可能性を検討するための材料とするものである。

 2021年12月22日防衛省は、次期戦闘機開発について、英国防省との間でエンジンの実証機開発を2022年1月に開始することで合意したと発表した。

 日英間の協力で英国側はBAE Systems社とRolls-Royce社が、日本側はIHI社が参加し、当面は双方の技術を利用したエンジンの実証機を共同開発すると同時に、他の主要部品についても共同開発の可能性を探る。

 2022年2月15日、日英両政府は、協定書を結び、次期戦闘機向けの高性能センサーシステムを共同開発すると発表した。

 日英が共同開発するのは、両国双方の次期戦闘機用の次世代RF(電波)センサーシステムジャガーJAGUARJapan and Great Britain Universal Advanced RF system)」である。

 さて、2022年5月14日、「次期戦闘機の開発をめぐり、日英両政府は英国の航空・防衛大手BAEシステムズと日本の三菱重工業を主軸とする日英共同開発を行う方向で調整に入った」とする内容の記事を日本の大手メディアが一斉に報じた。

 政府は2018年12月に閣議決定した中期防衛力整備計画(中期防)で、次期戦闘機について「我が国主導の開発」と明記していたが、もし、この報道が事実ならば、「日英での共同開発」に転換したことになる。

 これまでのところ政府からの正式な発表がないので詳細は不明である。

 一度国産と決めたものをここに来て日英の共同開発に転換する理由は何か。日英同盟への布石であるならば筆者は歓迎する。

おわりに

 かつての「日英同盟」は、1902年1月30日に結ばれた。

 日本と英国が同盟を結んだ最大の理由は、ロシアアジア進出への対抗である。

 同盟の効果が最も発揮されたのは、1904年に起きた日露戦争である。

 日本は、膨大な戦費を賄うため公債を発行するが、その引き受けについても英国が便宜を図り、日本を助けた。

 また、日英同盟のおかげでフランスなどの他の国が参戦しなかったため、日本はロシアとの戦いに集中できた。

 さらに、連合艦隊が、世界最強と恐れられていたロシアのバルチック艦隊に勝てたのも、英国の協力があったからである。

 当時は、ヨーロッパからアジアへ向かう近道「スエズ運河」を英国が支配しており、バルチック艦隊はやむなくアフリカ大陸を回って日本を目指したが、途中にある港のほとんどが英国の領地だったため、バルチック艦隊の動きは逐一日本にもたらされた。

 日英同盟によって、弱小国の日本が大国のロシアに勝利することができたといっても過言でない。

 日英同盟は、世界情勢の変化に伴い、20年余りでその役目を終え、1923年に解消された。

 現下のウクライナ情勢は同盟国の重要さを再認識させた。

 機は熟している。今、かつて同盟国であった英国との同盟を復活すべき時であると筆者は考える。

 そして、将来はAUKUS(米英豪安全保障協力)を中心として、日本をはじめアジア民主主義国が参集した「アジアNATO」が創設されることを願っている。

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