本来なかったのにあることにされ、今もあるのになくなったようにされている――。

簡単には言い表せない「部落差別」をテーマにしたドキュメンタリー映画『私のはなし 部落のはなし』が公開中だ。3時間25分にもわたる長編で、差別を受けてきた当事者の苦痛や葛藤が伝わる作品となっている。

監督の満若勇咲さんは現在35歳で、京都府内で生まれ育った。大学生になるまで「部落差別」について意識することがなかったという。そんな満若さんが、どうして部落差別をテーマに映画をつくろうと思ったのか、本人に聞いた。(ライター・碓氷連太郎)

●過去に劇場公開中止という「挫折経験」があった

――何がきっかけで「部落差別」について興味を持ったのですか?

大阪芸術大3年生の実習で、牛が解体されて食肉になる過程を描いた、『にくのひと』というドキュメンタリー映画を制作したんです。「普段、自分が食べている肉は、どうやって作られているのだろう?」という純粋な興味からで、それまで「部落差別」について意識したり、関心を持つことはありませんでした。

『にくのひと』は2007年に完成して、上映会を開いていたのですが、劇場公開が決まった2010年、部落解放同盟から抗議を受けました。映画の中で屠場の住所に触れているので、そこが被差別部落だとわかってしまうということが理由の一つでした。

「公開されている情報だ」と反論したのですが、出演者との関係にもひびが入ってしまった。そのことがあったので、劇場公開を中止しました。その後はカメラマンとしてテレビ番組の制作現場にいたのですが、2016年に『全国部落調査』復刻事件というのが起きたことで、もう一度向き合ってみようと思い、裁判の傍聴に通うようになりました。

――全国の被差別部落の地名や地名職業等を記載した『全国部落調査』(昭和11年発行)の地名を現代のものに修正した「復刻版」を出版しようとした事件ですね。多くの人が抗議し、出版差し止めとウェブサイト掲載禁止を求めた訴訟も提起されましたが、なぜこの事件に興味を?

30歳までは下積みしようと思っていたのですが、ちょうど30歳になった年にこの裁判がはじまったのです。裁判の争点の一つは「地名が掲載されている」ということ。かつて僕が受けた抗議と重なる部分があったので、どういう判決が出るのかに興味を持ちました。

あとは、当時カメラマンとして、ドキュメンタリー番組に関わっていたのですが、やっぱりもう一度、監督として自分の作品を作りたいという気持ちが芽生えて。次に何をテーマにしようかと考えたところ、劇場公開できなかったという挫折経験を持つ「部落問題」を選ばなければ、その後も撮り続けていくことができないのではないかと考えたんです。

映画の一場面(C)『私のはなし 部落のはなし』製作委員会

●「部落差別」を残してきた日本人の意識を描きたい

――映画には、地域も年齢も違う人たちが登場し、それぞれの思いや差別経験について語っています。中には匿名で差別意識をむき出しにする女性や、『全国部落調査』を復刻しようとした出版社代表もいます。この代表とともに被差別部落に行き、彼の姿をそのまま映しているのはなぜですか?

僕自身、作り手側の倫理として、出演者に対して最低限の敬意を払わなくてはいけないと思っています。もちろん、彼と僕の考えが一緒であるはずがありません。その前提の上で、まずは1人の人間として接して、そこで撮影しながらどう見えてくるかが大事だと思っています。

僕はあくまでも彼自身の姿を映すことで、彼を通して「部落差別」を残してきた「日本人の意識」を描きたかったんです。初めから「この人は悪い人だ」といったレッテルを貼った状態で接していたら、本人が何を意識しているかがきちんと見えてこないものです。

――被差別当事者の苦痛や葛藤が伝わる作品になっていますが、監督自身は部落差別の非当事者(ルーツをもたないとされる立場)として、当事者の思いをどう受けとめながら制作を続けましたか?

自分が非当事者であることは、強く意識しました。非当事者として、どう当事者に関わっていくというところはテーマの一つでもあったので、だからこそ差別する側も描きました。

現在まで、なぜ「部落差別」が続いてきたのかは、日本人の差別意識を描かないと見えてこないし、それを外したら「部落問題」を描いたことにはならないと思うんです。差別を受けている当事者が差別する側の言葉を聞くのは酷だし、そこに不快感や怒りがあるのは当然の感情なので、それは非当事者である自分の仕事だろうという発想はありました。

僕は差別されている側の「本当の痛み」はわかりません。安易に「わかるよね」とは言えないので「わからない」と明言しています。取材を進めていると、瞬間、瞬間にはわかったような気になることもありますが、当事者はその思いを四六時中抱いて、この先も抱いて生き続けないとならない。

その感覚を僕が共有することは不可能で、むしろ非当事者が自分事として捉えることができるのは、無関心だったり、差別する側の意識だと思っています。差別される側の痛みに寄り添うのはもちろん大事なことです。だけど、それだけでは「かわいそうだね」という一過性の思いで終わってしまう気がしていて、まずは自分の立ち位置を自覚した上で関係性を築く必要があると思います。

映画の一場面(C)『私のはなし 部落のはなし』製作委員会

●「なんとなく怖い」という曖昧な捉え方がフェイクを呼ぶ

――ある出演者が、被差別部落にある建物をイベント会場にしようとしたら、同級生から「怖いと思う子がいるかもしれない」と言われてショックを受けるシーンがあります。この「何となく怖い」というイメージを、被差別部落に対して持ち続けている人は今も多いと思います。

そういう意識が残っているからこそ、この映画を作ったというところはあります。ある種言葉の問題というか、「なんとなく怖い」という曖昧な捉え方をしているから、「あの地域は補助金をたくさんもらっている」「血が濃い」とか根拠のないことを言ってしまうと思うんです。

この思いを克服するのは難しいかもしれないけれど、「部落差別」について語っていくことで、見え方が変わっていく部分があるのではないか。

――どんな人に作品を見てほしいと思いますか?

基本的には「部落問題」をよく知らないとか、なんか聞いたことあるけどよくわからないという人に見てもらえたらと思います。

残念ながら、多くの人は、前提なしで「部落問題」をテーマにした映画を見るのはなかなか難しいと思うので、歴史的な資料などをもとに情報量を多くしたので、3時間半の長さになりました。

でも、お勉強的なものにしたつもりはなくて、映画としての面白さにこだわりつつ、出てくる人たちの感情の機微を通して、部落問題の現在をつかめるような工夫をしています。

――3時間半は長いなと、ご自身でも思いましたか?

長いなとは思いつつも、そうせざるを得ませんでした。当初は3時間にしようとそぎ落としていったら結果的に描き方が甘くなって、出演者の感情がきちんと伝わらないと感じました。編集技師からも「もう3時間も3時間半も変わらないんじゃないの?」といわれ、205分に伸ばすという決断を下しました。

●公開情報

『私のはなし 部落のはなし』は5月21日から、東京都渋谷区のユーロスペースをはじめ全国で公開されている。

部落差別する側にも迫り、日本人の意識を浮き彫りにしたい 非当事者の映画監督が描いたリアル