【横浜・みなとみらい発】桑名さんは、「第一志望の人生ではなかった」とか「学生時代は全然勉強しなかった」といったややネガティブな言葉をさらりと口にする。いわゆる自信満々の経営者像とは対極にある感じだ。でも、人並外れた勉強や努力を重ねてこられただろうことは、はたから見てもすぐわかる。対談の終わりに「考えることが楽しい。でも、自分がやっていることすらわかっていないのかもしれない」と語る桑名さんは哲学的ですらある。にこやかな対話の裏に深い思索が必要なことを改めて思い知る。
(創刊編集長・奥田喜久男)

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●充実したプロジェクトマネジャー時代



奥田 子どもの頃からモノづくりの楽しさを知ってこられた桑名さんですが、NTTに入ってからもそうしたワクワク感を味わうことはできましたか。

桑名 もちろん今もワクワクしていますが、やはりモノをつくっている時期はとても楽しかったですね。

奥田 いつ頃まで具体的なモノづくりに携わっておられたのですか。

桑名 42歳くらいまでですね。モノづくりの現場では、ある時期からプロジェクトマネジャーを任されることが多かったですね。

奥田 それはどのようなプロジェクトですか。

桑名 例えば、1988年頃のことですが、コンピューターのダウンサイジングの流れに伴い、NTT内でのソフトウェア開発環境を、サン・マイクロシステムズのUNIXワークステーションとTCP/IPの技術を組み合わせて構築するというプロジェクトに携わりました。五反田にあった現在のNTTコムウェアのビルに1500台ほどのワークステーションを設置するという話で、実際にネットワークが動くかどうか、アーキテクチャー構築と性能評価をしました。これは面白かったですね。

奥田 まさに技術革新の最先端で、その変化に立ち会われたということですね。

桑名 そうですね。それから、1993年に赴任していた米国から日本のソフトウェア研究所に戻ってくるのですが、それは研究所そのものが品川から武蔵野に移転するというタイミングでした。その移転先のビルが古いつくりだったので、そのビル全体をソフトウェア開発や研究ができるような形に改装することを任されました。

 プロジェクトチームをつくってリニューアルプランを検討し、天井裏と床をすべてつくり直すことにしました。このとき初めて二重床をつくり、ストラクチャード・ワイヤリングを取り入れて、フロアの真ん中にコンピューター制御室のようなものを設け、そこからいつでも自分の好きなところにネットワークを張れるパッチパネル方式のシステムをつくったのです。

 この研究所のリニューアルが無事に済んでから、米国からサン・マイクロシステムズなどの技術者たちが視察に来たのですが、「このネットワークはよくできており、世界では上位2%以内に入る」と言ってくれたんです。そういうことも、仕事を楽しくしてくれましたね。

奥田 上位2%という評価は、どう捉えたらいいですか。

桑名 当時のサン・マイクロシステムズやシスコなどと同等のネットワーク環境というところでしょうか。

奥田 まさに、世界トップクラスのネットワーク環境をつくられたということですね。


●イノベーターだけのマーケットでは

ビジネスとして成功しない



奥田 これまで携わってこられたプロジェクトでのアーキテクチャーの発想は、ご自身の頭脳から次々に湧き上がってきて完結するものなのですか。

桑名 いいえ、そういうことはまったくありません。私はプロジェクトマネジャーとして数多くの案件に携わってきましたが、周囲の人たちの助けなしにはそれぞれのプロジェクトを完遂することはできなかったと思います。

 本を読んで設計したり、世界の状況を調べてもっといいモノはないかと探したりすることはできますが、詳細な部分についてはそれぞれ専門があり、自分ひとりでつくり上げることはできません。例えばネットワークシステムを構築する場合、おおまかな全体像を描くことはできても、細かなケーブル類の詳細設計までできるかといえば、それは私にはできないわけです。

奥田 やはり、各分野の専門家の力を結集しないとモノづくりは完結しないということですね。

 ところで桑名さんには、本紙の昨年8月30日号「KEY PERSON」欄にご登場いただいていますが、その中で「研究の成果物がそのままビジネスに結びつくかといえば、そうでないケースのほうが多い」と述べられています。このくだりが頭の隅にずっと引っかかっていたのですが、あらためてその理由についてお話しいただけますか。

桑名 NTT研究所は相当に優秀な人材の集まりだと自負していますが、それだけに、私の感覚では、その研究内容は今の社会のニーズを考えると10年くらい早いんです。当然ながら、研究者は早く成果を世間に発表したいわけですが、新たな製品やサービスに最も早くアクセスしようとするイノベーター層だけを対象にしても、ビジネスになりにくいという現実があります。

奥田 もっとじっくり構えて、大きなマーケットを狙わないと厳しいということですか。

桑名 なかなか我慢強く育てられないという側面はありますね。種を蒔いて芽が出ても、継続的に水や肥料を与えなければ大きく育てることはできません。

奥田 もしかすると、他のメーカーとは役割が違うのかもしれませんね。NTT技術者は、既存のモノを育てるよりもゼロから新たなモノを創造するほうが得意なのではないでしょうか。

桑名 その部分は、私にとって大きな課題だと考えています。ネットワーク以外、世界を席巻するような大きなビジネスを育てられていないわけですから。

奥田 でも、NTTは通信分野における標準化をはじめとして、国内の大メーカーを育ててきたと私は見ています。業界を俯瞰してみると、NTTは国内メーカーの“土壌”としての役割を果たしてきたのではないかと感じます。

桑名 そういうご理解をいただけるとありがたいですね。

奥田 これまでNTTの技術の中枢で活躍され、現在も要職を務めておられる桑名さんですが、今後10年を見据えて、どんなことをしていかれますか。

桑名 最近考えているのは、新しいモノをつくることよりも、どのようにして次代のスーパーエンジニアをつくっていくのかということなんです。

 チームで助け合いながら仕事を進めることは大切ですが、それ以上に重要なことは、ある分野においてプロフェッショナルであることであり、それが生き残りにつながります。ですから、私はプロフェッショナルになるための基本的な考え方を語り続けなければならないと考えているんです。

奥田 プロを育てることも、これからの新しいモノづくりに欠かすことはできないということですね。今日はいいお話を聞くことができました。ますますのご活躍を期待しております。


●こぼれ話



 話を聞いていて、楽しさや嬉しさが存分に伝わってくることがある。その時はこちらも楽しく、また嬉しくもなる。それは桑名栄二さんが幼少の頃の話をされた時だった。林業国の高知県にあって、お父上は木の苗を栽培する仕事をしておられた。山奥であったという。苗を育てるための施設や設備をすべてご自身で作られたそうだ。その作業過程を見ていて「なんと楽しかったことか」と、柔らかに微笑みながら思い出話をされた。親と子が織りなす回想シーンは私の頭では映像となって回っていた。いい話だ。話の内容はもちろんなのだが、それだけではない。楽しそうに語るその様子に心を惹かれた。楽しさは存分に伝わってくる。そんな時はこちらも同じ気分に浸れるから嬉しい。自分を取り巻く空気感、もう少し大きくいえば“環境”が自分に与える影響は絶大なのだと改めて思った。

 気分がほぐれると、会話もスムーズに運ぶ。それには訳がある。対談の開始時刻になって桑名さんが部屋に入って来られた。その時に感じた印象が、“怖かった”のである。何かほかのことを考えながら、真剣な眼差しで入ってこられた。おそらくこの前の雰囲気を引きずってこられたのだろうか。名刺交換をして、雑談めいた話を振りながら、少しずつ本題に入った。NTTという国の通信技術インフラを支える事業体の役割から、上京に至るまでの少年期の話題へと話が及んだ。中学生から寮生活を経験して、勉強漬けの毎日。医学部志望であったこと。医師志望が多い校内の影響を受けていたが、いつの頃からかモノづくりに目覚め、技術者を目指す。そこで父親の回想話へと続くわけだ。自宅には電気工事業者並みの設備が整っていて、近所の家から電気関係の相談があると、出かけて行く。父親がテレビアンテナを立てていた様子を楽しそうに話された。こうしたエピソードを聞きながら、お父さんと同じような道を歩んでおられることを確信する。なんだ親子そっくり、と独り言

 対談企画『千人回峰』は、「人とは何ぞや」という解を求めている。桑名さんは高知で生まれ、現在NTTテクノクロスの社長だ。64歳。人には、現在に至るまでにいくつの分岐点があり、分岐点には事の重要度の温度差がある。自己判断もあれば、時の流れや、運命と感じる時もある。美空ひばりの歌に『川の流れのように』がある。心に染みる好きな歌だ。『千人回峰』では、人の歩む道を考え続けて300人を超える方々と語らってきた。まだまだ暗中模索の探求の旅を続けているが、今一つ確信し始めたことに、“遺伝子”の存在がある。この影響は大きい、と感じている。見た目の容貌もそうだけれど、心のあり方も然りだ。特に心の中の、コンピューター的にいうと、オペレーティング・ソフトウェア(OS)はより近いものである、と考えている。人のOSはどのようにして成り立っているのか。完成されたもので存在しているのか。後天的に進化するものなのか。もし進化するとしたら、その遺伝子コードは書き換えられるのか。桑名さんというソフト開発のプロ中のプロと会話をしながら、頭の中ではあの名曲が流れていた。「生きることは旅すること…」。

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。

奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)

<1000分の第306回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
2022.3.28/神奈川県横浜市のNTTテクノクロス横浜事業所にて