漫画家イラストレーターとして活動しているグラハム子さん。家族のほのぼのとした日常を描いたコミックエッセイがSNSで話題となり、Instagramのフォロワー数は10万人(2022年5月現在)を超える。

 そんな彼女が2022年2月、実体験をもとにした衝撃的な内容の漫画を出版した。タイトルは『親に整形させられた私が母になる』(KADOKAWA)。

 母ひとり子ひとりの環境で育ったグラハム子さんは、幼い頃から母親に“価値観”を押し付けられてきたという。いわゆる“毒親”だった母親に対して、彼女はどんな思いを抱きながら過ごしていたのだろうか――。(全2回の1回目/2回目に続く)

※なお、グラハム子さんが母親の意向で行った二重まぶた埋没法は数年で取れて、現在は整形をしていません。

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整形させられた母との“いびつな関係”

――『親に整形させられた私が母になる』には、お母さまとグラハム子さんの衝撃的なエピソードが多数収録されています。

グラハム子さん(以下、グラハム子) タイトルから「えっ?」って思いますよね。幼いときから「可愛くないと不幸になるから、大きくなったら整形しましょうね」と母に言われ続けてきました。そして実際に、高校入学前に美容外科に連れて行かれました。

 整形自体が悪いことだとは思わないのですが、本来は“自分の意思”でするものなのに、私の場合は親に押し付けられてしまって……。

 あとは、周りより勉強や運動ができないと「恥ずかしくて外を歩けない」と言われたし、ストレスで摂食障害になったときは「人様に知られたらどうするの」と病院に行くことすら許してもらえませんでした。

――そういった内容は、思い出すことさえ辛かったのでは。

グラハム子 少し前までは思い出してモヤモヤすることも多かったのですが、今は母とのエピソードを過去のものとして割り切っていますね。

 母への気持ちを解消するために、大人になってから人格形成や愛着障害に関する本を読み漁った時期があって。知識として吸収していくことで、私と母の“いびつな関係”を自分の中で一旦消化できたんです。

――お母さまとのエピソードを公開したのはなぜですか?

グラハム子 モヤモヤを消化できるまでは「いつか漫画にしたい、でも思い出すのは辛い」と思っていました。でも、自分の中で消化できたことで「今なら描ける!」と思って個人のSNSで投稿を始めて、それをウェブメディアの「ウーマンエキサイト」で連載するようになって。

 いざ描いてみると、過去の私と同じように親との関係に悩んでいる方々からの応援メッセージをたくさんいただいたんです。「私の体験談を発信することで救われる人がいるなら、書く意義があるな」と思っていたところ、KADOKAWAさんからご連絡をいただき、書籍化することができました。

「あなたは可愛くない」と言われ続けた幼少期

――書籍でも描かれていますが、改めてどんなお母さまだったのかを教えてください。

グラハム子 母は私が2、3歳の頃から「一重まぶたは可愛くないから、大きくなったら整形しようね」と言っていましたね……。子どもの頃は可愛くないから幸せになれない、幸せになるには母の言う通り整形しなきゃいけないと思っていました。今なら「あなたは可愛くない」と言われても、「え? 私はそこそこ可愛いけど?」って冗談を返せますけどね(笑)

 学生になってからは、「偏差値が高くて歴史のある高校に入らないと失敗」だとか、さらに価値観の押し付けが増えてきて。それに従わないと「お母さんはあなたの幸せを願ってこんなに考えているのに、あなたは不幸になりたいの!」と怒ったり落ち込んだりするから、私も頑張らなきゃと必死でした。

「美大に行って美術教師になるの」と育てられ……

――進路も押し付けられるようになったと。

グラハム子 私は美術大学の出身なんですが、実は美大に進学したのも母の希望なんです。どうやら母自身が美大に憧れていて、学生時代に行きたかったらしくて……。自分の夢を私に叶えさせるために、小さい頃から「あなたは将来、美大に行って美術教師になるの」と育てられてきました。

 母の希望通りに美大に入るために、高校3年生の夏に部活を引退してから急いで絵画専門の予備校に入って、猛勉強したんです。私は大学で油絵を専攻していたのですが、予備校に通うまで専門的に学んだこともなかったし、昔から絵を描くのは好きだったけど、油絵には正直あまり興味がなかった。でも、油絵や日本画みたいな“真面目な絵”を描いて欲しいという母の希望だけで専攻を決めましたね。

――実際はどんな絵が好きだったのでしょうか。

グラハム子 幼い頃は少女漫画の絵をよく模写していました。「セーラームーン」とか、「赤ずきんチャチャ」とか、あとは「姫ちゃんのリボン」とか! 

 中学生になってからは、イラストレーター326(ミツル)さんの絵も好きでよく真似して描いていましたね。子どもながらに漫画の模写は上手だったので、母も口では嫌がりながら、「この子は絵の才能があるのかも」と期待していたのかもしれません。

高3の進路決定時には摂食障害で体も心もボロボロ

――では、子どもの頃から本心では漫画家になりたかったのですか?

グラハム子 いや、高校時代はダンスが好きでミュージカルスターに憧れていました。宝塚とか、劇団四季に入ることが夢だったんです。でも母に「ミュージカルスターになりたい」と伝えたら、話すら聞いてもらえませんでした。

 だから母に隠れてアルバイトをして、モダンバレエの教室に通っていました。授業も部活も真面目に出て、成績を落とさないように勉強もして、体型維持のためにダイエットもして……。そうやって忙しすぎる日々を送っていたら、高校時代にストレスで摂食障害になってしまったんです。過食と嘔吐を繰り返し、体重は30キロ台まで減ってしまいました。

――摂食障害で病院に行きたいとお母さんに伝えても、近所の目を気にして取り合ってくれない描写が書籍にもありますよね。

グラハム子 整形するためには進んで病院に連れて行くのに、病気を理由には連れて行ってくれないっておかしな話ですよね。

 高校3年で進路を決めるときには、摂食障害の影響で体も心もボロボロになっていた。だから「ミュージカルスターになりたい」という自分の夢を改めて母に伝える気力もなくて。結局は、先ほどお話ししたように、母に言われるがまま進路を決めたんです。

 ただ、「うちのお母さんってもしかしてほかの親と違う……?」と思い始めたのは、この進路の選択がきっかけだったかもしれません。

――それはどういうことでしょう。

“自分の意思”で進路を決めた同級生ショックを受けて……

グラハム子 当時、私は地元で“進学校”と呼ばれている高校に通っていました。偏差値の高い高校に入ったんだから、いい大学に進学して、安定した仕事に就くのが正解。それ以外は失敗だと思っていて。ましてや、親の希望を無視して自分の“やりたいこと”を押し通すなんて、わがままで悪いことだと信じて疑わなかった。

 でも周りの友達は、私と違って“自分の意思”で進路を決めていたんです。しかも、ある友達が「ダンスを専門的に学びたいから、大学じゃなくて専門学校に進学する」と言い出したとき、その子の親も担任の先生もその選択を反対せずに、むしろ応援したんですよ。

 私からしたら“あり得ないこと”なので、「子どもが自分の意思を押し通すのは悪いことなんじゃないの? なんでみんな応援しているの!?」とショックを受けたのを覚えています。

幼稚園のときからスポーツを強制させられる

――幼い頃から植え付けられたお母さまの価値観が、グラハム子さんの心を縛っていたんですね。

グラハム子 そうですね。母からは容姿や進路についていろいろ言われてましたけど、特にトラウマなのはスポーツを強制されたことかな。

――なぜスポーツトラウマに?

グラハム子 母の勧めで、とある運動系の習い事を幼稚園から始めました。中学生になるときは、わざわざそのスポーツが強い学校に行かされて。中学時代は大会でもそれなりの成績を残せていました。

 でも、高校に入ったとたん「このまま続けてもあなたが惨めになるだけだから、もうこのスポーツは辞めなさい」って言われました。私は幼稚園からそのスポーツをやっているのに、中学校から始めた子に成績を抜かれたことが母は許せなかったみたいで。私は母が応援してくれていると思っていたから頑張っていたのに……。「結局は何も見てくれていなかったんだ」と感じて、当時はショックでした。

 高校で一旦そのスポーツを辞めたのですが、大人になって母の希望通りに美術教師になったときに、そのスポーツの部活顧問を任されることになって……。

――美術教師なのに、美術部ではなく運動部の顧問に。

グラハム子 美術部の顧問もしながら、です(笑)。赴任先の学校で、私がそのスポーツの強豪校出身だってバレてしまって。同僚の先生から「よかったらその部活の顧問もしませんか」と打診されたんです。もちろん、その先生は私がそのスポーツを好きだと思って、厚意で勧めてくれたんですけどね。

 母との辛い思い出があるから、正直そのスポーツにはあまり関わりたくありませんでした。それでも周りから期待されていると思うと、嫌とは言えなかったんですよね。小さい頃から母に認められようと必死だった私は、いつしか「人の期待に応えられないと自分の価値がなくなってしまう」と思うようになっていたので。

 それに大人になってからも「自分の意思で動くのはわがままで恥ずかしいこと」だと思っていたから……。

から解放されるきっかけとなった“アキレス腱断裂”

――それで美術部の顧問と兼任することになったんですね。

グラハム子 その頃は、平日は授業と美術部顧問、休日は運動部の顧問と忙しすぎて訳のわからない日々を送っていました。大人になってからも摂食障害が続いていて、過食嘔吐を繰り返しながら“無茶”をしていましたね。だからかもしれませんが、あるときスポーツの練習中にアキレス腱を切ってしまったんです。

――アキレス腱……それはかなりの重傷なのでは。

グラハム子 救急車で運ばれて診察したら、2~3ヶ月は絶対安静と言われて。安静が解除になったあとも、普通の生活に戻るまでには1年かかりましたね。

 でも、このとき真っ先に「これでもう母の言いなりだった人生から解放される」と思ったんです。それがきっかけで、私の心を縛っていた母の呪縛が徐々に解けていきました。

――それはなぜでしょうか?

グラハム子 アキレス腱を切ったことがきっかけで仕事を辞めることになって、好きだったダンスもできなくなりました。失ったものは大きかったけど、物理的に体の自由がきかなくなったことでやっと“無理に頑張らなくてもいい理由”ができたんですよね。体と心をゆっくり休ませて、自分と向き合う時間を作ることもできた。

 高校時代から続いていた摂食障害も、ケガを治すために寝たきりの生活を送っていたら、症状が落ち着いて。これくらい衝撃的な事件がないと、“がんじがらめ”だった母の呪縛からは逃れられなかったのかもしれません。

写真=深野未季/文藝春秋

中3で母親に整形させられた漫画家が悩む、70代になった“毒親”との将来「母の介護問題にどう向き合えばいいのか…」 へ続く

(仲 奈々)

グラハム子さん ©深野未季/文藝春秋