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 刑罰は、基本的には、犯罪者が引き起こした損害と同程度の損害を当人に味あわせるというものだが、近年その在り方が問われている。

 特に凶悪犯罪者に行われる「死刑」は、世界的に廃止される国も増えてきており、その効果も明確ではないことから、代替案が模索されている。

 イギリスの哲学者は、死刑の代替案のひとつとして、犯罪者を昏睡状態に陥らせ、自由に活動できない「失われた年月」を測定可能な刑罰(償い)の単位として"刑期"と同等とみなす方法を考え、論文を発表した。

【画像】 犯罪の重さと刑罰の重さ

 自由な民主主義社会に生まれ、人権を重んじる人は、死刑や体罰に嫌悪感を抱く。私たちは、誰かに罰を与える方法として、罰金、社会奉仕活動、禁固刑だけが人道的に許されるという時代に生きている。

 だが、こうした限られた狭い選択肢に甘んじなくてはいけない理由はあるのだろうか?

 イギリス、ヨーク大学の哲学者のクリストファー・ベルショウ氏は、『Journal of Controversial Ideas』誌で、根本的に刑罰の代替案を考え直す時期にきていると論文を発表した。

 誰かに罰を科す方法として、その人をひどく傷めつける体罰がある。ベルショウ氏は、「刑罰とは、犯した過ちの報いとして体罰を受けていることを、に少なくともその人間に理解させるような方法で行う」と書いている。

 正義とは、犯罪と刑罰、あるいは被害者と加害者の間になんらかの関係があることを前提としている。これが、おもに刑罰を報復、誰かが犯した過ちに対する仕返しのようなものにしている。

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 更生(犯罪者の人格を矯正する)や抑止(ほかの人間が同じような犯罪を犯すことを防ぐ)は、司法制度の中で役割を果たしているが、これらは刑罰の決定的な要素ではない。

 価値ある道徳的な目的のためであることは間違いはないが、司法制度となると、必要不可欠というより、"あると便利"なものだ。

 正義とは、正当な報いを意味する。良い刑罰とは、バランスシートのようなものを復活させるものなのだ。

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刑務所の問題点

 ベルショウ氏の論文は、刑務所制度はこうした目的に合っていないという考えに基づいている。

 第一に、刑務所が本当に理想的な方法で、実際に犯罪者に罰を科しているかどうか、疑問があるという。

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 一定期間、その人間の生活を機能不全にすることだけは成功しているかもしれないが、これは、明らかにその刑務所の体制が、どれだけ自由であるかにかかっている。

 例えば、ロシア刑務所と行楽地を混同する人はほとんどいないだろう。

 第二に、誤った実刑判決が下されてしまうと、とんでもない悲劇が起こるかもしれない。つまり冤罪だ。

 受刑者が看守やほかの囚人によって予期せぬ虐待を受ける可能性もある。取り返しのつかない精神的ダメージを被ったり、シャバにいる家族の生活が崩壊することもある。

 こうしたことも犯罪の報いにふさわしいと見る者もいるかもしれないが、残酷以外のなにものでもないと考える者もいる。

 いずれにしても、刑務所は矛盾を抱えていて、刑罰としてふさわしい場とは言えない。

 第三には、とくに数十年にわたる長期の刑期に関して、刑務所はいったい誰を罰しているのかという疑問が出てくる。

 この5年、10年、20年で自分がどれだけ変わったか思い返し、その当時の自分と、今の自分の違いを考えてみて欲しい。40年前に有罪判決を受けた、記憶も定かでない高齢者を罰するとき、本当に当時と同じ人間を罰しているといえるだろうか?

 そうでないとしたら、これはどういう意味で"正義"なのだろうか?

死刑の代わりに犯罪者を昏睡状態に

 社会として、死刑や体罰に反対だという意見が大きいなら、代替案はどのようなものがあるのだろうか?

 そこで、ベルショウ氏は、犯罪者を将来的に目覚めさせることのできる可逆的(意識を戻すことが可能な)昏睡状態に陥らせるという代替案を提唱している。

 死刑制度の最大の問題は、執行されてしまったら、取り返しがつかないということだ。冤罪が一件でもある限り、無罪の人間を誤って殺してしまうことは、正義の重大な過ちだ。

 だが、犯罪者がいつでも意識を回復できるのならどうだろう? すぐにこの問題は解決できる。

 無実の人間が10年、15年の人生を棒に振るのは、明らかに非常に不当なことだが、少なくとも原則的には補償の道が開かれることになる。現時点では、冤罪で服役している者には閉ざされている補償だ。

 犯罪者を昏睡状態にするのは、その人物のアイデンティティを"凍結"することだ。のちに彼が目覚めたときも、昏睡状態になったときと同じ精神状態のままだ。

 こうすれば、長期服役で数十年後に変わってしまった人間を罰する問題を回避することができる。

 何年かたってから目覚めると、人生がそれだけ進んでいるわけだが、それでも自分が犯した罪と罰との関係をまだ理解することができる。

 だが、刑務所での禁固刑に勝る可逆的昏睡の最大の利点は、刑罰の形を標準化できることだ。

 罰の程度を年数として明確に測ることができ(例えば、人生のうちX年間の歳月、自由を奪われる)、刑務所環境での苦しみの度合いの変動の影響を受けにくい。

 基本的に、囚人を昏睡状態にすることで、犯した過ちに対する代償として、"命の年数"を許容・測定することができるものとして確立することができる。

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 死刑や体罰という考えを受け入れられない最大の理由のひとつは、私たちが非常に現代的で、かなりデリケートな感性をもっているからだと、ベルショウ氏は言う。

私たちは、死刑や体罰など体への損害がより直接的に関係する刑罰よりも、禁固刑のほうを支持する傾向がある。

これは根本的に、他のなによりも嫌悪をもよおす感情の結果である可能性がかなり高いからだ

 ベルショウ氏は、刑罰として犯罪者を意図的に昏睡させるというアイデアは、いずれにしても嫌悪されるようになるだろうと予測している。

 誰かを一日中部屋に閉じ込めておくような罰でなくても、私たちの嫌悪感が、あらゆる種類の刑罰にまで及ぶようなものだ。

 だが、刑務所ディズニークルーズや海外の保養地へ行くような場所ではない。罪人を痛めつけ罰するための場所だ。

 ベルショウ氏が言うように、合法的に誰かを何十年も閉じこめておくことができるなら、同じようにある程度の期間、合法的に誰かを昏睡状態にしておくという代替手段が可能かもしれない、ということになる。

 昏睡状態にするという考えをおぞましいと感じたとしても、ベルショウ氏はいい疑問を提示していると、少なくともいえる。

 どうして、私たちはたった一種類の刑罰だけが最善だと思い込むのか? 科学技術や社会の価値観が常に変化している今こそ、どのように正義を確実になすのかを、考え直し、再検討してみる時期にきているのかもしれない。

References:Journal of Controversial Ideas / Instead of the death penalty, let's put dangerous criminals in a coma - Big Think / written by konohazuku / edited by / parumo

 
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死刑を廃止し、凶悪犯罪者を昏睡状態にさせるという代替案