
アサヒビールが2020年12月に提唱・宣言した「スマートドリンキング」。さまざまな人々の状況や場面における飲み方の選択肢を拡大し多様性を受容できる社会を実現するために、商品やサービスの開発、環境づくりを推進し、お酒を飲む人も飲まない人も、お互いが尊重しあえる社会の実現を目指すものだ。そのために新会社のスマドリ株式会社を設立したほどである。
目的は何か新しいことを始める
アサヒビールは「スマートドリンキング」宣言後、微アルコールビールテイスト飲料「ビアリー」や微アルコルハイボール「ハイボリー」を発売したほか、商品やホームページで純アルコール量(g)の開示を実施してきた。スマドリの設立が構想されたのは2021年春ごろ。設立の経緯を次のように話す。
飲めない人の気持ちに鈍感なところが

スマートドリンキングに興味が持たれたのは、お酒が飲めない人に向けての取り組みを、お酒を扱う会社が始めたことにあった。電通デジタルからの出向者もそれほどお酒を飲む人ではなかった。
「アサヒビールはお酒を飲む社員が多いので、飲まない/飲めない人の気持ちに鈍感なところがあります。そんな会社がスマートドリンキングに取り組むことを面白がってくれ、共感もしていただけたようです」
梶浦氏はアサヒビールでスマートドリンキングに関わる活動を推進する新価値創造推進部の部長。もっと推進していくにあたって2022年1月に、電通デジタルと合弁で専門のマーケティング会社、スマドリを設立した。現在、スマドリの社長と新価値創造推進部の部長を兼務している。
会社設立に生きたインドネシア駐在の経験
また、スマドリ設立の背景には、梶浦氏のインドネシア駐在の経験もあった。2年間のインドネシア駐在で、お酒を飲むマイノリティーの立場を経験したことが少なからず影響している。「インドネシアはイスラム教国。国民の9割近くがムスリムで、ソーシャルな場で飲酒はできません。そのような国で、お酒を飲む私はマイノリティーでした。現地の人はお酒なしで3時間、楽しそうに会話しながら夕食を食べますが、飲みたくても飲めない私にとっては耐える時間でした。
日本と逆であることは左脳では理解していたものの、最初は慣れず苦痛でした。現地の人たちは『飲んでもいいよ』と気を遣ってくれましたが、飲める雰囲気ではありません。3時間の間、お酒を飲まず何を話しているかわからない会話を聞いていました。
この時の経験から、日本ではお酒が飲めない人が飲める人に気を遣っていることに気づきました。インドネシア駐在は苦労しましたが、お酒を飲むマイノリティーの立場を経験したことと、お酒を飲まなくても楽しくすることができる世界があるという気づきは、スマドリ設立に生きています」
お酒が飲めない人をメンバーにアサイン

スマドリはアサヒビールと電通デジタルの社員によって構成。お酒を飲めない人の立場からさまざまなアプローチを試みると同時にZ世代向けのマーケティングを行う。会社設立にあたり意識したのは、スマドリ内でお酒の多様性を確保すること。これがないと酒飲みの発想になりがちで、間違いを起こしてしまいやすいからだ。
「アンコンシャス・バイアス(無意識の思い込み)があると意識したので、お酒が飲めない人が必要だと考えました」
そのため、電通デジタルからの出向者にはお酒が飲めない人をアサインしてもらえるようお願いした。お酒を飲む人やまったく飲めない人だけではなく、あえて飲まないソバーキュリアス、妊娠・出産でお酒が飲めない時期があった人などがスマドリには集まった。
お酒を飲まない人は日本に4000万人いる

アサヒビールの推計では、お酒を飲まない人は日本に約4000万人いる。これは日本の20~60代の人口の約半数に相当する。この結果は衝撃的ではあるが、前向きに捉えた。
「周りにお酒を飲む人が多いので、みんな飲んでいるものだと思っていましたが、フタを開けると違っていました。この現実をまずいと思うか、チャンスと捉えるかですが、私たちはチャンスと捉えました」
チャンスと捉えた背景には、Z世代をはじめとした若い世代のお酒に対する意識の変化があった。
「当たり前のようにお酒を飲まされた40代、50代には、飲めないのに飲まされ大変な目に遭った黒歴史がいっぱいあります。その時の経験から、お酒が飲めない人はお酒を敬遠するようになりました。ですが、若い世代はこういう経験がありません。飲めなくても無理に飲まされることはなく、お酒に対する嫌悪感がないのです。面白そうなノンアルコール飲料やローアルコール飲料を提示すると食いつきがいいことがあります」
お酒が飲めない人たちのバーを渋谷で企画
スマドリ初の取り組みになるのが、6月30日から東京・渋谷でオープンする「SUMADORI-BAR SHIBUYA」。2021年10月頃から事業化できるかどうかのリサーチを始め、12月からオープンに向けて具体化を急ぐことにした。バーは、お酒が飲めない人たちの人生を豊かにしてもらいたいという思いから企画された。お酒が飲めない人は、お酒の提供価値のひとつである気分をアゲることが日常生活から欠落。加えて、食事とお酒がセットになっている日本の食文化では、飲むものを選ぶ楽しみもない。お酒が飲めない電通デジタルのスタッフと梶浦氏が話していても、これらは感じ取れたことだった。そこで、食事に合わせてお酒を選ぶ日本の食文化を体感できる場を提供することにしたわけである。
「SUMADORI-BAR SHIBUYA」は席数が70で、営業時間は12時から22時まで。ノンアルコールから微アルコール、低アルコール飲料まで全100種類以上のドリンクメニューを用意する。100種類以上のドリンクメニューはアサヒビールだけではまかなえず、輸入物も含めて他社商品もそろえる。選択肢を提供するという意味からたくさんあった方がいいと考えていたが、100種類以上用意することまでは考えていなかったという。
「たくさんと言ってもわからないので、100種類を目標にして頑張って用意することにしました。100種類に深い意味はなく、わかりやすさを数値化することのほうが大事でした」
飲める人と飲めない人が楽しめる空間に
バーのオープンに合わせ、新商品も用意された。5月17日発売の微アルコールワインテイスト飲料「ビスパ」と、4月20日にAmazonで予約受付を開始したハードセルツァー「アサヒ VIVA(ビバ)」の2つだ。いずれも一般販売されるほか、「SUMADORI-BAR SHIBUYA」で提供される。「アサヒ VIVA」については6月28日から発売となるが数量限定になる。このほかにも、現在仕込んでいるものがいくつもある。「ノンアルコールやローアルコールはメーカーから提供されているものが少なく、飲む機会が多くありません。われわれが作らないと飲む機会が増えないので、現在いろいろ準備しているところです」
バーでは、お酒を飲めない人の気持ちを飲める人に理解してもらうための楽しい活動も考えている。飲めない人が思っていること、考えていることを飲める人に知ってもらう機会をつくることで、バーは飲めない人が主役になる空間になり、飲める人と一緒に楽しめるようになるというわけである。
バーという業態にはこだわらない
バーについては渋谷だけではなく他の場所にも作りたい考え。しかし梶浦氏は、現在はバーが必要だと考えているものの、バーという業態にはこだわっていない。「われわれがやりたいことは店を多く作ることではなく、どこでもノンアルコール、ローアルコールが楽しめるようにすることです。お酒が飲めない人が飲める人と一緒に楽しめる場はもっと必要だと思っていますが、業態は問いませんし、自分たちでやらなければならないとは考えていません。
これからはどこでもノンアルコール、ローアルコールが楽しめるようなプロモーションが必要で、店が必要だと思ったら作りますし、居酒屋にもれなくノンアルコール、ローアルコールが置いてもらえるなら、そうします」
企業というよりNPOに近い

今後の事業展開も、スマートドリンキングが社会に定着するためのアイデアを出し続けることに尽きる。わかりやすく具体的ではないが、スマドリはアサヒビールと電通デジタルから事業委託費を得てスマートドリンキングのマーケティングを行うことに特化した企業であることが理由だ。
「果実はアサヒビールと電通デジタルが得ます。スマドリはノンアルコール、ローアルコールを広げることで社会がより良くなればと思っています。どちらかといえば、企業というよりNPOに近い立ち位置かもしれません」
また、スマドリのHPを開設してからは、コラボに関する問い合わせが多く寄せられている。企業や自治体、大学、お酒と関係がある団体などから、一緒に組んで何かできないか?といった話があるという。
目標はスマドリをなくすこと
マーケティング会社であるスマドリが、スマートドリンキングを社会に浸透させることができそうなことという観点から何ができるかを考えて提案。合意したことを実行に移していく。バーがオープンする日に新しく始めるコラボについて発表する予定だ。「飲める人と飲めない人が一緒に楽しめる世界が日常に作れたら、スマドリという会社は存在しなくてもいい会社だと思っています。もしかしたら、目標はスマドリという会社をなくすことかもしれません」
スマドリの目標を問われてこう答えた梶浦氏。会社はスタートを切ったばかりだが、すでに終わりを見据えている。
<取材・文/大沢裕二 撮影/林絋輝(本誌)>
【大沢裕司】
フリーライター。『@DIME』『ITmediaビジネスオンライン』『ビジネス+IT』等で主にモノづくり関係のことを取材・執筆しています。著書に『高すぎ! 安すぎ!? モノの値段事典』(ポプラ社)、『バカ売れ法則大全』(共著、SBクリエイティブ)など。 Twitter:@ug_ohsawa
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