「出産したことを知られたくない」内密出産の行方 慈恵病院院長が反発する「児相のだまし討ち」とは? から続く

 熊本市の慈恵病院が日本で初めての内密出産の受け入れを公表したのは今年1月だった。法律もガイドラインもない中、出生届や戸籍の取り扱いなどを巡り熊本市ならびに熊本市児童相談所と慈恵病院は対立が激化。そこへ2月、大西一史市長が「母子の福祉のために(内密出産に)協力へ」と方針転換を表明し、協力体制が取られたはずだった。

内密ではなかった内密出産の実情

 しかしこの「日本初の内密出産」について、熊本市児相は社会調査を行っていた(前編参照)。社会調査とは子どもや保護者などの置かれた環境、問題と環境の関連、社会資源の活用の可能性を明らかにし、どのような援助が必要かを判断するための調査のことだ。母親の身元を特定しない限り調査をすることは不可能な内容だ。

 内密出産では女性の「出産を知られたくない権利」と赤ちゃんの「出自を知る権利」の両立が図られなくてはならないが、内密出産法もガイドラインもない現状では、内密出産を希望して慈恵病院で受け入れられたとしても、否応なく児相に身元を探されることになる。これは内密出産の事実上の骨抜きではないのか。

 この状況を「協力」を表明した大西市長はどのようにみているのか。

大西一史熊本市長に聞いてみると…

 熊本城を間近に望む市長応接室に大西一史熊本市長を訪ねたのは6月20日。議会中で時間調整が難しいとのことで、熊本市児童相談所に取材してから5週間が経過していた。

 市長への取材でわかったのは、日本で初めての内密出産のケースでは、女性の「知られたくない権利」を赤ちゃんの「出自を知る権利」と同等に考慮することは不可能という現実だった。

――児相が女性や親族の居住地をつきとめたと、慈恵病院は反発しています。

大西市長 我々は女性の居所は知らない。わかっていません。

――蓮田院長が言っています。

大西市長 ざっくりとしかわかっていない。推測でしかないんです。

 市長の返答は確認するたびに微妙にニュアンスが異なっていた。

「社会調査が女性の事情を暴こうとしているのではない」

大西市長 社会調査の実施の可能性については、事前に慈恵病院に伝えていました。女性が名前を明かさなくても、寄り添って相談ができる関係を築き、1つ1つ福祉の支援を提案していくことができるはず。そのための社会調査でもあることをご理解いただきたい。本当はもっと早い時点で相談してもらい、内密出産を回避できるような支援につなげられるようにしたいですが。

――児相の調査に対して、女性の側が要望や意見を言う「代弁機能」が欠けた状態で社会調査だけが進んでいます。

大西市長 それは、やっぱり、そこがないんですよ。しかし誤解のないようにしていただきたいが、児相の行う社会調査は子どものためだけにするのではない。社会調査が女性のいろんな事情を暴こうとしているのではないことは理解していただかないといけない。

――それはどういうことでしょうか。

大西市長 社会調査は、子どもが健全に育っていくために保護者の状況や周囲の環境を調査するものですから、慈恵病院との信頼関係の中で進めることが大事だと思っています。

許可を得ずに個人情報を調べることに「違法性はないと考えている」

――児相が出産した女性の許可を得ずに個人情報を調べることに違法性はありませんか。

大西市長 違法性はないと考えています。児相は子どもの処遇を検討する際の選択肢を広げていかないといけない。家庭的な養育をするのか、社会的養護をするのか、いろんな状況を確認する必要がある。そのために法律に基づいてやっていく調査なので、違法性はありません。

――当の赤ちゃんは現在、乳児院で一時保護されていますが、今後はどう対応しますか。

大西市長 すでに母親の女性とは接触を控える判断をし、特別養子縁組に向けた調整が始まっています。これは政治判断です。慈恵病院と情報を共有する中で、これ以上社会調査を進めると女性が壊れてしまうという話もあった。今回のケースでは女性の情報にコンタクトすることに踏み込まないよう、私から指示を出しました。

――次の内密出産事例が出た場合、女性の代弁機能はどうしますか。

大西市長 事前に相談できる「妊娠葛藤相談所」の設置を国に提案した。ガイドラインができるまでは児相が両方を担うことになります。

慈恵病院がつきっきりで話を聞いても翻意しなかった女性の意志

 大西市長は、いつかは事例が発生すると想定し、準備をしてきたという。そして「実際に起きてしまった事例で母子の福祉を考えて最善の手を尽くすために社会調査は必要だった」との立場を崩さなかった。さらに、特別養子縁組の手続きに進む際に、家庭裁判所による産んだ女性の意志確認が必要になるため、女性の身元調査を一切しないことで生じる壁についても触れた。

 市長は「社会調査は身バレするものでは決してない。もう少し行政を信頼してもらいたい」と強調したが、社会調査を行うことは女性には伝えられたのだろうか。

 女性は児相にメールアドレスを教えることを拒み、現在、児相が女性に連絡をとるには慈恵病院の蓮田真琴・新生児相談室長を経由しなくてはならないという。

 蓮田真琴氏は出産から退院まで女性につきっきりで話を聞き、女性の生育歴や家族との緊張関係、現在の生活の困難、赤ちゃんへの思いなどを仔細に聞き取っている。女性に対しては自分で育てる場合の社会資源についてもさまざまな提案をしたが、女性は翻意しなかったという。女性の「特別養子縁組で大切に育ててくれる第三者に託したい」という意志は固かったと蓮田真琴氏は話している。

 現在も信頼関係が継続している病院職員の説得にさえ翻意しなかった女性を社会調査で自分で育てられる支援につなげるというプランは、現実離れしてはいないだろうか。

誰にも知られたくない情報を第三者が知っているということ

 出産を知られたくない女性の状況を自治体が把握しようという方針は、内密出産とは明らかに異質のものだ。

 誰にも知られたくないと強く希望して産んだ女性の情報を第三者が知っているということが、法律やガイドラインがないからと言って、法治国家で本当に許されるのか。女性の側に立てば、情報に行き着かなかったとしても探されているという事実は恐怖でしかないだろう。

 熊本市の対応に詳しい関係者は「社会調査の壁は考えるまでもなくわかっていたこと」と、事前に問題点の検討が十分でなかったのではないかと指摘した。

 取材の最後に、大西市長は今回のケースが「内密出産に当てはまる」との認識を示したが、熊本市が向き合った一例めの内密出産は極めて困難な船出となった。

(三宅 玲子)

慈恵病院