沖縄が日本に復帰して今年で50年。だが、政治的にも経済的にも本土との断絶は深い。なぜ沖縄は“特別”なのか?

 沖縄で起きた自衛隊墜落事故と妻による夫殺しが絡み合う『墜落』を上梓した作家の真山仁氏が寄稿した。

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沖縄と本土とで児童福祉に差がある理由

「貧困問題の象徴といわれるDV(家庭内暴力)だが、本土と沖縄では、根源的な違いがあるのを理解すると、沖縄が見えてくる」

 長年、沖縄の子どもの貧困問題に取り組んできた山内優子さん(おきなわ子ども未来ネットワーク代表理事)が教えてくれた、本土と沖縄の間にある距離感の本質を知るためのヒントだった。

「本土のDVの大半は、教育=しつけから始まる場合が多い。叱るだけでは効果のない我が子に対して、“しつけ”のつもりで暴力を振るい、それがエスカレートして死なせてしまうケースです。ところが、沖縄では、そういう例は珍しい」

 では、沖縄のDVとはどんなものなのか。

「まずは無関心。しつけをしたいと思うほど他人に関心がないし、人の心配をする生活の余裕もない。だからネグレクトが多くなります。暴力をふるうときも、それは粗暴な八つ当たり。自分のストレスのはけ口として、弱い妻や子どもを殴る。そのため、執拗な暴力によって殺してしまうという例が少ない」

 また、社会が子どもを守り育てるという発想が、沖縄では未成熟だとも指摘する山内さん。

 その原因は意外なもので、すなわち長年のアメリカによる占領という環境だという。

「戦後、日本では、児童福祉法がいち早く制定された。そして、子どもの貧困対策について、国が積極的に制度を整え、児童相談所を設置し、母子寮や保育所を作って、支援にも力を入れた。ところが、アメリカの占領下にあった沖縄では、日本の児童福祉法が適用されなかった」

 その後、1972年に本土復帰を果たした時、日本では、すでに子どもの貧困問題は、国家の重要課題ではなくなっていた。

「もちろん、日本に復帰したわけだから、日本の法律の全てが沖縄にも適用された。だが、児童福祉の基盤がないため、大きな遅れを取り、子どもに対する大人の責務についての認識が広がらなかった」

味噌汁は水道の蛇口から出てくると思っている子も…

 変化を嫌いがちだと言われる沖縄県民には、目立つより周囲の空気を読むことに重きを置く暗黙のルールがあると、沖縄大学准教授の樋口耕太郎さんが語ってくれた。本土以上に「同調圧力」が強く、日々、つつがなく過ごす生き方をよしとしてしまうのだという。その結果、他者を見ない無関心の文化が広がったというのだ。

 沖縄の場合、貧困が可視化しにくく、すぐ身近に貧困に喘ぐ人がいるのに、それを誰も見ようとしないのではないかという印象を、私自身が実感した。

 社会福祉活動をしている関係者によると、「シングルマザーの家庭の場合、彼女の母も祖母も、同様の生活をしていた例が多い。彼らは周囲との関係を遮断して、ギリギリの生活をしている」という。その結果、子どもが犠牲になる。

 たとえば、子ども万引きには目を瞑る文化があるとか、親が生活費を稼がないから小学生がビラ配りのアルバイトをするとか、「朝キャバ」という風俗で中学生アルバイトをしているとか、取材で知る数々の実例は、都市伝説では? と耳を疑うようなものばかりだ。

 そもそも生活が、実態としてないのではと思ってしまうようなケースも聞いた。

 親に料理を作ってもらった経験がなく、味噌汁は水道の蛇口から出てくると思っている子、誕生日を祝ってもらったことがなく、バースデーケーキを用意しても、その意味を知らない子もいる。また、ある施設は、家族が家事をしてくれない子には、自分たちで服を洗濯させて、それを着て、家に帰すようにしている。

 どれもこれも、信じられない話ばかりだが、それが現実であると受け容れないと、沖縄の素顔は見えてこない。

復帰後に格差解消の努力を怠ったツケが回ってきた

 こういう話を列挙すると「沖縄はかわいそう」とか「遅れている」という安易な断定をしがちだ。だが、そんな単純な話ではない。

 私たちには沖縄の占領時代を考慮せず、本土と同じ歴史を刻んできたという思い込みが前提にある。

 日本が戦後復興で、奇跡的な経済成長を遂げ、先進国の仲間入りをした1972年、ようやく沖縄は、日本に戻ってきた。これで、本当の意味で、日本の戦争は終わった――、と本土の人たちは喜んだ、かもしれない。

 だが、本土がものすごい勢いで発展した30年間で沖縄との間に生まれた大きな差を埋める努力を、日本政府はしたのだろうか。

 行ったのは、沖縄開発庁という省庁をつくり、予算をつけただけだ。沖縄に何が足りておらず、日本の常識と、沖縄の常識の違いや価値観の隔たりを探る努力を怠ってきたのではないだろうか。

沖縄で何が起きているのかを真剣に考える時が来ている

 今年は、沖縄復帰50年の節目の年だ。日本中のメディアが沖縄を特集している。しかし、そこでは、「日本人が勝手に描いた沖縄像」ばかりがクローズアップされている気がする。

 米軍基地の問題にしても、日本にとって、その意味を本気で考えたことがあるだろうか。かつて、アメリカの占領下にあったのだから、基地があるのは当然と決め込んでいないだろうか。

 基地も、貧困も、それが厳然と存在することは認めても、「かわいそう」の一言で片づけてしまい、思考停止をしている。それが、復帰50年の日本がとってきたスタンスだったのではないか。

 一方で、沖縄はもっと声を上げて、本土との格差を埋めて欲しいと求めればいい、という考えの人もいるだろう。私も、沖縄取材を始める前は、そう思っていた。

 唯々諾々と政府に依存するより、自立するために、自分たちが本当に必要な政策を求めればいいのに、と思っていた。

 しかし、アメリカ占領下の30年間、本土でどんなことが起きてきたかを実感できず、どこか「日本に捨てられた」という印象を持たざるを得ない環境にあった沖縄の人にとって、何が必要なのか、どんな対応を政府に求めるのかと尋ねられても、簡単には答えられないのかも知れない。

 沖縄の地で、様々な人に会い、様々な場所を訪れたものの、これまでずっと抱いていた「沖縄は異国だ」という印象の根源にあるものを、私は未だに理解できずにいる。

 その理解のためには、沖縄で何が起きているのか、さらに、この30年の間に本土では当たり前になったことで、沖縄で実現できていないことは何かを、真剣に考える時が来ている気がする。

(真山 仁/文藝出版局)

真山仁氏 ©文藝春秋