戦争は国柄を見せる。その国柄は国旗・国歌に象徴される。

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 ウクライナの国旗は青色(空を示す)の下に黄色(小麦の生産国を示す)で、平時には見えなかったアフリカ諸国の食糧庫であることが分かった。

 また、「われらが自由の土地を自らの手で治めるのだ。自由のために身も心も捧げよう」と国歌にあるように、犠牲をいとわず国民は一丸となって「自由」のために戦っている。

 戦争を仕掛けたロシアはソ連時代の国旗こそ変えたが国歌はそのままである。

「力は正義」として領土拡張を図ったソ連を引き継ぎ、21世紀になってからもジョージアウクライナの一部を掠め取ってきた。

 それでも満足せず、遂にウクライナ全土を支配下に置こうとした。

 戦争で支配下に置いた地域からウクライナ住民をロシアに連れ去り、その数は子供24万人を含み120万人ともいわれる。

 ソ連時代に日本人60万人以上を違法に連れ去り強制労働させたことを思い出させる。

 日本はウクライナの戦いからいろいろな教訓を得ようとしている。

 最大の教訓は戦争を避けようと努力しても侵略を受けることがあり、憲法9条は非戦で平和を願う日本人の十分条件とはなり得ないということであろう。

 もう一つは、ウクライナはもっぱら受け身の立場を強いられ、大きな犠牲を払っていることである。

ウクライナに見る「専守防衛」

 ウクライナは自由を渇望しながらも親露的であったことから侵略されるなどとは夢にも思っておらず、またロシアを刺激してはいけないという遠慮が働き、領域警備程度の戦力しか保有していなかった。

 ウクライナが本格的に軍事力の必要性を感じたのは2014年にクリミア半島を強奪されて以降で、軍事力構築の努力は現ウォロディミル・ゼレンスキー大統領になった2019年からである。

 ロシアが親露勢力のいる東部だけでなく、南部のクリミア、そして北部ベラルーシの国境沿いに、演習と称して10万人超の軍隊を展開する状況を掴んだ米国は、今年に入るとウクライナ侵攻が近づいていると盛んに警告を発してきた。

 米国が伝えるロシア軍の動きからは、攻撃してくる可能性がほぼ100%と想定されながらも、ウクライナは決して先に動こうとはしなかった。

 ロシアが侵攻した2月24日からウクライナは反撃を始めたが、その反撃もロシアの攻撃行動を封じるだけで、それ以上のことをしたわけではなかった。

 すなわち、相手が攻撃するまでは手出しせず、攻撃を受けても最小限の反撃にとどめたわけである。

 また、保有する軍事力も国力の差からロシアに比して著しく制約されていた。

 これらの状況は日本の「専守防衛」を想起させる。

 ロシアの理不尽な侵攻を受けたウクライナは敢然と立ち上がり、自国のためだけでなく、「自由主義を守る戦い」をしているとして国際社会に向かって喧伝し支援を呼びかけた。

 その状況を見て国外に出ていたウクライナ人の若者たち約30万人が祖国防衛のために帰国した。また、自由を守る戦いに参じる義勇兵も50か国から参加しているとされる。

 しかし、ウクライナが保有していた兵器や弾薬は開戦間もなく消尽された。

 全体主義ロシアを勝たせるわけにはいかないし、ウクライナを敗けさせるわけにもいかないとして、G7をはじめ自由主義諸国は団結して支援することにした。

 自国の領土から一歩も出ることがなく、最小限の兵器で戦い続けるウクライナはまさしく「専守防衛」を強いられているということである。

 テレビの画面には映らない多くの犠牲者と惨状が存在することを忘れてはならない。

 ロシアは著しく劣勢に立った場合には(戦術)核兵器の使用も有りうると、侵攻直後から警告していることもあり、ウクライナに決定的な勝利を持たせるわけにいかない。

 露宇戦争は一進一退の様相を繰り返しながら、長期戦になると予測される。

 マリウポリの戦いで分かったように、現在焦点のセベロドネツクの趨勢もウクライナが握っているのではなく、米欧の支援に左右される。

 その間の戦闘でウクライナの国土は荒廃し、国民は多大の犠牲を強いられる。

国民の犠牲と国土の荒廃をもたらす専守防衛

 相手から攻撃されるまではこちらが先に攻撃してはならない、反撃も相手の攻撃前進を止める程度である。

 こうした戦略守勢の状況は、日本の専守防衛と同様とは言わないが、かなり類似している。

 戦争をしたくない、するにしても相手を刺激しないために最小限の防衛力しか保有しないことが、いかに大きな犠牲を伴うことであるかが分かる。

 自由・民主義国家は人道・人権や法の支配を普遍的な価値とみなしており、普段から尊重し遵守しており、戦時においても戦争法規に則り行動する。

 しかし人権や法の支配をさほど尊重しない全体主義共産主義国家が戦時法規などを遵守するとは到底思えない。

 現に展開されているウクライナ戦争で、ロシアの戦争犯罪が日々報道され、全体で何千・何万件に上るか想像すらできない。

 ちなみに、開戦3か月を過ぎた5月28日WHO(世界保健機関)テドロス・アダノム事務局長が年次総会に提出した報告書では、医療関連施設へのロシアの攻撃だけでも200件以上となっていた。

 今でも学校や教会、マーケットや市民の退避場所などへの無慈悲な攻撃が報じられている。

 手を後ろに縛られ拷問して殺された市民の姿や、破壊された学校や教会などの惨状を嫌というほど見せつけられてきた。

 国内を戦場とすることは、こうした状況が至るところに出現するということである。

 6月21日には米国の司法長官がウクライナに乗り込み、検事総長と会談して戦争犯罪の立証に向けた証拠集めなどに協力することを約した。

 日本の基本政策は専守防衛であり、否応なしに領土が戦場となる。

 その被害をなるべく少なくするための敵基地攻撃能力さえ反対意見がある。

 用語を反撃能力と言い換えて容認され、ミサイルなどで相手の発射基地などを攻撃できるように提案されているが、主たる戦場はどこまでもわが国の領土内である。

ウクライナと日本の違い

 ウクライナでは若者たちが外国から帰ってきて銃を持って立ち上がっているが、日本の場合、世論調査の結果を見る限り、戦うという人よりも戦わない、逃げるといった回答が多いのはいつも言われるとおりである。

(現実に侵略を受けて戦争が始まったような場合、受けて立つ若者も多いと思われるが、現段階では考慮外である)

「先手必勝」という言葉がある。「先んずれば人を制す」ともいう。碁盤の上だけでなく、戦いに明け暮れた古代中国での状況を『史記』に書き留めた言葉である。

 必ずしも結果が伴わないことはロシアを見ても然りであるが、後手に回った方の惨状はウクライナが示している。

 戦争においては平時に想定していないことがしばしば生起し、現場の指揮官が瞬時に判断して対応しなければならない。

 その判断基準が(戦時)国際法である。

 国際法では「やってはいけないこと」(ネガティブ・リスト)が明記されている。

 国家間の戦いであっても一般市民や学校・病院などの公共施設を攻撃してはならないというものである。

 ところが軍隊でない自衛隊は国内法で縛られている。自衛隊法に基づく命令は「やっていいこと」(ポジティブ・リスト)として示される。

 いかに専守防衛とはいえ、いったん戦争になれば、敵はあの手この手でやって来る。

 なるべく裏をかくわけで、当方の想定外が多いに違いないが、ポジリストの「やっていいこと」以外は対応できない。やれば指揮官の命令違反である。

 戦時ではなかったがカンボジアにPKOで派遣された部隊は「道路や橋梁の修復」という1つだけの任務を付して派遣された。

 しかし、現実には現地州知事の災害協力要請や負傷者の治療要請があり、部隊は対応能力を有していたが断らざるを得なかった。

 やるにしても、上級部隊や政府に意見具申し、結果が出たときには事態は終結し、派遣された隊員たちをして我々は何のために派遣されたのだと切歯扼腕させた。

 現地の要請ばかりでなく、派遣部隊の上級組織(陸幕や統幕など)や日本政府、さらには政治家・国連関係者の視察に伴う支援要請(輸送、給食、宿泊など)も次々に発生し、その都度命令が追加され、最終的には9任務に拡大した。

 ポジリストとして列挙された任務がいかに机上の空論で、現場を制約しているかを如実に示した例である。

 PKOでは要請された状況に即応できなくても、指揮官や隊員が悔しがり、相手が失望するだけで済んだが、戦時では部隊の存続と隊員の命、いやもっと言えば勝敗と日本の運命が掛かっている。

 想定外にも迅速に対応できる態体制を構築していなければ、日本の安全を守り通すことはできない。

国内法に縛られる自衛隊

 軍事評論家の柿谷勲夫氏は平成の早い段階から「わが国では有事の法制が整備されていないので部隊の行動に大きな制約を受ける」と述べ、具体的に下記のような例示をしていた。

「道路や橋は損傷していても『道路法』上、自衛隊自ら補修できない」

「国有地の海岸に陣地を構築する場合は『海岸法』、敵の攻撃から守るための応急的な建築物を作る場合は『建築基準法』、負傷者に治療を臨時に設定した場所で行うには『医療法』、戦死者を火葬・埋葬するには『墓地、埋葬等に関する法律』に従い『市長村長の許可』を受ける必要がある」

(『ディフェンス』令和3年10月刊)。

 それから4年後に起きた阪神淡路大震災では災害派遣されていた自衛隊車両も警察の誘導下での行動を強いられ、一刻を争う現場への到着が遅れるなど、非常時対応の問題が発覚した。

 その後、自衛隊法の一部改正が行われたが東日本大震災(令和23年)においては犠牲になった遺体を見つけても自衛隊は主導的に対処できなかった。

 警察や消防の所掌となっているからである。多くの縛りや欠陥はその都度改正されてきたが、どこまでもポジリストであることに変わりはない。

 アフガン政変では日本人などの収容のために自衛隊機が派遣された。しかし、日本大使館などで働き協力したばかりに危険にさらされることになった現地人を運び出せなかった。

 ポジリストになかったからであり、その後改正され、外国人も輸送可能となった。

 柿谷氏が列挙したのはほんの一例でしかなかった。

 問題が発覚すると場当たり的にその部分が改正されただけで、国内法の縛りは依然として存在する。

 すなわち、仕掛けられた戦いで能力を存分に発揮できない縛りが多すぎる。

 日本では、現在許されなくても有事になれば、「憲法9条だって改正されるよ」といった意見も散見される。

 しかし、それが法治国家と言えるであろうか。それこそなし崩し的に何でもできるとなれば、歯止めが利かなくなること請け合いである。

 法治国家というからには、平時は言わずもがな、有事にもしっかり機能する法体系にしておくのがあるべき姿ではないだろうか。

 そもそも、日本が基本政策に掲げている「専守防衛」が、いかなる状況をもたらすかをウクライナにおける戦いが示している。

 必要以上に国土を荒廃させ、国民を犠牲にする思想を国家の基本政策とするところに問題がある。

 戦争はしたくない、しかし仕掛けられた戦争では国民の犠牲と国土の荒廃を最小限にする備えは保有するというのがあるべき姿ではないだろうか。

 その状況を筆者は数年前に「積極防衛」という用語を使って提案した。最近、自衛官として最高位にあった元自衛官らがこの用語を使い始めたことを歓迎している。

おわりに:台湾有事への備え

 ウクライナで見る状況から、日本の専守防衛がいかに悲惨な状況をもたらすかを論じた。

 また、戦争においては想定外のことが頻繁に起き、ポジリストの自衛隊は十分に能力を発揮できないことにも言及した。

 台湾有事は日本有事と言われ続けている。台湾は自由・民主主義であり、日本のシーレーンの命運を握る地勢的位置にある。

 そうであるならば、支援がスムーズにいくような法体制でなければならない。

 日本有事のための法体系と同時に、台湾有事に備えた法整備もしておかなければならない必然性がここにある。

 ことは戦争であり、最適の対応ができないということは、苦境に陥り、ひいてはその戦いでは負けを意味する。

 国土を必要以上に荒廃させないこと、国民の犠牲を最小限にすること。この2つの目的達成のためには、防衛の前線に立って戦う自衛隊が、シビリアンコントロールの下で持てる能力を存分に発揮できる態体制と法体系を整備することが先決である。

 有事になって改正するのでは遅すぎる。自衛隊は法の範囲でしっかりした教育と訓練が必要だからである。

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