ほぼ、決まっていると思うものの、まだ少し迷っていた。

「これが好きなんだけど、あの藍の縞も色が良いし……やっぱしこの蝶々かな」

落ち着いた紫地に黄色い蝶のとびがら。銘仙の羽織の袖を握りしめながら、おっちゃんを相手にあれやこれやの品定め。

「それは良いよ、銘仙の良いのがこうして時々出るんだよ。友禅染めは後染めだから、五十色でも百色でも使って自由に書けるけど、銘仙は先染めの絵絣だから、先に糸を染めて、それから模様を合わせて織るんだから、そんなに何色も使えないのさ」
「昔は秩父、足利、桐生、八王子、伊勢崎と、関東は銘仙を織る人、たくさんいたけどさ、実は友禅染めに負けたんだね。もう嫁入りにも持っていかないしなあ。戦後はみな銘仙を着てたけどなあ」

おっちゃんは懐かしそうに銘仙を語り始めた。

「でも、今着ても、ちっとも古くないし。手仕事の粋だね。色の組み合わせも素晴らしいよね。好きだなあ」

と私。
おっちゃん

あんたは良いよなあ。作品(商品)を褒めてくれっからさ。客の中には『ここ、擦り切れてるじゃん!』とか『肩のとこ、焼けてる!!(少し色落ち)』『まけてよ!!』ってさ。けなしてまけさせようってのがいるのさ。一番頭くるね!きものも、百年も生きてりゃ、怪我もするさって言ってやるんだ」

数年前、京都東寺の、市の思い出だ。
毎月21日は弘法さんの日。境内に市が立ち、古着、植木、焼き物、雑貨など、様々なものが露店をうめる。永六輔さんもこの露店が好きで、関西へ来ると、時間を作って来ておられた。おっちゃんはこの露店に古着屋を出店しているのだ。

京都にはもう一つ。毎月25日に学問の神様の北野天満宮に市の立つ日があり、おっちゃんはこうして古着を持って、全国の露店できものをあつかっているのだ。
おっちゃんの声は良くとおる。呼び声、呼び込みの声はともかく、商品を愛を持って紹介する。それがまた、聞かせるのだ。
おっちゃんの年齢も人生も、私は知らない。でも、人柄と話芸に惹かれているのだ。

おっちゃんは気に入った客には特別なサービスをする。きものを展示している所の後ろに停めてあるライトバンから、数点のきものをかかえてくる。久留米絣であったり、紅型であったり、逸品中の逸品だ。
おっちゃんは、一点一点、ていねいに特色を説明する。おっちゃんの得意の場面だ。少しずつお客さんが集まってくる。まさに移動美術館だ。

しばらく東寺の市には遠のいているが、おっちゃんは今も元気なのだろうか。

ある時、私は尋ねた。

おっちゃん、お商売だけど、やっぱり自分の気に入っているきものが売れた時は、何かさみしくなること、ないですか」

「そうだなあ。売れて嬉しいような、淋しいような。でもなあ、おいらも客を選んでるけど、きものも客を選んでるんだよ。おさまるところにおさまるねえ!」

「大事にしてもらえよ!」って、きっと売れたきものを客に渡す時、おっちゃんは心の中で思っているのだろう。

元気なら百歳近いだろう。おっちゃんに逢いたいものだ。
(本稿は老友新聞本紙2021年4月号に掲載された当時のものです)

おっちゃん元気?