テクノロジーの世界で使われる言葉は日々変化するもの。近頃よく聞くようになった言葉や、すでに浸透しているけれど、意外とわかっていなかったりする言葉が、実はたくさんある。

 本連載はこうした用語の解説記事だ。第17回は「キーボードの配列」について。パソコンで使われているキーボードに印字された文字は、冷静になって見てみると不可思議な並びになっている。なぜこのような配列になっているのだろうか。その背景や歴史などを紹介しよう。

【画像でチェック】キーボードの歴史と多様なバリエーション

・世界初のキーボードとは?

 いまやコンピュータの入力機器として欠かせないキーボードだが、機械に文字を入力するためのインターフェースとしては、コンピュータよりもずっと歴史が古い。コンピューターより以前、人間が文字を入力する道具としてはタイプライターが存在した。タイプライター自体は18世紀ごろから原型が開発されていたとされる。19世紀中頃に初の商業用タイプライターとして登場した「ハンセン・ライティングボール」では、半球状の部品に格子状にキーが並べられていた。このときの配列は8×8をベースにしたもので、おそらく、ある程度使用頻度などを考慮したと思われるが、今のキーボードとは似ても似つかないものだった。

 また同時期、印刷電信機(テレタイプ)が実用化される。このテレタイプ端末では、文字の入力にピアノの鍵盤を利用した、2段配列(ピアノ配列)のキーボードが使用されていた。余談だが、海外では「鍵盤」(キーボード)を流用したことから文字入力機器も「キーボード」と呼ぶようになったという経緯がある。

 ハンセン・ライティングボールから遅れること4年、米国のレミントン社が発売した「ショールズ・アンド・グリデン・タイプライター」が、タイプライターという単語を初めて使った製品であり、その後のタイプライターの母体となる製品でもあった。これに登場するキーボード配列が現在の「QWERTY」配列の母体となるものだった。この配列が登場したのが1882年なので、実に140年の歴史があることになる。

 ここで使われた「QWERTY」という配列は、文字キーの左上から「Q」「W」「E」「R」「T」「Y」と並んでいることからこう名付けられた。どうしてこの配列になったかは諸説あるが、技術的な問題と、特許の兼ね合いからこうなった、というのが有力視されている。この頃は「1」と小文字の「L」、「O」と数字の「0」を同じものとして扱うなど、キーの節約のための涙ぐましい努力のあとも伺える。また、同じキーに大文字と小文字の活字を割り当て、切り替えて使う「シフト機構」もこのころ登場する。現在の「Shift」キーはまさにこの機構を再現するものなのだ。

 さて、レミントン社のタイプライターのライバルとなったのが、アメリカンライティング社のタイプライターだった。こちらは大文字と小文字が別のキーに割り当てられており、「カリグラフ配列」と呼ばれた。

 QWERTY配列カリグラフ配列は双方の優位性を賭けて激しく対立していたが、1893年にタイプライター大手5社が1社にまとまり、両者の競争はうやむやになる。そして合併した会社はQWERTY配列を推進したため、この配列がデファクトスタンダードとして確立することになり、カリグラフ配列は消滅していった。現在QWERTY配列は米国で規格化され、「ANSI」配列、または「ASCII配列」とも言われている。

・科学的に正しいDvorak配列

 QWERTY配列の登場に遅れること50年、1932年に米ワシントン大学のオーガスト・ドヴォラック教授が考案したのが「Dvorak配列」だ。これは英文入力に特化されたキー配列で、アルファベットの出現頻度と文字同士の相関性(Wのあとはhが繋がりやすい、など)を考慮して、打鍵の誤りを減らし、入力速度を高めることを目的として開発された。基本的に母音が左手、子音が右手に割り当てられた配列となっている。

 Dvorak配列は理論的には英文で最速と言われているが、実際のところQWERTY配列でも慣れればかなりの速度で入力できてしまうため、新しい配列を覚えるメリットが薄い。現在も英語圏では細々と販売が続いており、またPCのOSでもDvorakを選択することはできるのだが、OSのショートカットキーQWERTY配列を前提としたものであることなどから、実際のユーザーはかなり少ないだろう。また、オリジナルの効率配列は常に研究されており、「Colemak」など、メジャーになりつつあるものも登場している。今年はDvorak配列登場から90周年だが、100周年を迎えることができるかは、難しいところだろう。
 
・日本語のキーボード配列は?

 キーボード自体が欧米での発明品だったため、その他の言語では必要に応じて独自の配列を開発する必要があった。欧州でも非英語圏ではアルファベットに変音符や26文字に含まれない「ß」などを入力するため、「AZERTY」(フランス語圏)や「QWERTZ」(ドイツ語/チェコ語圏)などのQWERTY亜種が登場している。ちなみにこれらの配列はISOで規格化されており、ANSI配列に対して「ISO配列」とも呼ばれる。

 日本においては、アルファベットQWERTY(厳密には一部の記号類の配列が異なる)日本語(かな)は「JIS配列」という配列が主流となっている。このJIS配列については、明治・大正時代にまで遡ることができる。

 1910年代に国語改革の一環として「漢字廃止論」が唱えられたことがある。日本語自体を廃止し、英語やフランス語公用語とする主張だが、ローマ字専用論、カナ文字専用論の2論が漢字廃止論の中心となった。このとき、カナ文字専用論を唱えたのが、山下芳太郎らが設立した「カナモジカイ」という団体であり、山下氏は横打ちのカナタイプライターを開発するべく、米国でアンダーウッドタイプライター社のバーナム・クース・スティックニーと共同でキー配列を考案する。山下氏はこの直後に病死し、スティックニー氏が山下氏と考案したキー配列を改良して特許を取ったものがカナタイプライターに採用される。

 カナモジカイはこの配列を1954年、工業技術院(現・産業技術総合研究所)にJIS規格化するよう働きかける。工業技術院は1964年、「JIS B 9509−1964」としてカナモジカイの配列を日本語キーボード用のJIS規格のひとつとして採用する。これが現在のJIS規格の元になっている。

 JIS配列は1978年に東芝から初の日本語ワードプロセッサーである「JW-10」が登場した。これは初めて「かな」から「漢字」に変換することを可能にしたもので、ソフトウェアが介在することで、英字タイプライターと同じ配列のキーボードから高速に日本語を入力できるようになる。このJW-10のキーボードでは、「JIS配列」(JIS X 6002-1980)が採用され、これがその後他社のワープロ専用機、あるいはパソコンにも影響していく。

 前述したようにJIS規格の元は米国人であるスティックニー氏であり、日本人が直接関わった規格ではない。元々、山下氏は文字の使用頻度で配列を決めようとしていたが、スティックニー氏から覚えやすさを重視するべきだとのアドバイスを受け、病気がちだったこともあり、自案を取り下げたという経緯がある。現在はホームポジションの近くに頻度の高い文字を置くべきというのが常識だが、それが守られていないため、JIS配列そのものの有用性に対する批判もある。

 そこで1986年通商産業省(現・経済産業省)が標準化したのが「JIS X 6004」、通称「新JIS配列」だ。これは数百万字からの文字の利用頻度、および実際の人間を対象として指の運動特性などを研究して科学的に開発された、「実在の人間が無理なく、速く打てる配列」のはしりとして登場し、ワープロ専用機には採用もされたのだが、当時普及が始まっていたパソコンにはあまり広がることがなく、結局1999年に廃止されてしまった。

 もう一つ、JIS以外で高速な日本語入力を目的としたものに「親指シフト」がある。これは1979年富士通が開発したもので、1キーにかなが2文字ずつ割り当てられており、親指部にあるシフトキーとの同時打鍵の有無で文字を打ち分けるため「親指シフト」と呼ばれる配列だ。JIS配列だったJW-10に対抗すべく、同社のワープロ専用機に採用されて一部に根強い人気を博した。その後日本語入力コンソーシアムから改良版の「NICOLA配列」が登場。現在も細々と専用キーボードが販売されており、既存キーボード親指シフト/NICOLA化するソフトなども存在するが、JIS配列に置き換わるまでには至らなかった。

 こうして紆余曲折あったカナ配列の歴史だが、結局現在のユーザーは大半がQWERTY配列によるローマ字入力を利用している。このまま廃れていく可能性もあるカナ配列だが、背景にはなかなか壮大な歴史が絡んでいたことを覚えておいてあげれば供養にもなるだろう。(文=海老原昭)

引用元:The International Rasmus Malling-Hansen Society