
栃木県にある鬼怒川温泉のホテルの廃墟群がSNSで話題になっている。
〈「鬼怒川温泉といえば廃墟」
「鬼怒川温泉の廃墟群とか有名よね」
こうしたコメントと一緒に朽ち果てたホテルや旅館の写真がアップされており、YouTubeを検索すると廃墟ツアーと称した鬼怒川温泉の動画が数多く見受けられる。
気になって調べてみると、どうやらバブル期に拡大したいくつもの温泉が、その後に倒産。おまけに、経営陣だけが“逃げて”、残された従業員たちが最後の日まで何とか運営し続けたという温泉もあるという。
いったい、鬼怒川温泉で何が起きているのだろうか――。
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鬼怒川温泉駅に降り立つと…鬼怒川温泉駅に降り立つと、周辺はコロナが収束に向かっていることもあり、平日にもかかわらず、中高年や大学生の旅行客が目に付いた。駅周辺には大型ホテルが点在しており、さびれた雰囲気はまったくなかった。
そんな駅周辺から10分ほど歩くと、渓谷沿いにちらほらと廃墟となったホテルが目に付くようになる。
鬼怒川にかかるくろがね橋から渓谷を見下ろすと、無人となったホテルが目立つようになり、風光明媚な渓谷の景色に水を差していた。観光客の気持ちを考えると、外壁がはげ落ちたホテルや、草や蔓が生い茂った建物などで興ざめしてしまう向きがあるのは事実だろう。
ただ、それら廃墟群は鬼怒川温泉のごく一部の光景であり、駅からも離れた場所にあるため、頻繁に目に触れるものではない。
ネットにアップされている写真や動画だけを見ると、あたかも鬼怒川温泉全体が廃墟化しているような印象を受けてしまうが、鬼怒川温泉全体の中でも廃墟になっているところは、ごく限られた狭いエリアのみである。
夜の街にも繰り出してみたが、数は少ないものの、居酒屋やスナックなどはしっかり営業していた。コロナ禍によって閉店した店が多いと聞いていたが、コンサルタントとして経営に関わる仕事をしている自分にしてみれば、現在の地方都市温泉街としては頑張って営業している部類に入ると思う。
夜の廃墟群にも行ってみた。真っ暗闇にそびえ立つ巨大な建物は確かに不気味だったが、営業している大型の宿泊施設も周辺には多く、部屋の明かりも想像以上に多く点いていた。
金曜日の夜ということもあって、浴衣を着たカップルや年配者も街を散策しており、そこには廃墟のレッテルが張られた寂しい温泉街の姿は微塵もなかった。
SNSで広がる「廃墟」のイメージと、実際の現地の雰囲気と。このギャップは、いったいどういうことなのだろうか――。
進まぬ解体と「建物の劣化は急激に進んでいます」「建物の劣化は急激に進んでいます。日光市としては建物の開口部を板で塞ぎ、不法侵入させない対策を徹底しています」
そう話すのは日光市役所建築部建築住宅課・渡辺佳行課長。しかし、現状、廃墟の対策には苦戦を強いられているという。
「実態調査を行っているのですが、ホテルの持ち主が分からず、手が付けられない物件が数多くあります。建物が河川の崖沿いにあるため解体も難しく、道路も幅が狭いために大きな重機が入りにくいのも、解体作業が困難な理由の一つになっています」(渡辺課長)
地域再生事業として建物を解体し、公園などにした事例もあるが、廃墟全体の数からみればほんのわずかしかない。
ネット上では建物1棟あたりの解体費用が1億だ、いや2億だと言われているが、工事の目処すら立っていないため、正確な解体費用は導き出せていないという。当然、日光市の予算だけでは解体することができず、栃木県や国にもアプローチを試みているものの、具体的な対策案は残念ながら出てきていない。
一大観光地だった鬼怒川温泉に何が起きたのかこうした問題を抱える鬼怒川温泉だが、そもそも、廃墟となったホテルや旅館も、かつてはかなりの規模の一大観光地だった。
「鬼怒川温泉は東京から2時間以内という立地の良さで、昔は団体客で大いに賑わいました」
こう語るのは、日光市役所の観光経済部観光課・篠原義典さんだ。
「ただ、バブルが崩壊し、旅行客が個人向けにシフトしたことで、部屋数が多く、大宴会場を備えるホテルが多かった鬼怒川温泉は、観光客の減少に直面することになったんです」(篠原さん)
1999年に日光東照宮が世界遺産に登録されたことで、いったんは観光客の減少には歯止めがかかったかにみえたものの、2011年に発生した東日本大震災の影響で国内外からの観光客が激減し、鬼怒川温泉は再び大きな打撃を受けることになる。
しかし、ここで彼らは諦めなかった。その後、地域再生事業を活用して駅前広場を新しくしたり、地域のサービス向上のために従業員向けの講習会を開催したりしながら、鬼怒川温泉はどん底から再び観光客を少しずつ増やしていったのである。同じく日光市役所観光経済部の藤原観光課・細井正史課長は次のように語る。
「訪日客が増えたことも後押しになりました。平成19年の訪日客の宿泊客数は8万人でしたが、令和元年には12万人まで増加しました」
バブルの崩壊、東日本大震災と大きな苦難を乗り越え、這い上がろうとしていた鬼怒川温泉。しかし、2020年、それまで以上の苦難がやってくる。コロナ禍だ。
新型コロナウイルスによって訪日客の客足は急落。2020年には85%減の1万8000人、2021年には2000人となり、バブル崩壊や東日本大震災とは比べ物にならないほどの観光客の減少幅となった。細井課長は嘆息して言った。
「県民割やGoTo、訪日客の回復には大いに期待しています。だからこそ、観光業の回復に水を差すようなネット上の廃墟群の写真や情報は、鬼怒川温泉にとって大きなマイナス要素でしかないんです」
「なんで鬼怒川ばかりが…」取材を続けていると、立ち寄った飲食店で店の主人が愚痴をこぼした。
「他の温泉地にも廃墟になったホテルがたくさんあるんだよ。それなのに、鬼怒川ばかりがネットやテレビに取り上げられてさ」
主人によると、団体客がピークに達していた時代は、街を練り歩く人が浴衣をはぎとられるほど土産屋の客引きが多く、夏に行われる「龍王祭」では、多くの観光客が訪れて街中が大いに賑わっていたという。
しかし、そのピーク時の全盛期があったからこそ、鬼怒川温泉の廃墟は“バブルの遺構”として注目されてしまうところがあった。光と影の部分がクローズアップされてしまうのは日本を代表する有名温泉地としての宿命とも言えた。
一方で、たしかに一面ばかりが注目されすぎているきらいもある。
鬼怒川温泉の廃墟群に行ったことを自慢したいがために、廃墟の部分だけを写真におさめてSNSにアップする旅行者もいるだろう。コロナで旅行客が少ないことをいいことに、人気のない観光地を撮影して、あたかも街全体が廃れているような写真をアップするのは、いわゆるSNSの写真を“盛る”という行為に近いのかもしれない。
“演出すること”をことさらに責め立てるつもりはないが、実際に現地まで足を運んだ私の個人的な感想としては、「鬼怒川温泉=廃墟」というのは風評被害の面が大きいように思われた。
当時を知る人物は、何を語るのかただ、一部とはいえ、鬼怒川温泉に廃墟群があるのは事実である。立地面の解体しづらさもさることながら、とりわけ問題をややこしくしているのは、権利関係が複雑になったまま、当事者たちの行方が知れないケースがあることだ。
地元の人たちに対して多大なる迷惑をかけており、地元愛が少しでも残っていれば、倒産する前に誰かに売るなり、更地にするなりして、経営者として後始末をするべきではなかったのか――。
当時の事情を知る人物を辿るうち、バブル絶頂期のホテル経営の実情を知る人物を取材することが出来た。鬼怒川温泉で古くからホテルを営む「鬼怒川パークホテルズ」の小野吉正会長である。
当時のことを尋ねた私に、小野会長は回想するように語り始めた。
「ホテル経営の場合、社長や従業員の手腕だけでなく、立地だったり、食事だったり、温泉だったり、さまざまな要素が絡み合うことで、経営状態が大きく変わってしまうところがあるんです。
景気のいい時は、その点が大きな差として表れていなかったんですが、景気が悪くなり、宿泊客が減っていくと、その総合力の差が少しずつ開いていって、経営が続けられるホテルと、そうでないホテルに分かれてしまったんです」
バブルがはじけ、業界を取り巻くトレンドが変化。鬼怒川温泉は…当時、銀行も旅行代理店も急増する団体客に対して“イケイケドンドン”の状態で、ホテルの経営者もその勢いに乗じて部屋数を次々に増やしていった。
しかし、バブルがはじけ、業界を取り巻くトレンドが団体旅行から個人旅行にシフトしていった際、たくさんの部屋数と大宴会場を抱えた鬼怒川温泉のホテルは、時代の流れに対応することができなかった。
「その昔、鬼怒川温泉駅は今の場所ではなく、現在は廃墟群があるくろがね橋周辺にあったんです。
当時から立つホテルは全体的に建物が古く、そもそも修繕が難しかった。くわえて、温泉が川沿いからしか出なかったことで、解体しづらい渓谷沿いにホテルが集中してしまっていました。
他にもいろいろな問題が重なって、タイミングの悪かったホテルは長らく解体されぬまま、あのような廃墟群となってしまったんです」(小野会長)
「お客が増えたからといって、再びすべての部屋を稼働させようとすると…」コロナが収束に向かい、国内の観光客や訪日客が増えれば、鬼怒川温泉のホテルは再び従業員を増やして対応していくことになるだろう。場合によっては客室を増やし、売上を伸ばす方向に舵を切っていくホテルも増えていくはずである。
しかし、そのような策に出れば、バブル期に客室を増やし、最後は朽ち果ててしまったホテルの二の舞になってしまう可能性もある。
膨れ上がった客室のキャパを臨機応変に縮ませることができないことは、すでに鬼怒川温泉の廃墟群が物語っている。このままひたすらに訪日客を受け入れていけば、日本全国の温泉地に廃墟のホテル群が誕生することになるのではないか。
私のこうした問いに、小野会長は危機感をにじませるように答えた。
「部屋が100ある中、コロナ禍ではそのうちの50ぐらいの部屋を使って経営をしている状況でした。
しかし、お客が増えたからといって、再び100の部屋を回そうとすると、再び経営に負荷がかかってしまい、どこかで無理が生じてしまいます。
これからは日本の人口も減っていきますし、働き方改革で従業員を確保することも難しいです。これらの社会情勢に柔軟に対応していくためには、ホテルは100の部屋をフルに回すのではなく、60~70ぐらいの部屋を使って、ゆっくりと利用者の方に時間を過ごしていただきながら最大限の利益が出せる経営にシフトしていかなければ、生き残ることが難しくなっていくのではないでしょうか」
そのような抜本的な施策を打つためには、経営努力だけでは解決できないことが多いとして、さらに続く。
「銀行や国が、宿泊施設に対して『コロナで貸したお金をすぐに返せ』というスタンスだと、ホテル側も焦って売上を取りに行かざるをえなくなり、結果的に無理な経営になりかねない。
そうならないためにも、支払いペースをもう少しおさえるなど、ホテルや旅館の経営者にゆとりを与えなければ、観光客や訪日客に長期休暇を楽しむ欧米型のサービスを提供することはできないと思います」
アフターコロナと“旅行の時間”小野会長の信念が反映されてなのか、鬼怒川パークホテルズは、大きな中庭を構え、庭園茶房やガーデンテラスなどの施設を持つ。部屋数を増やすことよりも、宿泊者に有意義な時間を過ごしてもらうための空間作りに、長らく力を入れてきたのが特徴だ。当座の売上だけを取りに行くのではなく、リピート客に何度も足を運んでもらえるような方針をとり続け、結果として景気に大きく左右されることはないという。
鬼怒川温泉で廃墟となってしまった宿泊施設の経営者たちも、バブル期にもう少し余裕を持った“態勢”で臨んでいれば、無理をして部屋数を拡張することも、大きな借金を背負うこともなかったのかもしれない。そう思えば、景気が上向いたときに、自分たちは何を優先してお客にサービスを提供すればいいのか、廃墟になったホテルたちは身をもって教えてくれているような気がする。
廃墟の解体にも相当の時間がかかる以上、今後も、鬼怒川温泉の廃墟群の写真や映像は、そこだけが切り取られたかたちで広まっていくこともあるだろう。長期にわたって地元の人たちが気を揉むことが予想される。
しかし、廃墟のホテルが生まれてしまった背景には、当時、「ゆっくりと旅をする」という文化が日本に根付いていなかったことが大きな要因といえるのではないか。その“ゆっくり”を実現するためには、ホテルや旅館の経営に対して、金融面からも支援政策が必要なのかもしれない。そうしなければ、私たちはいつまで経ってもせわしない旅行を続けることになりかねない。これではバブル期に旅行した団体客となんら変わりがないだろう。
アフターコロナで旅のスタイルを見直す機会を得た今、鬼怒川温泉の廃墟群から、私たちはもう一度、旅行そのもののあり方を学ぶべきではないだろうか。
写真=竹内謙礼
(竹内 謙礼)

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