『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンがSNSの「評価」に依存するのは不健全だと指摘する。

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若い世代を中心に、多くの人がSNSのアカウントを能動的に運用することが当たり前になりました。よく指摘されることですが、これは「他人の評価こそが自分の価値」という心理に陥りやすい状況でもあります。

そして、他人の評価に一度でも依存してしまうと、承認を失うことが怖くなり、どうやったらみんなに好かれ続けるかを意識してあらゆる言動を選択するようになる。

再生数欲しさに暴走するYouTuberだけでなく、ちょっと気の利いたことを言って「友達」や「友達の友達」からの反応を待っているあなたも、他人の評価のとりこになっている。SNSやネットでの評価なんて、テレビの視聴率よりもっとつかみどころのないものなのに。

ツイッターの個々の投稿に対する反響の大きさを示す、「インプレッション」(投稿が見られた数)や「エンゲージメント」(「いいね」やリツイートなど、投稿に対して取られたアクションの数)といった指標があります。私の場合、確実に一定以上のインプレッションやエンゲージメントがつくネタは――「食事」です。

ロシアウクライナ侵攻、アメリカの銃規制人工妊娠中絶の憲法判断などの問題について、読むべき記事を自分なりに厳選して引用したツイートよりも、昼に食べたチキン南蛮や、夜になんとなく注文した巨峰サワーに何倍ものインプレッションやエンゲージメントがつくことは珍しくありません。

「テレビに出ている人のプライベートをチラ見」というような心理が働くのかもしれませんが、それにしても......と思ってしまうことはしばしばです。もし私がスキャンダルでも起こした日には、そういったツイートまでも「プチセレブ気取り」などと言われて炎上の"薪(まき)"になるのでしょう。

もちろん、食べ物や飲み物が本当に好きでアップしたり、リアクションしたりする人はいい。しかし、「食べ物がウケる」から血眼になって投稿し続ける人が大勢いるとしたら(たぶんけっこういると思います)、言い方は悪いですがやや病的なものを感じてしまいます。

世間(もしくは自分の"客")の価値観と自分の価値観がズレることを強く恐れ、自分を消すこともいとわない――そうなったら、もはや不特定多数に対して「いいね」をもらうためのパパ活をしているようなもの。そこには個々の価値基準がなく、群集心理と便乗だけがあります。

その病的なものに対して、衰弱したマスコミや広告代理店がビジネスチャンスを見いだし、さらに人が群がり、必死に「いいね」を稼ごうとする動きが加速する。はっきり言って不毛ですし、個人のメンタルヘルスのことを考えても非常に不健全です。

仮に10万の「いいね」をもらってもそこがゴールではなく、このサイクルは永遠に続くのですから、その中で生きる限りは、人生すべてが人に見せるためのパフォーマンスのようなものになってしまう。

その修羅の世界で生きていきたいという人を止める権利は私にはありません。しかし、私の朝食のトーストについた万単位のインプレッション、数百のエンゲージメントに、何か重要な意味があるとは私にはとうてい思えない。その「大して意味がないもの」に依存するのは、やはり不健全だと思うのです。

モーリー・ロバートソン(Morley ROBERTSON)
国際ジャーナリスト、ミュージシャン。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。レギュラー出演中の『スッキリ』(日テレ系)、『報道ランナー』(カンテレ)ほかメディア出演多数。昨年はNHK大河ドラマ『青天を衝け』、TBS系日曜劇場日本沈没―希望のひと―』への出演でも話題に!

「私の朝食のトーストについた万単位のインプレッション、数百のエンゲージメントに、何か重要な意味があるとは私にはとうてい思えない」と語るモーリー氏