「THE W 2021」で優勝したオダウエダの小田結希が登壇した、過去に大きな失敗をやらかした“しくじり先生”たちが、自らのしくじった経験をさらけ出し、人生の教訓を伝授してくれる反面教師バラエティー「しくじり先生 俺みたいになるな!!」(毎月第1~3金曜夜9:00-9:30、第4金曜テレビ朝日地上波放送終了後~ ABEMA SPECIALチャンネル)の7月1日の放送では、“グレて駆け込み寺に入れられちゃった先生”として、少女時代にグレてしまい、“駆け込み寺”に入れられた過去やそこでの生活、更生までの道のりを打ち明けた。

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授業のオープニング、「私は16歳のときにとんでもなくしくじります」と切り出した小田先生は、「グレて母親の手に負えなくなり“駆け込み寺”に入れられた」と明かし、「しかも“駆け込み寺”に2回、入ってます」との、にこやかな表情と、おっとりとした口調で語られた小田先生の意外なしくじりに、「このテンポでグレてたの?」「スゲぇこわいよ」と、生徒たちに笑いと驚きの表情が広がる。

その小田先生が入ったのは、“平成の駆け込み寺”と言われる愛知県岡崎市にある西居院で、当時、先生は、毎日、母親とケンカをして、母親とのあいだに大きな確執が生まれてしまっており、そんな状況に母親は、西居院の住職だった廣中邦充を頼ったのだと説明した。

■中学1年生の頃、グレ始めた小田結希先生

3姉妹の末っ子で、姉ふたりは成績優秀で、母親とも仲が良かったのに対し、「自分だけが勉強もできず、母親とも仲が悪かった」と明かした小田先生の母親は、女手ひとつで3姉妹を育てるため、老人ホームを経営していたと言い、親子の会話がだんだんと減ったり、反抗したりと、小田先生が変化していくなかでも、当時の母親は「ふたりの姉もふつうに育っているし、うちの子は大丈夫」という気持ちで先生を見守っていたのだと語った。

そして、中学1年生の頃には“彼氏がグレた”ことをきっかけに小田先生自身もグレ始め、非行行動をとるようになり、母親から毎日のように言われた「お姉ちゃんと同じように勉強、がんばれるよね!」という期待の重圧から逃げたくなった先生は、1週間以上も家出をし、警察に補導されて、母親を号泣させたこともあると打ち明けた。

その後、定時制高校へ進学するも、学校にも通わず、荒れまくった生活を送っていた先生に対し、昼間は老人ホームで働き、夜は小田先生の帰りを朝まで待っていたという母親に、先生は「そんなお母さんに“死ね!”という最低なひと言を言ってしまった」とざんげし、娘からぶつけられたこの言葉をきっかけに、母親は先生を“駆け込み寺”に入れること決意し、その数日後、母親からめずらしく「ごはんを食べにいこう」と誘われ、そのまま車で8時間かけて“駆け込み寺”に連れていかれたと、経緯を明かした。

■絶望状態の小田結希先生

お寺に着き、絶望状態の先生だったが、住職の廣中から、それまでどんな生活をしていたのかと尋ねられ、先生は母親との確執をすべて打ち明けると、住職は「つらかったな」という言葉をかけてくれたと言い、先生は「初めて子どもに寄りそって話してくれる大人に出会いました」と、当時をふり返った。

そして、16歳の8月から始まった“駆け込み寺”での生活は、さまざまな境遇で問題を抱えた8人のメンバーとの共同生活で、仲間たちとともに規則正しい生活を送って3ヵ月後、「地元に戻って、学校に行きたい!でも、お母さんには会いたくない…」という複雑な思いを抱き始めた先生は、住職のアドバイスもあり、実家の近所にある従兄弟の家から学校に通うことになる。3ヵ月ぶりに娘に再会し、“娘は努力して変わった。私も変わらないと”という当時の母親の思いを知った先生は、「お母さんも、自分の考えを押しつけていたことを改善する努力を始めてくれました」と語った。

その後、地元に戻り、良い方向に動き始めたかと思えた小田先生だが、従兄弟の家で、ヤンキー生活よりも夢中になれる“とあるモノ”に出会ってしまい、完全な引きこもり生活を送るようになる。どん底生活から脱出するため、自ら「もう一度、お寺に戻ろう」と決断し、再びお寺へと戻った先生は、そこで親からDVを受けていたという仲間からの言葉をきっかけに、母親への思いも変化していく。

母と娘の強い絆でつむがれた更生物語、小田先生が自身の経験から学んだ教訓に生徒たちは大感動となる。

反面教師バラエティー「しくじり先生 俺みたいになるな!!」/(C)AbemaTV,Inc.