東日本大震災大津波で児童74人が亡くなった宮城県石巻市大川小学校の遺族が宮城県石巻市を相手取った国家賠償請訴訟の第一回口頭弁論が5月19日仙台地裁(高宮健二裁判長)で行なわれた。訴えたのは児童23人の19遺族。このうち7遺族が意見陳述をした。

 石巻市は「過去の経験上、釜地区(*著者注:大川小学校が設置された地区)まで津波は達成しておらず、大川小学校津波が到達するとは予想できなかった。釜地区の住民も予想できず、住民の8割以上が犠牲になっている。教職員が予見できなかったのはやむおえない」など、過失はないとしている。

 宮城県も請棄却をめている。同日の記者会見で村井嘉浩知事は「県は給与の負担をするという責任のみで、教職員に対する監督権、また、子ども対して導する、教育するという権限はない」などと述べている。

 原告側の弁護士は「教職員は、児童の命を守るため極めて厳格な安全確保ないし保護義務が課せられているのであって、近隣住民の方々と立場が全く異なります」といい、課外授業中に引率した児童が足を滑らせて沼に転落したら、たまたま通りすがった近隣の住民には救護義務はないが、引率した教職員は児童を救護する義務がある、との例を提示した。そして生存教諭の人尋問と、3月11日に現場検証することを要望した。

 裁判を巡っては、未曾有の大災害であり、想定外大津波が発生し、教職員も犠牲になったことで、裁判までしなくてもよいのではないか、遺族は「お金が欲しい」だけではないのか、といったがなくはない。「訴えても子どもは帰らない」という他の遺族もいる。そうしたがあるのを承知で、19遺族は訴える選択をした。

 遺族が訴訟という手段に出たのはいくつかの理由がある。

 教委から遺族への説明会があったが、生存した教諭は「津波をかぶった」と、「に濡れていなかった」という地域住民の言とはちがった内容を話している。また遺族がまだ説明をめていたにもかかわらず、会合終了後に教委がマスコミに対して「遺族は納得した」などと答えたこともあった。さらに震災後に教委が生存した児童に聞き取り調を行ったが、その際に記したメモを破棄した。メモを元にした報告書には、児童が言ったことが書かれていなかったーーなどがある。

 これらのため、一部の遺族と教委が対立していた。そのため、第三者の「学校事故検証委員会」(委員長、室崎益神戸大名誉教授)が設置された。遺族がめているものの一つに、地震が起きてから子どもたちが津波にのまれるまで、一体、何があったのか?という詳細な事実の解明だ。

 教職員も学校に避難してきた地域住民の多くは亡くなっている。教委の聞き取り調では一部のやりとりの言があるものの、「検証委」の最終報告書では、当日の詳細な動きは示さなかった。生存教諭の言の矛盾についても整合性を追求ことはなかった。再発防止のための検証であり、責任追及ではないというスタンスは、結局、事実を詳細に検証するものではなかった。

 当時三年生の健太君を失った佐藤美広さん(50)は、訴訟に関し批判的な意見があることに、「子どもたちはどうなるの?先生と一緒にいながらい波に飲まれて行ったんだよ」と話した。また、裁判で事実の解明はどこまですすむのかは未知数だが、「私は難しいことを考えていない。知りたいのは、生存した先生のとった行動なんだよね。子どもたちはどういう状況だったのかを教諭に教えてほしい。生で見た状況を言ってもらいたい」と、生存した教諭の言をめている。これまで生存教諭が遺族の前で説明したのは11年4月のときだけだ。

 佐藤さんは意見陳述でこう述べた。

「この3年間、石巻市石巻市教育委員会と話し合いをしてきましたが、私たち遺族の気持ちをわかってもらえず、息子が死んだ理由が何一つ明らかになりませんでした。どうしてもそれを知りたくて、最後の場所である、この法廷に立っています」

Written Photo by 渋井哲也

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