藝大ブームの火付け役となった著作の刊行後、二宮敦人さんは学生結婚した奥様(元東京藝大生)との間に、兄弟を授かりました。本作はそのカオスな日常を記したエッセイですが、ユニークな視点が定評の二宮さんだけに、爆笑と感動が波のように押し寄せる快作となっております。「おとうさん、むしって日本語しゃべれないの?」「おかあさん、ちょっとまぶしいから太陽へらして」「てきに食べられないように、おおきくなりたい」――名言を連発するかわいすぎる4歳児ちんたん、豆粒のような0歳児タッとともに歩む「人間への道」の道行きはいかに。ありふれた家族のスペシャルな日常を鮮度100%の筆で実況中継いたします。 


「ぼくね、砂が30個あったら、パソコン作れちゃうんだよねえ」「おとうさんのおしりは落ちつくなぁ」「おとうさん、すきなうんこの色、何色?」――4歳児ちんたんは本の中で6歳に。「てきにたべられないように、おおきくなりたい」と願い続けて、苦手なピーマンをひとかけら口にできるまでに成長します。そして、豆粒のようだった0歳児タッは2歳になり、浴槽のふちにコップを並べてお風呂のお湯を何度も味わう「湯船のソムリエ」へと成長。子どもと親が日々の生活の中でともに育っていく大人気「家族エッセイ」、ぜひお読みください。

新潮社内にも連載を楽しみにしてきた読者がたくさんいます。寄せられた感想のいちぶをご紹介します》
  • 「『記憶の砂場に埋もれてしまう小さな記憶』がすべてあります」(校閲部、40代)
「書き留めておくといいよ、こんな面白いこと、感動したことを忘れるわけがないと思っても、毎日どんどん色々なことが起こって、上書きされて絶対に忘れていってしまうから」子どもがまだ赤ちゃんだったころ、編集者である先輩ママにそう言われたときは、それはもう職業病とも言える記録癖だよなと思っていたのですが。だって、初めてのあれこれや、傑作な言い間違い、どれもオンリーワンで忘れるはずがないようなできごとだったので。
 でも忘れる。忘れるというか、指の間から砂が少しずつこぼれ落ちて砂場に混じってしまうように、日々重ねられてゆく記憶の中に埋もれていって思い出せなくなってしまう。
 ときどき、指の間からこぼれてしまった小さいときのあれこれを、何とも言えない懐かしさと寂しさとともに思い出すことがあるのです。もうはっきりとは形を結ばない、あのとき可愛かったんだよね!ということだけが確実な、幼かったころのことを。
 『ぼくらは人間修行中』には、その「記憶の砂場に埋もれてしまう小さな記憶」がすべてあります。とりたててタイトルもつかないような、毎日流れていってしまう何でもない小さなできごとが。でも、後になって思い出したいのは、そういう何でもない瞬間なのです。だから、とても羨ましい。わたしの中にある、この「よくは覚えてないけど、あのときはすごく可愛かった!」というぼんやりした記憶の断片が、二宮さんの中にははっきりした記録として堆積している。それは、どういう感じなのだろうと不思議な気持ちでいます。
 この作品の中でわたしが一番好きなのは、ちんたんが著者に「つかってる?」と声をかけた、夜のシーンです。それは世界には何も影響を与えないけれど、自分が拾い上げていなければ、世界に存在しなかった言葉やできごと。きっとそれはまだまだあって、それを見つける二宮さんの眼が欲しいような、ちょっと悔しいような気持ちになります。
  • 「お腹を抱えて笑いました」(プロモーション室、20代)
 とびきり素直で無垢なユーモアに、何度吹き出してしまったことか…!みずみずしく、活き活きと家族を描く二宮さんの文章にお腹を抱えて笑いました。そして、いま世界中のすべての親御さんに尊敬の気持ちを抱いています。
  • 「笑いを兼ね備えた哲学書のよう」(デザイン室、30代)
 声を出して笑ってしまうくらい面白かったです!ちんたんに我が家のおさる(3歳)の姿を重ねて、わかるわかると頷いたり、笑ったり、ちんたんがどんどん成長していく姿に行く末を見たり。(赤ちゃん時代の)懐かしさ、同意、驚き、笑い、全てを兼ね備えつつ、最後に人間とは何か?という究極の問いへの答えも教えてくれる、まるで笑いを兼ね備えた哲学書のよう。何より親であることはこんなにも楽しく素晴らしいことであると改めて思わせてくれました!
  • 「コミックエッセイや絵本を読んでいる気持ち」(文庫編集部、30代)
 エッセイってこんなに優しい空気感出せるんですね。文字を読んでるのに、コミックエッセイや絵本を読んでいる気持ちです。癒される……。
  • 「誰もが心から応援したくなる家族(チーム)」(装幀部、50代)
 子育て終了組の私は、この本で子供たちのこの時期しか話せないことば、思いも寄らないうごき、フワッフワの産毛にムチムチの肌を思い出して、にっこりうっとりしています。こどもたちの可愛さ! おとうさんおかあさんの愛おしさ! 二宮さんが「ぼくら」と呼ぶこのチームは、上下がなく、いつも肯定的で、誰もが心から応援したくなる家族(チーム)です。
  • 「こんな距離感で子と向き合えたらいいな」(小説新潮編集部、20代)
 20代後半の女性という身で、周囲にはちらほらと子を持つ友人がでてきたり、同世代の親族が出産して甥や姪ができたり、「母になること」「親になること」をぼんやりと想像するようになりました。かけがえのない存在が誕生することへの希望やわくわくと共に、自分に親が務まるのか、子供にすべてを捧げられるのか、自信がないと感じることもままあります。
 だけどこの本を読んでいると、そういった「親とはかくあるべし」がどこにもないように感じられました。そこにいるのは、ただただ、小さな生命体と向き合う作家・二宮敦人さん。「この人は“父親”という像に全く縛られていないな」と気づいてからしばらくして、ご本人が「自分には父性がない」と書かれていた、やはり、と思いました。
 幼い我が子がノリツッコミのような反応を見せれば好奇心を刺激されて観察を続ける。遊ぼうと誘い続ける子供を平然と無視して米を炊いたりコーヒーを炊いたりする。親のトイレを「漏れる!」と急かす子供の申し出を「急に言われても。あと少しで出るから待ってて」と断る。
 もしかしたら、子を持つ親たちにとっては当たり前の日々なのかもしれません。が、もっともっと身を粉にして、子に尽くさなくてはいけないと思っていた身としては、こうした日常は意外でした。自分の母親は美味しい食べ物があったとき進んで私に譲ってくれていた気がします。あれが自分にできるのか、という恐怖が、この本を読んで、すっと軽くなりました。「親としての模範解答」なんて、考えなくていいのだと教わります。
 かといって、「子供がいる生活っていいな!」とは簡単には思えません。二宮さんの生活は子どもたちに牛耳られていて、ずっと台風の中で生きているかのよう。子どもたちからウイルスをもらい、両親が高熱にあえぐシーンは壮絶でした。でも、「子を持つ」という人類がずっと続けてきた行動に対して、色眼鏡を外し、あらゆるバイアスを捨て去る、心の準備ができたようには感じます。男性、女性、父、母、そういった社会的な役割を気負うことなく、目の前に現れる宇宙人のような未知なる生命体に、ただただしっかり向き合えばいいのだ、と学びました。すでに子を持っているひとからすれば、そうした足枷を取り払う一助になるのかもしれません。「家族」の正解を目指さず、目の前の子供たちとの時間を捌き続ける二宮さん一家にも、ダンスパーティのような素晴らしい時間が訪れるのだということに、希望を感じました。
 こんな距離感で子と向き合えたらいいな、と、素直な憧れをもって読了しました。
  • 「自信もって、仲間がいっぱいいるよ」(受付、40代)
 2人の息子の寝息を確かめ、私は奥の部屋へ向かう。この本を読み進め、自分の中にあったモヤモヤが明文化されていることに驚き、激しく同意し、そして安堵する。少し過去の自分にあんまり間違ってないから自信もって、仲間がいっぱいいるよと伝えに行きたくなりました。
  • 「これでいいのだ」(週刊新潮編集部、30代)
 共感できるところ多数でとても面白かったです。自称イクメンの人もそうでない人も(自分は後者)、父親が子育てでどうふるまうべきかというのは、誰しも人知れずに悩みを抱えていると思います。「一生懸命遊んでいるのに、なぜか母親になつく」「叱りつけると叱り方を妻から窘められ、子どもになめられる」「そもそも遊ぶ時間が少ない」しかしそうした悩みを相談できる場はあまりありません。コロナでパパ友ができるわけでもない(なぜママ友はあんなにすぐ友達になれるのでしょう?)。育児本を買うのはどことなく恥ずかしい。保育園や幼稚園の先生と相談するのは主に母親。など。ポリティカルコレクトネスならぬ「子育て的正しさ」が何かをめぐり世界中の「父親」は煩悶としているのではないでしょうか。しかし、この本を読むと、これでいいのだ、と自分の肩を押してくれました!
  • 「子育て中はみんな哲学者になれるのかな」(図書編集室、50代)
 子育てをとっくに終えたアラカンオヤジでも、ときどき大きくうなずいたり、目に涙をいっぱい溜めたりしながら読みきってしまう、そんな本です。うちの子もこうだったなー。そこはうちと違うなー。などと“あの頃”が懐かしくよみがえりました。家族って? 大人になるって? ひょっとして子育て中はみんな哲学者になれるのかな。
  • 「ニヤニヤしっぱなし」(デザイン室、60代)
 8ヶ月の孫を持つおじいちゃんとしては、読みながら孫の顔が浮かんでニヤニヤしっぱなしでした。赤ちゃんとの日常はこんなに発見と歓びに満ちていたのか。著者の観察眼にビックリです。うちの娘は一人っ子だったので、お兄ちゃん「ちんたん」と弟「たっちゃん」のやりとりに感動しました。孫には兄弟が出来るといいな。
  • 「大人とは全く違う色と景色」(新書編集部、20代)
 鳥のうんちを「割れた牛乳」と表現する幼稚園児、ちんたんの感性に参りました…!子どもの目線からみる世界は、たぶん大人とは全く違う色と景色なんでしょうね。おもちゃ箱のようにワクワクする世界なのか、大きい生き物だらけの不思議な世界なのか。筆者の眼差しを通してみる幼児の世界沢山詰まっていて、読みながらとっても楽しい気持ちになりました。個人的に現在新刊のキャッチコピーに大苦戦しており、猫の手ならぬちんたんの手をお借りしたいです……。
  • 「光景が目の前に浮かんでくるよう」(週刊新潮編集部、20代)
 とても面白かったです! とにかく、ちんたんとたっちゃんの可愛さに癒されました。
 二宮さんの観察眼の鋭さ、取材力の高さが存分に発揮されていて、本当に記者としては見習いたい限りです。それに気づいて文章にする力に脱帽しました。それに、読んでいると本当にその光景が目の前に浮かんでくるようでした。あと、とにかく笑える描写が多くて、数ページに一度は吹き出さずにはいられませんでした!
 70ページの、次男の出産に際して二宮さんがちんたんと二人で過ごさなければいけなくなるところを読んで、自分の父親のことを思い出しました。私の父は子供のことを嫌いではないと思うのですが、あんまり父と子二人で出かけるみたいなことをしないタイプの人です。でも私にも弟がいるので、私の父親も二宮さんと同じようなシチュエーションを経験したはずで、その時はどういう気持ちだったのかいつか聞いてみたくなりました。
 子供を育てるというのは楽しいことだと伝えてもらったような気がします。私も将来的にいつか子育てをしてみたいな。
  • 「どうしようもなく感動的」(出版部、50代)
 親が有るから子は育たぬのだ、と書いたのは太宰治。子を持って知る子の恩、と書いたのは有島武郎。二宮さんは「小さな生命体」の二人を前にして、こんなふうに書く。
 「僕の中に何かこう、ほんわかとしたものがあって、少しずつ育っている」
 赤ちゃんが「はんぶん人間、はんぶんおさる。」なのと同じように、父親もまだ「はんぶん人間、はんぶんおさる。」なのだということをだんだん理解していくさまが、どうしようもなく感動的。
 『ぼくイエ』のイギリスブライトンの少年がやがて僕たち読者の親しい隣人になったように、この「ちんたん」と「たっちゃん」はいつの間にか僕たちの足元に寝転がって、けらけら笑っている(そして突然叫び始める)」                                       ...and more!


■著者の二宮敦人さんからコメントをいただきました
「寝っ転がってポテトチップスを食べている長男に「それはお行儀が悪いよ」と注意しました。しかしそんな僕は今、膝に三男を寝っ転がらせて、哺乳瓶から食事をさせているのです。あれ、こっちの方がお行儀悪くないか? そもそもお行儀って何? 混乱し始める僕をよそに長男は素直に座り直し、三男は満足げに白目を剥いて眠りに落ちていきます。彼らと過ごしていると常々思うのです、僕は人間のことを知っているつもりで全然知らなかったのだと。そんな日々を記録し、整理し、言語化するのは幸せな経験でした。機会に心より感謝し、今日も張り切って修行してまいります」


■家族や愛の形について綴るエッセイスト、紫原明子さんから感想をいただきました
「親は子を見て育つ。そのいちばん誠実で温かい見方、育ち方が、この本の中に書かれています。読み終えてからというもの、会う人会う人にこの本の話をしてしまいます。
 この本の中で二宮先生が、親として子に「人間はこうあるべき」と思われるとき、そこには常に「本当にそう?」という疑いがセットになっていて、果ては「おさるのままでいいんじゃない?」という域にまで到達されて、もうなんて、なんて誠実なんだろうと感激しました。私の子供はもう20歳と17歳ですが、改めて思えば現在の子供たちにも、また私自身にも、文明の世界とおさるの世界の葛藤が続いています。つくづく仰るとおり、私たちは人間修行中だなあと思います。
 生まれたばかりの子供に自動的に「人間」という服を着せるのでなく、また親である自分も親になった直後に「親」という服を着るのでなく、最初にはどちらも違和感があって、でもそこで過ごす時間を積み重ねる中で、いつしか自然と子供自身が人間に、自分自身が親になっていく。さらにはその過程で親もまた「人間」を学んでいく。子育てって本当にこういうものだなあと感じるし、こうありたいなあと思ってきました。
 私にとってあまりにも大切な一冊になってしまったので、これから親になる友人には必ずこの本をプレゼントしたいと思いますし、どうかたくさんの人に読まれてほしいと心から願っています」


■書籍内容紹介
 悶絶するほどかわいくて、なぜか無性に懐かしい。思わず抱きしめたくなる「家族エッセイ」が誕生しました。「おとうさん、むしって日本語しゃべれないの?」「おかあさん、ちょっとまぶしいから太陽へらして」「てきに食べられないように、おおきくなりたい」――記録魔の小説家が、天然成分100%の妻、かわいすぎる4歳児ちんたん、豆粒のような0歳児タッとともに歩むのは「人間への道」。ありふれた家族のスペシャルな日常を実況中継いたします。

■著者紹介:二宮敦人(にのみや・あつと)
1985年東京都生まれ。2009年に『!』(アルファポリス)でデビュー。フィクション、ノンフィクションの別なく、ユニークな着眼と発想、周到な取材に支えられた数々の作品を紡ぎ出し人気を博す。『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』『紳士と淑女のコロシアム 「競技ダンス」へようこそ』(ともに新潮社)、『最後の医者は桜を見上げて君を想う』 シリーズ(TOブックス)など著書多数。


■書籍データ
【タイトル】ぼくらは人間修行中――はんぶん人間、はんぶんおさる
【著者名】二宮敦人
【発売日】2022年7月14日
【造本】ソフトカバー、240ページ
【本体定価】1,595円(税込)
【ISBN】978-4-10-350293-7
【URL】https://www.shinchosha.co.jp/book/350293/

配信元企業:株式会社新潮社

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