具体的なことが何も書けない。書評家としては挑戦心をくすぐられる。

 加納朋子『空をこえて七星のかなた』(集英社)について書くつもりだったのに、すっかり時機を逸してしまった。5月30日刊だからかなり前の作品なのだが、でも書く。本当は七夕前に紹介すべきだった。でも書く。読んでもらいたいのである。

 七夕前に書評をしたかった、というのには理由がある。星が小説の全体を貫くモチーフとして用いられているからだ。巻頭の「南の十字に会いに行く」は、中学受験に合格したばかりの〈わたし〉こと、七星が主人公である。ああ、書き忘れたが本の題名にも出てくる七星という文字は「ななせ」と読む。ある朝起きるといきなり彼女の父親が「七星、南の島に行くぞ」と言いだして石垣島に向かう飛行機に乗ることになった。一緒に行くのは七星と父親の二人だけ。訳があって母親は同行できない。今一つ気が乗らなかった七星だが、機内で品のいい老婦人と知り合って星空バスツアーについて話したこともあって、少しずつ人生初の南の島にいることが楽しくなってきた。しかし行き違いが相次ぎ、父親との旅はあまり楽しいものではなくなってしまう。肝腎の星空バスツアーも中止になってしまった。

 こういうお話だ。十二歳の少女視点で、出来事と共に移りゆく感情の起伏が描かれていく。一応のどんでん返しのようなものはあるのだが、それほどミステリーらしいプロットではない。

 続く「星は、すばる」の視点人物は、七星とは違う別の少女だ。名乗りは〈私〉。小学四年生のときに彼女は事故にあった。クラスの男子が持っていた木の枝が目に刺さり、失明はしなかったものの極端に視力が低下してしまったのである。〈私〉はそのコータというクラスメイトを許さなかった。彼女には宇宙飛行士になりたいという夢があった。そのためには両眼の視力1.0を要求される。コータは責任を感じ、まるで〈私〉の従者のように振る舞うようになった。

 これもまた物語の後半である逆転が起きる。〈私〉のコータに対する態度は意地悪なもので、思春期らしい自己愛がその根底にある。物語の逆転は、そうした〈私〉の自我に関する見え方を覆すのだ。プロットのひねりはミステリーのものだが、まだまだ。

 三つめの「箱庭に降る星は」は、打って変わってミステリーらしさが前面に押し出された作品である。高校一年生の〈僕〉は突然生徒会室に呼び出された。他にやってきたのはオカルト研究会の部長と副部長、天文部部長の三人である。〈僕〉は文芸部の部長代理だ。現れた生徒会副会長は彼らに廃部を申し渡す。三つのクラブは定められた存続用件を満たしていないのだ。途方に暮れた〈僕〉たちはずるい手段に出た。泣き落としである。パーフェクト超人と呼ばれるほどに優秀な才媛の副会長だが、一つだけ弱点がある。情にもろいことだ。涙にくれる四人を前に困り果てた彼女は名案をひねり出した。三部が合併して一つになればいいのだ。その名もスペースミステリー部。だが、四人では最低数にまだ一人足りない。底抜けのお人好しである副会長は、自分が最後の一人になることで事態を収拾した。

 弱小文化部対生徒会の構図から始まる物語だ。おお、ゆうきまさみ究極超人あ~る』ではないか。完璧超人副会長西園寺まりいを思い浮かべて読むべし。それはさておき、このスペミス部が学校がらみのあるスキャンダルを解決することになる。明かされる真相はかなり重いもので、ライトノベル風の展開や台詞まわしで書かれているから余計に明暗の対比が際立つ。筆致も含めて作者はよく物語を制御している。

 こうした具合に各篇ごとに語り手が代わり、状況も登場人物も入れ替わって物語が綴られていく。一見したところでは独立した短篇を集めたものとしか思えないのだが、しかしこれは連作なのである。作者の意図が少しだけ見えてくるのは、おそらく五篇目の「孤舟よ星の海を征け」あたりか。あれ、と思っていると次の「星の子」で駄目押しのヒントが与えられ、最後の「リフトオフ」で種明かしが行われる。全七篇という構造を使って作者は一つの謎をかけているのである。ほら、ミステリーだ。

 加納朋子によって七篇の連作集というのは自家薬籠中のものとしたフォーマットである。他にも『七人の敵がいる』『我ら荒野の七重奏』といった作品があり、そもそも1992年に第三回鮎川哲也賞を受賞したデビュー作『ななつのこ』がそうした形式であった。独立した物語を配置していき、その中を貫くものを最後に示す、という連作形式は加納や、1991年に『ぼくのミステリな日常』でデビューを果たした若竹七海が好評を博したことで日本ミステリーに定着したものである。元祖というべき加納が原点に返ってはなった一作であり、しかも各篇が素晴らしい青春小説になっている。単に綺麗なだけでは読者の心は動かない。「星は、すばる」で少女の淀んだ内面を描いたように、深い心理洞察があればこそなのだ。清々しい結末は、幾分かの淋しさも心に残す。澄んだ夜空を見たときに感じるような、あの寄る辺のない思いを。

(杉江松恋)

『空をこえて七星(ななせ)のかなた』加納 朋子 集英社