R-1グランプリ2022」チャンピオンのお見送り芸人しんいちが登壇した、過去に大きな失敗をやらかした“しくじり先生”たちが、自らのしくじった経験をさらけ出し、人生の教訓を伝授してくれる反面教師バラエティー「しくじり先生 俺みたいになるな!!」(毎月第1~3金曜夜9:00-9:30、第4金曜テレビ朝日地上波放送終了後~ ABEMA SPECIALチャンネル)の7月22日の放送では、数年前までの自身をふり返り、実力もないのに勘違いをして、親のスネをかじり、クズ生活を送っていた過去の、自身の経験を教材に、“何の実績もないのに才能があると勘違いしてしくじらないための授業”を行った。

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■“何の実績もないのに才能があると勘違いしてしくじらないための授業”

授業オープニング、しんいち先生は数年前まで「なんの実績もないけど、自分にはお笑いの才能がある」「売れるのにネタを作る必要なんてない!なぜなら俺にはMCの才能があるから!」という思考を持っていたと語り、その考えから結果的に、“芸人を辞めて、親のお金で女あそびとゲーム三昧”というしくじった状況にあった過去を打ち明けた。

しんいち先生は、大学卒業後、23歳のときに元相方のけんぢとコンビを結成し、松竹芸能の養成所に入所、2009年にデビューしたが、当時は、芸人のおもしろさではなく、“番組で女性アイドルをいじり倒して笑いをとる”ところにあこがれていたと言い、「アイドルや後輩芸人をイジるのは、俺も得意だと思っていた。ネタのおもしろさは重要ではなく、売れるためのひとつの手段としか思っていなかった」と当時の思いを告白する。

未完成のネタを舞台で披露してしまうような状態であったとしながらも、劇場ではそこそこ人気が出ていたとふり返った先生は、デビューから1年後、“大阪にいても俺の良さは伝わらない!東京なら俺を認めるはず”という思いから事務所を辞め、上京を決断するが、上京後、何の活動もせずに2ヵ月が経った頃、けんぢが消防士になると言い、地元の大阪へ帰ることになる。

コンビ解散後、ひとり取り残されたしんいち先生は、“親の金でナンパとコンパとゲームをやるだけのクズ生活”を送るようになったと明かし、「(このとき)一切、お笑いの活動をしていません。自称芸人のクズ生活がスタートします」と続けた先生に、生徒役で出演していた元乃木坂46でタレントの新内眞衣は、「最低すぎて、かける言葉もないです」とのドン引きに、しんいち先生は「かける言葉くらいあるでしょ!」とツッコミを入れた。

■「吉村崇もネタでウケてないし!」

その後、同じくフリーで活動していた当時の同居人、クロコップの荒木好之が、“本気でお笑いをがんばる”と宣言したことであせった先生は、松竹芸能時代のマネージャーを頼りに事務所を紹介してもらい、現在、所属するグレープカンパニーに入る。

相変わらず“自分はおもしろい”という自信を持ち続けていた先生は、毎月、行われていた事務所ライブで“10ヵ月連続最下位”という事態に陥ってしまうものの、当時からあこがれの存在であった平成ノブシコブシの吉村崇を引き合いに出し、「大丈夫だ!吉村崇もネタでウケてないし!」と、吉村を心の支えに過ごしていたと打ち明けた。

また、人生で逃げ続けてきた自身のようなタイプは、「自分が得意なポジションさえ与えてくれれば、実力を発揮できる」と分析した先生は、売れる環境を手に入れるため、当時すでに事務所一の売れっ子だったサンドウィッチマンに接近し、ツアーやライブの手伝いをするようになる。

そのとき、小道具のギターを見つけたサンドウィッチマンの富澤たけしから「ギターが弾けるんなら、ネタで使えよ!」と言われたことが、歌ネタを始めるきっかけになったと語った先生だが、当時は「俺は正統派のしゃべくりで売れるんだ!歌ネタなんてダセエことやんねえよ!」と思っていたとも激白し、そんな思いを抱えながら、いやいや歌ネタをやるようになった先生が、「R-1グランプリ」出場を決意し、歌ネタと真剣に向きあうためにとった初めての行動や、歌ネタを極めるために努力したことなど、今では自身を代表するネタ“僕の好きなもの”が誕生するまでの軌跡をふり返った。

そして、授業の最後には、先生が、自身のしくじりから学んだ、“なんの裏付けもないのに才能があると勘違いしている人に伝えたい教訓”を発表した。

お見送り芸人しんいちが登壇した反面教師バラエティー「しくじり先生 俺みたいになるな!!」/(C)AbemaTV,Inc.