嵐・二宮和也Hey! Say! JUMP山田涼介Sexy Zone・菊池風磨が、7月27日にYouTubeチャンネル「ジャにのちゃんねる」の動画を更新。山田自身による解説で、「山田涼介年表」を作成した。

【動画】少年時代からデビューまで…山田涼介が年表を作成

■「ここで山田涼介が爆誕します」

147となった今回は「【人生って面白い】山田涼介の作り方」と題した動画で、歩き始めるのが早かったという幼少期、サッカー少年だった青年時代、そしてデビューをするまでの期間をホワイトボードに記入していった。

2004年に、ジャニーズ事務所の公開オーディションに参加したことに触れた山田は「ここで山田涼介が爆誕します」と宣言。すかさず二宮から「もう生まれて(誕生して)るけど」とツッコミを受けるなど、天然っぷりを発揮。

■当時を振り返り「どこからが仕事なんだろうって」

菊池から「初めての仕事は何でした?」と聞かれると、事務所に所属後も、いくつか公開オーディションを受け、それがテレビ放送されていたことから「ずっと番号(オーディションの番号)をつけて出てるからどこからが仕事なんだろうって」と話し、今の活躍からは考えられないエピソードに、菊池は「ふるいにかけられまくってるじゃないですか!」と笑いで返した。

事務所に所属した翌年の2005年には、骨折したことで事務所に来なくていいと言われていたという山田だが、2006年にはユニットKitty Jr.に参加し、初のドラマ出演も果たす。そのため、二宮に「2005年に絶対何か起きてる」、菊池からも「何かで見つかってなきゃドラマには出れないですからね」と詰められ、「メリーさん(メリー喜多川氏)が見つけてくれた。それからタッキー(滝沢秀明)が、あの子と一緒に2人で舞台で踊りたいって言ってくれて」と当時を回想。

■「令和になった瞬間はドキドキしました」

また、Hey! Say! JUMPの結成時のエピソードや、初めて告げられたグループ名の表記が「平成ジャンプ」だったことを明かし、みんなで反対したことからローマ字表記になったと説明。それでも平成から令和になった際は「年号入れるとちょっと、やっぱり令和になった瞬間はドキドキしました」と打ち明けた。

その言葉を受けて、二宮は「そんなレベルじゃないよな、こっちのドキドキは。ほとんど覚えてない人生だもん」と、年表を作成しながら、いくつかの大事なエピソードが抜け落ちていた山田の記憶力を指摘。無事に完成した年表にホッとした様子を見せた。

コメント欄には、「山田くんの天然っぷりに笑った」「山田くんの記憶を呼び起こそうとしてくれるニノありがとう」といった声や、「本人の言葉で裏話が聞けるのがうれしい」「エリートと思われがちな山田くんの過去を知れた」などの反響が寄せられた。

Hey! Say! JUMP・山田涼介が自身の年表を作成