
「決まった未来はない、未来は創るもの」。小惑星探査機「はやぶさ」に搭載されたイオンエンジンの開発・運用に携わった宇宙航空研究開発機構(JAXA)の國中均氏。2011年9月6日から3日間、神奈川県パシフィコ横浜で開催された「CEDEC2011」初日に基調講演を行い、いかなる状況の中でも挑戦し続けることの重要性を語った。
「はやぶさ」は、2003年に打ち上げられた小惑星探査機。小惑星イトカワからサンプルを採取後、いくつものトラブルに見舞われながら2010年、地球にカプセルを持ち帰った。「世界で初めて小惑星から物質を持ち帰った探査機」として、ギネス世界記録に認定されている。
その「はやぶさ」の60億キロにも及ぶ飛行を支えたのが、「イオンエンジン」だ。イオンエンジンは、イオン化したキセノンガスを強力な電場で加速させ、高速噴射することによって推進力を得るという電気ロケット。非常に燃費がよく、長時間加速し続けることができるという。
1993年。小惑星のサンプルリターンミッション「MUSES-C」計画の立案が開始された。この計画を推し進めるためには、電気ロケットが必要との検討がなされた。國中氏は、「日本独自の技術で科学探査に貢献したい」という想いから、当時世界で例のなかった新システム「マイクロ波放電式エンジン」に着目した。当時、関係者からは「(予定の)5年後までに君の技術は完成するのか?」と問われた國中氏は、初めてのことで根拠はなく見当もつかないまま、「大丈夫です。できます!」と言い切ったという。「時にはハッタリやブラフも必要」と國中氏は語る。
潤沢な資金があり短期間で衛星を開発できるアメリカに比べると、日本は宇宙開発の技術準備が整っておらず、少ない予算で研究開発を行わなければならない。國中氏にとって、そんななかで20年以上もの時間を要したイオンエンジンの研究開発は、順風満帆とは言いがたいものだった。耐久試験だけで5年を費やし、開発は打ち上げの数ヶ月前まで続けられたという。その結果、"奇跡"とさえ言われた「はやぶさ」帰還を成功させた。國中氏は言う。
「小さな技術革新が世界を先導し、次の未来を開いた。決まった未来はない、未来は創るものである。挑戦しなくては、未来は開かない」
國中氏はまた、JAXAとして次に狙うべきは「木星」であるとし、「工学的エンジニアリングにも大変興味のある天体」と語った。木星は「大航海時代で言うと(インドへの足がかりとなった)喜望峰」で、その重力を使って探査機を加速させれば、太陽系の果てを目指すことができるという。
◇関連サイト
・[ニコニコ生放送]小惑星探査機「はやぶさ」の説明から視聴 - 会員登録が必要
http://live.nicovideo.jp/watch/lv62375870?po=news&ref=news#0:06:27
(中村真里江)

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