NPO法人「日本吃音協会」は8月1日、公式ツイッターにて『水曜日のダウンタウン』(TBS系列)に対し抗議文を送ったことを発表した。しかし、放送内容自体は吃音をいじるものではなかったという声も多く、抗議に対し否定的な意見の方が優勢のようだ。一連の騒動に対し、吃音を持っている人々はどう感じているのか。吃音に深く悩んだ経験を持つ当事者のミノリハさんに話を聞いた。

◆番組への抗議について思うこと

――今回の『水曜日のダウンタウン』。ピン芸人のインタレスティングたけしが、先輩芸人に説教を受ける際にしどろもどろになるシーンが放送されましたが、率直な感想を教えてください。

ミノリハ:吃音を持っていない人から騒ぎになっていることを聞いたのですが「そうなんだ」くらいに受け止めていました。番組内容も確認しましたが、特に嫌な感じはしませんでした。

――しかし、日本吃音協会はこの内容が差別や偏見を助長するとして抗議をしています。その点について、吃音当事者の皆さんの意見はどのようになっていますか?

ミノリハ:私が聞いていた当事者の方同士の意見交換では、是非を問うというより、「障害と笑い」や「団体の活動について」や「テロップの問題」など様々な論点で話されていました。そのなかで、今回の抗議に賛成する人と反対する人は、ほぼ半々だと感じましたね。

◆吃音に対する差別やいじめとは?

――当事者以外の多いSNSなどでは、どちらかといえば抗議は的外れだという意見が多いように感じられます。それでも、吃音の方へのいじめ等があるのは事実ですよね。どのような差別やいじめがあるんですか?

ミノリハ:多くの当事者が経験するのが、話し方をからかわれたり、話し方で判断されることだと思います。例えば、学校の授業での音読で、うまく言葉が出てこなくてどもったりして笑われた経験がある人は多いです。それで学校に行けなくなってしまった人もいます。

また、吃音の友達の中には、家族から『(喋り方が)恥ずかしいから隠して欲しい』と言われた経験があるそうです。

――最後まで味方であって欲しいクラスメイトや家族から理解が得られないことは、症状に対するストレスだけでなく、激しい孤独感にも襲われて辛いでしょうね。ミノリハさん自身の体験はありますか?

ミノリハ:私も、音読でどもった時にクラスメイトに笑われたことがあります。でも、全く嫌な気はしなくて、むしろ嬉しいという感覚もありました。

なかったことにされることの方が悲しいので、反応してもらえたのが嬉しかったんだと思います。これは、吃音の方で共感してくれる人はほとんどいないんですけど(笑)

◆「吃音は隠さなくてはいけない」と思うように

――同じ出来事でも、差別やいじめなのか、人によって捉え方が違うんですね。では、同じ人でも、時期によっても感じ方が変わるのかもしれません。ミノリハさんのこれまでの吃音との付き合いを教えてください。

ミノリハ:幼少期は、吃音のことなんて気にせず、むしろおしゃべりなタイプでした。ですが、学校の先生に話し方を指摘されて病院に行くことになり、「自分の話し方はおかしいのかな」と自覚したんです。

それからは「吃音を隠さなくてはいけない」と思うようになりました。音読がある授業の前には練習をして、教科書のつまりそうな部分にチェックを入れたり、毎日、隠すことばかり考える生活でした。

――ミノリハさんがもし、この「隠さなくては」と思っている時期に、今回の番組を見たらどのように感じたと思いますか?

ミノリハ:その頃は、他人がどもっているのも受け入れられず、その様子を見て泣き出したりしていたんです。同じ学年に、卒業式で名前を呼ばれた時に「はい」の返事につまった友達がいました。その子がつまっている姿を見るのも泣きそうになっていました。そう考えると、番組も見られなかっただろうなと思います。

◆自分を見失っていくのが辛かった

――そういう意味でいうと、今回の放送を見て辛くなる方もいるでしょうね。吃音を隠す生活から、ミノリハさんと吃音の関わりは、どのように変化して生きましたか?

ミノリハ:高校卒業と同時に「吃音をなんとかして無くさないと生きていけない」と思って発話訓練を試しました。でも、吃音をなくそうとして初めて「症状自体より、それを隠していることが辛かったんだ」と気づいたんです。”じぶんがいない”…私がノートに書いていた言葉です。吃音を隠すと同時に本来の自分を見失っていくのが何より辛かった。

それに気づいてからは、 どもりそうな言葉があっても言い換えや回避をやめてみたり、挨拶をする感覚で吃音をカミングアウトしてみたりして吃音と向き合いました。次第に「隠さずにどもらなければ!」という気持ちと、とっさに「隠してしまった」という罪悪感に葛藤することになります。

◆もし吃音が治ってもつきまとう影

――吃ることが自分の個性の一つのようになっていたんですね。さらにその先にも変化があるんですか?

ミノリハ:その後、とある当事者会で吃音の方が「解放された後はどもってもどもらなくても、どっちでもいい」と話してい ました。それを聞いて、20年間の悩みがフワッと取れた気がしたんです。これは吃音者宣言で有名な伊藤伸二さんが「ゼロの地点に立つ」と表現されているんですが、吃音の症状はあっても、それに左右されないニュートラルな状態のことです。

――仏教では、どちらにも偏らない「中道」という考え方を大事にしますが、それに似ていますね。心の問題はそこで解決になったんですね。

ミノリハ:一旦はそうですね。ですが、1週間くらい経ったら、とても空虚で無気力になったんです。吃音の悩みが小さくなって初めて、これまでなんでも吃音のせいにしていたことに気づいて、他の問題が浮き彫りになってきました。知らないうちに、吃音を頼って生きていたのかもしれません。

――吃音を優先する選択を繰り返す生活で、症状さえも自分の一部になりつつあったんですね。個人のキャラクターを売りにする職業では、武器として使えることもあり、もしかするとインタレスティングたけしも、そう感じていたのかもしれませんね。

ミノリハ:この時に番組を見たら、いまと同じように何も感じないくらいにはなっていたかなと思います。

◆周囲が心がけること

――人によっても時期によっても捉え方が違うということは、「吃音症の人」と括らずに、個人としてきちんと理解してコミュニケーションを取るのが重要だと感じます。その上で周囲の私たちにできることをしりたいです。あくまでいち吃音当事者としての意見で構いません。ミノリハさんが周囲に求めることは何ですか?

ミノリハ:以前、初対面同士でペアになって会話をして、その後に相手のことを他己紹介するという機会があったんですよ。私とペアになった女性は、私のことをみんなに紹介する時に吃音にだけ触れなかったんです。配慮の上でだとは思うんですが、それが悲しかったんです。

――逆に「触れないで欲しい」と感じる当事者もいるのが難しい点ですね。私自身、吃音症の人が言葉に詰まった場面で、配慮のつもりで文脈から予想される言葉を、こちらから言ってアシストしそうになった経験があるんですが、こうした行動についてはどう感じますか?

ミノリハ:私は嬉しいです。でも、これも人によりますね。パスを出されるのを嫌だと思われる方は、すれ違いを多く経験しているんだと思います。自分が言いたい言葉と、違うパスを出されてしまって意図しない方向に会話が進んでしまった過去があるんだろうと。吃音の人には、世界の流れが早く感じている人も結構いて、違う方向に進んでしまった会話を修正することもできないことも多いです。

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 SNSネットの情報に触れていると、どうしても主語が大きくなり「当事者はみんな反対のはずだ」などと考えそうになる。しかし、私たちの普段の生活で大事なのは、そうした大きな情報よりも、丁寧なコミュニケーションなのかもしれない。<取材・文/Mr.tsubaking>

Mr.tsubaking】
Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。

ミノリハさん