介護マニュアルなどなくても、各職員が各自で考え、自分のやるべきことをやる。これが理想です。その理由は、介護支援は、人に対する「思いやり」がすべてだからです。人に対する「思いやり」にマニュアルもなにもありません。老人ホームの裏の裏まで知り尽くす第一人者の小嶋勝利氏が著書『間違いだらけの老人ホーム選び』(プレジデント社刊)で解説します。

介護職員が辞める原因は「介護流派」のミスマッチ

■スタッフがよく辞めているホームには、問題がある

一般的に介護業界では、次のように言われています。多くの老人ホームでは、介護職員が足りません。そしてその理由は、賃金の安さと重労働にある、と。世間一般では、そういうことになっています。そして、介護職員を確保するために、国は、賃金を上げるような介護保険報酬に舵かじを切っています。

しかし、本当にそうなのでしょうか? 介護職員は、本当に、低賃金と重労働を理由に辞めているのでしょうか? さらに、老人ホームの正しい選び方という観点から考えた場合、介護職員の離職の激しい老人ホームは、本当にダメなホームなのでしょうか? この稿では、この切り口で老人ホームについて話を進めていきます。

実は、介護職員が辞めていく最大の理由は、賃金ではありません。さらに言うと、介護職員の賃金は、低いどころか、ほかの産業と比較した場合、私は高いほうではないのかと考えています。その理由は、「処遇改善加算」といって介護職員の賃金を上げるべく、新しい介護保険報酬が創設されたからです。そのおかげで、多くの老人ホームの介護職員の賃金は、改善しているはずです。

この制度に課題があるとするなら、今後、できる介護職員とできない介護職員とでは、賃金に格差が生じていくという点だと思います。今後は、何をもって介護職員を「できる」「できない」と評価するのか、という評価基準の整備が急がれます。

介護職員が辞める真因は、私に言わせれば「介護流派」のミスマッチです。このひと言に尽きます。つまり、多くの介護職員は、「自分の考える正しい介護ができない」という理由で離職し、ほかのホームに移籍していきます。

もちろん、最近では、上に記したように介護職員に対する処遇改善加算制度が周知されてきていて、同じ介護職員であっても数万円程度、A事業者のほうがB事業者の賃金より高い、というケースも散見されますので、賃金の高さを目当てに転職している介護職員も出現するようになりました。

そういう意味では、ひと昔前と比べると、介護職員と賃金は、リンクし始めたと思いますが、私に言わせれば、介護職員という仕事がプロの仕事に昇華してきている証拠だと考えています。

■「介護流派」で老人ホームを選ぶことが、なぜ大切か?

「介護流派」について、少し詳しく話をしていきたいと思います。なお、わかりやすく説明するために、少し誇張して説明しますが、次のように考えていただければよいと思います。仮に、の話です。あなたが寝たきりになり、老人ホームに入居したとします。寝たきりなので、常時オムツを装着し、全介助で生活しています。想像してみてください。深夜23時ごろから朝の5時ごろまでの排泄介助の話です。

介護職員Aさんは次のように考えます。最終排泄を23時に終了させ、その後、朝5時までは排泄介助に入りません。オムツ交換時に覚醒してしまうからです。高齢者の多くは、一度目が覚めてしまうと、その後、眠れなくなってしまう者も多く、結果、夜、昼間帯で寝てしまい、昼夜逆転した生活になってしまい健康を害する、という建て前で仕事をしています。したがって、長時間排泄介助をしなくてもよいように、高吸収機能の尿取りパットを23時の最終排泄時に装着するということになります。

介護職員Bさんは、次のように考えます。高吸収機能の尿取りパッドを装着したとしても、本人の不快感を排除することはできない。高吸収機能の尿取りパッドは、単に、衣類や寝具を汚さないというためのものだ。つまり、余計な仕事を増やさなくてもよいという意味では、効果的だが、本人のことを考えると……。

自分は、排泄介助時に覚醒してしまい、その後、朝まで起きてしまうリスクよりも、不快な思いをして寝ていることのほうが嫌だ。だから、起きようとどうしようと、私はオムツを汚染された状態で長時間放置することにはNOである。したがって、23時の排泄の後は、3時に1回オムツ交換をする。これが正しい介護である、という主張をします。

介護の質が落ちているのは本当か?

みなさんは、どちらの介護を望みますか? ちなみに、私が介護職員になった時は、次のような研修を受けました。一日中、オムツを装着し、トイレに行ってはならない、という研修です。時代背景だと思いますが、今、このような研修をしようものなら、なんとかハラスメントだと言われそうです。一日中、トイレに行けないので、用はオムツの中に用をたさなければなりません。

たしかに、尿取りパッドを装着しているので、衣類にまで尿が染み出ることはありません。しかし、明確に、はっきりと、濡れていることはわかります。正確に言うと、蒸れているというほうが正しいかもしれません。

私は、この研修を体験して、オムツ交換の大切さを学びました。たしかに、衣類は汚れません。しかし、不快感はあるため、この不快感から早く離脱するためには、速やかなオムツ交換が必要なのです。さらに言うと、一人ひとりの排泄リズム、排泄習慣を把握できれば、その時間にトイレ介助に入ることで、オムツを汚すことなく、生活をしてもらうことも可能です。

話はそれますが、私が現役の介護職員だったころは、オムツ代にうるさい家族も少なくなく、「なんで、今月はこんなにオムツ代がかかっているのか! トイレ誘導を初めにやっているのですか?」と指摘されたものです。

介護職員は、この家族のリクエストに応えるために、なるべく、汚したオムツの交換をしなくてもよいように、入居者の排泄リズムを把握し、排泄前にトイレ誘導を行い、トイレで排泄をさせるということを目指して仕事をしていました。当時は、たんに、家族のリクエストに応えるため、家族から怒鳴られたくないため、という意識が強かったと思います。

今の介護業界では、このような取り組みを「自立支援」といって、重要な介護だとしていますが、残念ながら、このような介護を実践できている老人ホームは、私の周囲では見当たりません。老人ホームの数が増えている中、その分、介護の質が落ちていることはしかたのないことなのかもしれません。

ちなみに、これからの介護は、このようなことをもっと、科学的な方法論を駆使して解決させるようになると思います。機械や装置を使って、個人の排泄周期を把握するということです。

私が介護現場にいた時も、ある大手企業から食事の後にカプセルを飲むと、そのカプセルが胃から小腸、大腸と便とともに移動し、今の便の位置を教えてくれるので、便が十分に下がってきたタイミングでトイレ誘導をしてはどうかというような提案を受けたことがあります。今は、もっと進化しているはずです。

介護流派の話に戻します。みなさんは、A介護職員とB介護職員と、どちらの介護職員に介護支援をしてほしいでしょうか? これが流儀の話です。そして、この流儀を組織全体のルールとして展開することを介護流派といいます。

つまり、介護流派とは、老人ホームに存在している「介護マニュアル」のことだと理解すればよいと思います。ちなみに、老人ホームを選ぶ際、「介護マニュアル」の確認をするという入居者や相談者は皆無ですが、実はこれが老人ホームを選ぶ際には重要だということになるのです。もちろん、老人ホームのことを勉強している人の場合は、ということになりますが。

老人ホームには「介護マニュアル」は不要

老人ホームのパンフレットやリーフレットなどの宣伝広告ツールには、老人ホームの代表的な介護流派の総論、つまりモットーとかお題目とかが明記されているのが普通です。たとえば、『入居者に寄り添う介護を実践しています』とか、『入居者の尊厳を大切に、自分らしい生活を最後まで』とかさまざまです。ちなみに、私がかつて働いていた老人ホームのお題目は、「絶対にNOとは言わない」でした。

そして、この介護流派ダイジェスト版を現実的なものにするために、あるいは、よりわかりやすくするために、多くの老人ホームでは「介護理念」が明文化されています。思考の「見える化」です。そして、それらを実践していくために「介護マニュアル」とか「介護手順書」なるものが整備されているはずです。

つまり、介護マニュアルを見れば、本当に、介護理念を実践しようとしているのかどうかがわかります。介護マニュアルを確認すれば、本当に、そのお題目を実行するために老人ホーム全体で真剣に取り組んでいるのかがわかります。

多くの老人ホームのパンフレットに騙されてはダメです。心地よい響きのキーワードや文字が並んでいますが、言うのはタダです。本当に実践しているかどうかは、パンフレットを見てもわかりません。本当にできているかどうか、目指しているかどうかは「介護マニュアル」を確認する以外に方法はありません。

介護マニュアルに関し、私の考えを記しておきたいと思います。

私は、老人ホームには、介護マニュアルは不要だと考えています。介護マニュアルが存在しない老人ホームが、理想の老人ホームです。マニュアルなどなくても、各職員が各自で考え、自分のやるべきことをやる。これが理想です。その理由は、介護支援は、人に対する「思いやり」がすべてだからです。人に対する「思いやり」にマニュアルもくそもありません。ましてや教育などナンセンスです。

しかし、介護は、介護保険法の施行から20年以上の時がたち、介護は商売になりました。商売になったということは、介護が好きな人や向いている人だけで仕事をするわけにもいかず、向いていない人でも、一定のレベルまではできるようにしなければならないということです。したがって、そこには、教育や訓練という行為が発生し、介護マニュアルという仕事の手順を示した方針書が存在しなければならないということになるのです。

つまり、私は、介護マニュアルは必要だと考えています。しかし、介護マニュアルを突き詰めていけば、そのうち、不要になっていく。介護マニュアルを突き詰めて厳格に実践していけば、介護マニュアルがなくても問題なくホーム運営ができるようになるはずだと考えています。そして、多くの心ある事業者はそこを目指すべきだと考えています。

小嶋 勝利 株式会社ASFON TRUST NETWORK 常務取締役

(※写真はイメージです/PIXTA)