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◆粛々と処理すれば良いはずの行政問題に煩わされる日本

 海の向こうではウクライナ事変が続いている。ロシアNATOも睨み合っているが、アメリカは中国とも対峙している。どこの国でも政治指導者の最大の関心は、「地球上で生き残るには、どうすればいいか」だ。ただし、単に生き残るだけではない。「すべての周辺諸国の靴の裏を舐めて殴らないでもらう」など、外交ではない。仮に実現したとしても、奴隷の平和だ。

 翻って我が日本の重要政策は、「国葬」「統一」「第七波」だ。この三つが、岸田文雄首相の難関とされている。安倍元首相の国葬も、旧統一教会と政界の関係も、コロナの第七波も、粛々と処理すれば良い行政問題だ。国の運命に関わる政治問題ではない。

 では、すべての選挙に勝ち、3年間は選挙を行わないで済むはずの岸田首相がなぜ、この種の問題に煩わされねばならず、政権に強い指導力が生まれないのか?

◆対抗する野党が弱すぎて、政権に強い指導力が生まれない

 理由は簡単で、岸田首相と与党が強いから選挙に勝ったのではない。対抗する野党が弱すぎるだけだからだ。どれくらい弱いか。次の総選挙で岸田自民党にとって代わろうとする政党が無い。

 立憲民主党は、話題にするだけ時間の無駄だ。ただし、今の泉健太代表は、前任の枝野幸男代表、あるいは歴代なんちゃら民主党の指導者の誰よりもマシだ。訳の分からない人間が野党第一党に居座らないよう、その座を離さないでほしいと願うしかない。

 ところが他の野党は、その立民よりも数が少ない。国民民主党は何とか党勢を持ちこたえている状態だし、参議院選挙で飛躍した日本維新の会にしても、「次の総選挙で野党第一党になり…」などと悠長に構えている。これでは、岸田自民党が無能と腐敗を極めても我慢するしかなさそうだ。

◆少し希望があるのが「日本維新の会」だが……

 少し希望があるのが、「マトモな政党であろう」との意思を示している日本維新の会が、結党以来初の代表選挙を行うことだ。これまで党を支えてきた松井一郎代表が引退、後継を選ぶ。これまでは、創業者の松井代表、あるいは橋下徹といった人の個人的な力量に支えられてきたが、ここからが正念場だろう。

 日本維新の会は大きく二つの主張をしている。一つは「大阪の改革を全国へ」、もう一つは「55年体制の打破」だ。ここにギャップがある。

 日本維新の会(党名は何度も変更しているが維新で統一)は、大阪自民党の改革派が橋下・松井の両氏を中心に結党した。それまでの大阪は大阪府大阪市の二重行政による腐敗が惨かったが、維新は首長と地方選挙で連戦連勝して改革を推し進めた。このあたり、大阪の事情を知る者と他県に住む者のギャップが激しい。わかりやすい例を挙げると、維新以前は「大阪の水は飲めない」と言われたが、今は他の都道府県と遜色ない。

 こうした大阪の改革の成果は住民には絶大な支持を得るだろうが、他の都道府県に住む国民には実感がわかない。その証拠に、今回の維新が躍進した参議院選挙でも、維新の候補者は京都と東京で落選した。

◆マトモな野党が欲しい

 では、一般の日本国民は、維新に何を求めているのか。「マトモな野党が欲しい」である。

 これは維新に限らず、立憲や国民にも求めることであるが、まずは隗より始めよ。党首の名称を「総裁」に変えてみては如何か。立民と国民は、党則にある「代表」を「総裁」に変えるだけだ。維新の場合は党の構造が複雑なのでそうはいかないが、代表選挙を機に変更してみては如何だろうか。

 板垣退助自由党を、大隈重信が改進党を設立して、我が国の政党政治は始まる。この頃の党首の名称は「総理」だった。まだ総理大臣が存在しない頃である。

 明治33(1900)年に立憲政友会が創設されて以来、真面目に政権を担う気がある政党の党首は、すべて「総裁」だった。政友会は結党から5・15事件で政党政治が力を失うまでの32年間中25年、与党ないし準与党の地位にあった。今の自民党が絶対与党である前身だ。

◆本格的に政権を担う意思を持つ政党は「総裁」を名乗る

 分裂した政友本党の党首も総裁を名乗った。

 その政友会に対し挑み、二大政党の一角に食い込んだのが、立憲民政党だ。この党は立憲同志会から出発し、他の小会派を糾合、憲政会~立憲民政党と勢力を拡大する過程で、同志会の当初こそ「総理」を名乗ったが、衆議院第一党になり、本格的に政権を担う意思を持つとともに「総裁」を名乗る。政友会の絶頂期には選挙のたびに議席を減らし、「苦節十年」の野党暮らしだったが、その間も一貫して「総裁」を名乗り続けた。

 この間、他のやる気の無い政党は、総裁を名乗らず、あるいは党首を置かなかった。

◆8人の小政党でも「総裁」の椅子を無くすことは無かった

 昭和15(1940)年に全政党が解散するまで、民政党と政友会は二大政党だった。もはや政党に力はなく、政友会に至っては二派に分裂したが、それでもこの人たちの党首は「総裁」を名乗り続けた。

 敗戦後、旧政友会は自由党名乗り吉田茂の下で長期政権を築く。離合集散しても、党首の名称は「総裁」だった。自由党を分派した鳩山一郎も同じ自由党名乗り、たった35人の代議士しかいなくても「総裁」を名乗った。やがて8人の政党に落ちぶれるが、それでも「総裁」の椅子を無くすことは無かった。

 旧民政党系の政党は、進歩党~民主党国民民主党~改進党~日本民主党を名乗ったが、短い期間を除きすべて「総裁」を名乗った。やがて日本民主党が政権奪取、自由党と合併して自由民主党となった。

社会党のようにやる気が無い政党は「総裁」を名乗らなかった

 ここからだ。自民党結党以後も、やる気が無い政党の党首は「総裁」を名乗らなかった。たとえば、社会党系の政党の党首が総裁を名乗ったことは無い。社会党の中でやる気がある人たちが作った民社党も「委員長」だった。

 平成期に新党ブームが起きて多くの政党が設立されたが、誰も総裁を名乗らなかった。たいていは「代表」。

 日本語の「総裁」には、「他を圧する唯一の」の意味がある。市中銀行が「頭取」であるのに対し、日銀だけが「総裁」であるように。

◆55年体制の根本は、「自民党だけが特別な政党」だという意識

 結局、55年体制の根本は、「自民党だけが特別で、総理大臣を出す資格がある政党」だとの意識なのだ。

 たかが名前、しかし自民党だけが特別ではないと意思を示すのは重要ではないか。

【倉山 満】
’73年、香川県生まれ。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中より国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務め、’15年まで日本国憲法を教える。ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰し、「倉山塾」では塾長として、大日本帝国憲法や日本近現代史、政治外交についてなど幅広く学びの場を提供している。著書にベストセラーになった『嘘だらけシリーズ』のほか、『嘘だらけの池田勇人』を発売

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1953年、鳩山一郎は吉田茂率いる自由党を離れ、分党派自由党を結成、総裁に。結党後の総選挙で35人が当選した。後に、8人の小政党となっても「総裁」の席は決してなくならなかった 写真/朝日新聞社