―[モラハラ夫の反省文]―


◆「お互い様」という言葉が、パートナーシップにもたらす深刻な影響とは

 DV・モラハラ加害者が、愛と配慮のある関係を作る力を身につけるための学びのコミュニティ「GADHA」を主宰しているえいなかと申します。

 自分が相手を傷つけていることを自覚しても、なかなか変わるのが難しい人がいます。そういう人がつい言ってしまうことの1つが「でも、相手にも加害的な部分はあるんですよ」「夫婦でどちらかだけが完全に悪いってことなんかあるんでしょうか?」などの言葉です。

 思わず口に出してしまうこのセリフの背景には一体何があるのでしょうか? 使ってしまう時はどんな時でしょうか。それは、相手が自分の言動を改めてほしいと依頼するタイミングです。

「〜するのはやめてほしい」「〜されたくない」「今度から〜してほしい」と言われた時に「でもさあ」という言葉と共に出てくるのがこのお互い様という言葉です。

「お互い様でしょ。確かにそれはこちらも悪いところがあるかもしれないけど、じゃあそっちはどうなのか。言ってなかったけどあれだってこれだって……」

 これはつまり「こちらも完璧じゃないかもしれないが、あなたも完璧じゃないだろう」という意味になります。

 そして踏み込んでいうならば「だから、そんなことを言う資格はそちらにない」ので「私は変わらない」ということになります。

 一言で言うと、これは責任放棄の言葉です。

◆人間関係を短絡的な「取引」として考えている

 何の責任かというと、「相手を傷つけてしまうような言動を控える」責任です。相手が自分にとって大切な人であれば、相手を傷つけないようにすることはとても自然なことですが、その責任を放棄するということです。

 それは違う言い方をすれば「一緒に幸せな関係を築いていく」責任の放棄でもあります。冷静に考えてみれば、相手が自分を傷つけているとして、自分が相手を傷つけていることを「やめない」理由になるでしょうか。相手を傷つけているなら、やめたらよいのです。相手を幸せにしたいなら、必須の行動でしょう。

 そう考えると、さらにもう1段階深い理由が眠っているようにも思えます。

 なぜ「やめてほしい」とか「こうしてほしい」と言われた時に「じゃあ、そっちはどうなんだ」と反撃し、「お互い様」なのだし「そちらも完璧ではない」のだから、「自分を変える気はない」と言えてしまうか。

 その理由は、人間関係を短期的な取引だと考えているからです。二人で仲良く生きていくためのお願いは、そういう人にとっては交渉だと理解されます。

 交渉なので、できるだけ自分の損を少なく、利益を最大化しようと考えます。コミュニケーションが争いであり、奪い合いであり、ゼロサムゲーム(誰かが得をすると誰かが損をする、全体としての財が一定であるようなゲーム)なのです。

◆良いパートナーシップは”プラスサムゲーム”である

 そうなると、相手に何かを要求された時、自分の「損」にしか目が行きません。でも実際には「損」だと思っているものは、むしろ中長期的には「投資」に近いと言っても過言ではありません。

 自分のために何か言動を変えてもらった人というのは、その人に何かお返ししたいと思うものです。「前に譲ってくれたのだし、ここは自分が譲ろう」と思ったりもできます。短期的な思考なのではなく、中長期的な思考なのです。

 さらにポイントとなるのは、これがプラスサムゲーム(元々のポイントよりも、最後のポイントの総量が大きくなりうるゲームだということです。

 瞬間的な計算だけ毎回していれば「勝つか負けるか」のゼロサムゲームですが、中長期的に考えてみると「譲られた何か」だけではなく「譲ってくれたという気持ち」が上乗せされています。それは「あなたと中長期的に一緒に生きていきたい」というシグナルです。

 元々あったものよりも、何かが増えているのです。その何かとは、相手を想う気持ち、相手を大切にする気持ちです。そしてそれを受け取って次に相手に何かを譲る時、それはゼロサムゲームのように目減りしません。譲ってもらえたから譲り、だからまた譲り合うとき、それは増え続けるのです。

「私たちは、お互いが、中長期的に一緒に生きていきたいと思っている」という信頼を積み重ねていっているのです。

 その信頼が目減りする時は、片方だけが譲り続けるときだけです。片方だけが譲り続け、片方が譲らないということが続いたとき、それはどんどん目減りしていきます。そしてそれが枯渇したとき関係は終了します。

 パートナーシップのような親密な人間関係は短期的なゼロサムゲームの取引の積み重ねではありません。でも、それがわからない人はすべてが短期的な交渉となり、勝ち負けのゲームとしてみています。

 当然ながら、勝ち負けのゲームとしてみている人との関係は、プラスサムゲームメリットである最終的な財がどちらにとっても大きくなるという嬉しい結果が達成されることはありません。

 あえてこういう考え方の人にわかりやすく言い替えるならば「あなたは短期的に損をしたくない/負けたくないがばかりに、中長期的に大損している」と言えます。

最悪の場合では別居や離婚にまで発展し、人によっては働いたり生きる意欲も失うほどの大ダメージを受けます。短期的に得をしているはずが、目に見えない負債が溜まりに溜まっていくということです。

◆搾取や奪い合いではなく「与え合うこと」でメリットが増大する

 パートナーシップのような親密な人間関係を、短期的で瞬間的なものだと考えている人は、人を大切にすることができません。幸福(のようなもの)の総量が決まっていて、それを奪い合うゼロサムゲームの世界観で生きているとき、人を大切にすることは、自分を大切にしないことになってしまうからです。

 ですから「どっちもどっち」「夫婦喧嘩でどちらかだけが悪いと言うことなんてない、お互い様だ」ということの意味はありません。相手を傷つけてしまったのなら、その言動を今後は控えるようにすることには、メリットしかありません(それで自分だけが搾取されていると感じれば、その関係は終了してよいのです)。

 人生とはプラスサムゲームです。正確に言うとプラスサムゲームとお互いが思っている場合に限り、プラスサムゲームです。

 お互いが気遣い合うことで、幸福の総量は大きくなります。でも加害者の多くは、人生において経験してきた人間関係がゼロサムゲームであったことが少なくありません。

 弱さを見せれば漬け込まれ、素直にお願いをしたら「なんで?」「なんかこっちにメリットある?」「わがまま」などと言われてきて育てば、人間関係のベースが交渉だと思い込んでしまうことも不思議ではありません。

 ですから、加害者の変容にとってすごく大事で難しいことの一つが「信じること」です。何を信じるかというと、目の前の人が敵ではなく味方だと信じること。自分が相手に気遣うことで、相手もまた気遣いを返してくれる存在だと信じることです。

 それは、自分が「生きていて良い」「幸せになって良い」と信じることと、実は同じことです。

被害者かもしれないあなたへ

 もしもあなたが「お互い様」「どっちもどっち」という言葉で、自分が嫌だと言っていることをやめてもらえないことが多いとしたら、パートナーは短期的なゼロサムゲームとして人間関係をみている可能性があります。

 特に「じゃあ、そっちはどうなんだ」に加えて「本当はこれが嫌だった、あれが嫌だった」と、これまで特に言われてこなかったことを相手が反撃材料として言ってくる場合は、「損したくない」「負けたくない」「譲歩したくない」という気持ちで言ってきている可能性があり、それに応じても結局相手は変わってくれない……という経験をしたこともあるかもしれません。

 それに真面目に取り合って、自分ばかりが相手の不満に応じ続けていると、いつか限界がきて、自分もまた相手に攻撃するようになってしまうかもしれません。そうなって自己嫌悪に至る前に、関係を考え直す必要があるかもしれません。

加害者かもしれないあなたへ

 もしもあなたが喧嘩や言い争いについて「負けたことがない」と思っている場合、まさにそれを理由として加害をおこなっている可能性があります。理由は2つあります。1つは、コミュニケーションの問題を「勝ち負け」で捉えていることから、短期的な視点でゼロサムゲーム的に関わっている可能性があるからです。

 もう1つは「負けたことがない」ということは「折れたことがない」ということであり、相手の必死の願いやニーズを無視し続けていながら、自分のニーズは押し通し続けている可能性が高いからです。それは、相手を傷つけ続け、ケアを搾取し続けてきたことを意味しています。

 もしもあなたのパートナーが「昔は素直だったのに最近言うことを聞かなくなってきた/わがままになってきた」という場合、最初に考えるべきは、あなたが相手の優しさという素晴らしい美徳を奪い尽くし、もう相手にその余裕がなくなっているかもしれない、という状況認識です。

 自分のニーズをずっと聞いてくれなかった人に、別居や離婚について相談する可能性はありません。僕は本当にたくさんの人が「突然、パートナー子どもと出て行った」という人の話を聞きます。関係が終了する時は(加害者にとっては)突然です。どうか早い段階で問題を自覚し、ケアを始めることができることを願っています。それは、誰よりもご自身の幸福にとって重要なことなのです。

【えいなか】
DVモラハラなど、人を傷つけておきながら自分は悪くないと考える「悪意のない加害者」の変容を目指すコミュニティGADHA」代表。自身もDV・モラハラ加害を行い、妻と離婚の危機を迎えた経験を持つ。加害者としての自覚を持ってカウンセリングを受け、自身もさまざまな関連知識を学習し、妻との気遣いあえる関係を再構築した。現在はそこで得られた知識を加害者変容理論としてまとめ、多くの加害者に届け、被害者が減ることを目指し活動中。大切な人を大切にする方法は学べる、人は変われると信じています。賛同下さる方は、ぜひGADHAの当事者会やプログラムにご参加ください。ツイッターえいなか

―[モラハラ夫の反省文]―


そもそも、「お互い様」とは傷付けた側が言う言葉ではないのである