(馬 克我:日本在住中国人ライター)

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 1980年代、改革開放政策により中国は再び門戸を開き、大量の海外文化がどっと流れ込んだ。中国共産党政府はこの状態を受け入れる一方で、注意深く統制を行ってきた。

 例えば、海外のテレビ番組もかつては中国に入ってきたが、中国共産党が認めない内容を放送するとすぐさま中止された(詳細は本コラム「日本のアニメを見て育った中国『改革開放』世代の嘆きと絶望」を参照)。ハリウッド映画も中国で上映するには厳しい検閲を受けなければならず、輸出映画本数も制限されている。

 しかし、中国共産党政府も全てを統制できるわけではない。かつて、彼らが思いもよらないところで、アメリカのある文化製品が絶えず中国に入ってきていたのだ。

アメリカの廃プラスチックに埋もれていた「宝物」

 2018年初頭、中国は新しい輸入規制を施行し、廃プラスチックを含む24種類の固形廃棄物の輸入を中止した。

 長い間、主に先進国から輸入したゴミは、中国製造業の低コスト原材料の源であった。十数年前、私は温州にある企業を見学し、海外から輸入された廃プラスチックが洗浄、加熱、成型を経て、最終的にスニーカーの部品になるという全工程を見たことがある。

 廃プラスチックの輸入禁止は、当時ただの経済ニュースにすぎなかった。しかし、一部の中国人からすると、そこには海外の特別な文化の波及に関する歴史が隠されていた。

 中国は80年代から海外の廃プラスチックの輸入を開始した。90年代初めには、廃プラスチックの中にアメリカで売れ残った音楽製品が含まれるようになった。初めは全てカセットテープだったが、その後、CDが多くなっていった。アメリカから輸入したカセットテープはケースの1箇所に切り込みを入れられ、中のテープは切断されていた。CDには5ミリほどの小さな丸い穴が開けられていた。

 これらの廃プラスチックは、通常、広州とアモイ、汕頭の税関を通過して上陸した。一時は工業原材料として使用されていたが、その音楽価値に気付いた人がいたのだろう。カセットテープはケースを分解し、切れたテープをセロハンテープでつなげれば、命を吹き返す。CDは、穴が空いた部分の1~2曲が聞けないだけである。徐々に多くの人がこのようなカセットテープやCDの音楽を聴くようになり、これらは「打口(ダーコウ、「穴あき」という意)」と呼ばれた。

「打口」によって開かれた音楽の世界

 90年代中期、私は中国西部の都市で中学時代を過ごした。海岸から2000キロ以上離れた場所にも「打口」は入ってきており、路上では若者が「打口」のカセットテープを並べて売っていた。

 アメリカで売れ残ったカセットなので、タイムラグがかなりあった。最初は、ビートルズドアーズボブ・ディランピンク・フロイドローリング・ストーンズイーグルス等といった60~70年代の音楽が入ってきて、その後、ガンズ・アンド・ローゼズ、ニルヴァーナレディオヘッドなど80~90年代のロックも徐々に露店に並んだ。こうした人気ロックアーティストのほか、クラシックや日本のポップスなども出回り、「打口」は60年代から2010年くらいまでの間にアメリカで発売された全ての音楽ジャンルをカバーしていた。

 私は、当初はカセットテープのさまざまなジャケットに目を引かれたが、これらの音楽が中国で当時流行していた音楽よりも魅力的であることに気付いてから、「打口」を聴くようになった。

 私がよく通った「打口」の店は、当時1つのカセットテープを5元(現在のレートだと約100円)で販売していた。毎月広州まで買い付けに行っていた店主によると、広州の卸売商は、大量の廃プラスチックが堆積する港の倉庫の中から「打口」を選び、その代金は重さで決まっていたという。

 これらの音楽製品は中国のあらゆる都市に浸透し、徐々に「音楽好き」の巨大な集団が出現するようになった。最初にこの層に目を付けたのは、中国の海賊版業者だ。彼らは洋楽に詳しい人物にコンタクトを取り、当時流行っていたアルバム(全てCD)を大量にコピーして販売した。海賊版の価格は、3枚で10元(約200円)。これにより海外の音楽を聴くコストはさらに安くなり、ロックファンがますます拡大していった。

廃プラスチックがもたらした反骨精神

「打口」世代の成長に伴い、中国でも、『非音楽』『自由音楽』『我愛揺滚楽(I Love Rock)』といったロック好きのための雑誌が登場した。これらの雑誌は、単に音楽を紹介するだけでなく、音楽批評の中で社会問題に対する批判を織り交ぜたり、民主や自由等の価値観に関しても言及した。

『我愛揺滚楽』の発行部数は一時期、毎号10万部を超えていた。価格も安くはなく、当時まだ学生だった私は、友人たちとお金を出し合い購読していた。見終わった後は、お金を出さなかった友人にも貸していたので、1冊の雑誌は毎号5人以上に読まれていた。個人的な感覚だが、中学から大学に至るまで「打口」音楽を熱心に聞いていた人は、同級生全体の10分の1を占めていたと思う。

「打口」世代は、西側の音楽と価値観の影響を深く受け、のちにミュージシャンとなった一部の人々もこの精神を引き継いだ。

 例えば、ピンク・フロイド好きな李志(リー・ジー)は、『広場』という楽曲で、天安門事件で亡くなった人を偲んだ。ボブ・ディランを愛する周雲蓬(ジョウ・ユンポン)は、『中国孩子(中国の子)』という楽曲で、1994年新疆ウイグル自治区で発生した火災を歌った。当時、現地の教育機関の高官が、礼堂で小・中学生の出し物を観ていた際に火災が発生。誰かが「まずリーダーを先に!」と叫び、高官たちは真っ先に現場を離れたが、288人の生徒が逃げ遅れ、命を落としてしまったという事件だ。

 両者は共に中国で著名なシンガーソングライターだが、このような楽曲を制作したことで音楽活動が長期的に制限されるという大きな代償を払った。

政府の反米プロパガンダに反感を抱く「打口」世代

 2006年頃、中国ではMP3プレイヤー等のデジタル音楽の視聴スタイルが徐々に広がりはじめ、多くの音楽サイトが出現した。CDなどを買わずに、デバイス画面上のボタンをいくつかクリックするだけで音楽が聴ける時代になった。

 音楽好きからすると非常に便利になったように見えるが、一方で中国共産党政府も管理しやすくなった。90年代より続いた、アメリカのゴミがもたらした「自由に音楽を聴く」という環境は、終わりを迎えたのだ。2014年前後、習近平政権発足から間もなく、ロックを紹介する中国の雑誌も全て休刊となり、今は電子版ですら存在していない。

 ここ最近、中国人は多くの問題において意見が分裂する。例えばアメリカに関しては、中国共産党政府のプロパガンダにより、大部分の人がアメリカは世界平和における最大の脅威であり、中国最大の敵であると認識している。

 今回、ナンシー・ペロシ米下院議長が台湾を訪問したことにより、中国共産党政府はアメリカ脅威論のプロバガンダをさらに強化し、中国人がアメリカを憎むよう扇動している。

 しかし、中国にいる私の友人に意見を聞いてみると、多くの友人が反米プロバガンダに対し反感を抱いている。面白いことに、これら友人のうち大部分がかつての「打口」世代であり、同時に日本のマンガ・アニメを好んで見ていた世代だ(本コラム「日本のアニメを見て育った中国『改革開放』世代の嘆きと絶望」を参照)。

 彼らは幼少期の頃からアメリカ文化や日本文化に慣れ親しみ、好感を抱いている。70年代中期~90年代初めに生まれた彼らは、現在30~50歳であり、まさに中国社会を支える中核世代と言える。彼らは自分の考えを持っており、中国共産党プロパガンダに服従しない揺るぎない強い心を持っている。

 遺憾なことに、習近平政権発足以来、海外の文化コンテンツは厳しく統制され、中国の門戸は再び閉められている。もしこのまま十数年の間に変革が起こらなければ、反骨の「打口」世代は年老いていき、中国社会に大きな反対勢力が現れることはおそらくないだろう。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  日本のアニメを見て育った中国「改革開放」世代の嘆きと絶望

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