2008年6月8日歩行者天国でにぎわう昼下がりの東京・秋葉原に、1台のトラックが猛スピードで突っ込んでいった。運転していた男はトラックを降りると、まるで何かにとりつかれたように特殊なナイフで次々と通行人を刺していった。わずか数分の間に7人が殺され、10人が重軽傷を負ったのである。犯人の加藤智大(27歳)が派遣社員だったことで、事件の背景に使い捨ての不安定な生活があるともいわれた。また、神戸連続児童殺傷事件の犯人と同じ年だったため酒鬼薔薇聖斗の再来ともいわれ、いまだに加藤に共感する若者も少なくない。

※本記事は、ノンフィクション作家の奥野修司氏による「文藝春秋2010年10月号の特集「真相 未解決事件35」内の「秋葉原無差別殺傷 被害者から加藤智大への手紙」を転載したものです。(肩書・年齢等は記事掲載時のまま)

 なぜ加藤は無差別に人を殺したのか。事件から1年後、被害者の元に謝罪の手紙が送られてきたが、そこには「罪から逃れるつもりはない」としながら、動機については何もふれず、「事件の記憶はほとんどない」と書かれていた。この手紙に、少なくとも2人の被害者が返事を出した。元タクシー運転手の湯浅洋さんもその1人だ。湯浅さんは被害者を救助しようとして後ろから刺され、九死に一生を得たが運転手には復職できず、最近介護士に転向したという。湯浅さんは、「二度と悲惨な事件が起こらない様、私の出来る事をやっていきたいと思います。もっと君を見せてくれませんか」と返書をしたためたが、加藤から返事はなかった。

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「食べるのが遅いと新聞のチラシにぶちまけて食べさせられた」

 2010年1月から始まった加藤の公判は、ようやく山場を迎え、7月27日から連続4回にわたって被告人質問が行われた。その供述から浮かんできたのは、17人も殺傷する凶悪な犯人像からほど遠く、孤独でワガママでどこにでもいる小心な男だったことだ。

 私が加藤に興味を抱いたのは、さまざまな問題を抱えている子供たちを取材しているうちに、加藤と共通するものがあることに気づいたからだ。たとえば、加藤が母親に支配されて育ったこともその一つだろう。進路は母親が決める、泣くと口にタオルを詰められる、旅行先は母親が独断で決める……。母親に支配される子供は加藤だけではないが、この母親は極端で、「食べるのが遅いと新聞のチラシにぶちまけて食べさせられた」と加藤が語るほどである。父親はそれを黙って見ていたという。さらに加藤は、そういう母親に抵抗せず、「悪いのはオレ」とすべて受け入れた。「良い子を演じ」ながら、母親へ強い憎しみを抱きつづけたに違いない。加藤にとって家族は、戸籍上存在しても精神的なつながりはなく、「実質は他人状態だった」という。

 加藤は県内トップクラス進学校・青森高校に入学。母親が選んだ学校だった。この時分から母親への反抗心が芽生えたのか、まったく勉強せず、進学も母親の期待に反して自動車整備の短期大学を選んでいる。ところが、加藤はこの短大で資格もとらず、卒業後は仙台の警備会社でアルバイトをはじめる。しかし1年半で辞職。理由は、加藤の提案を所長が採用しなかったからだという。その後は事件を起こすまで、派遣社員として自動車工場などを転々としていくのである。

掲示板は私にとって居場所。家族のようなもの」

 他者とうまくコミュニケーションがとれない加藤は、言葉のかわりに「アピール」という直接行動をとるようになった。今の子供たちは「アピる」という動詞で使うという。派遣先で加藤が、正社員から「派遣のくせに黙ってろ」と言われ、言葉で反論せずにいきなり辞めたのも、正社員へのアピールだったという。彼には大事な自己主張の手段だろうが、悲しいことにその意思は誰にも伝わらなかった。

 親しい友人もできず、加藤は「1人はいやだ」と、人目もはばからず涙を流すほど孤独だった。しかし、他者との関係を拒絶したわけではなかった。「せめて話のできる普通の家族になりたい」と、家族ともやり直しを始めたが、失った絆はとり戻せなかった。他者とつながりを見出せない加藤は、携帯サイトの掲示板の中に人間関係を築こうとする。「仕事以外の時間はすべて掲示板に充て」たというほどで、一時は通信料が数十万円にもなったこともあった。掲示板について加藤はこう証言している。

「自分が自分に帰れる場所でした」「返事をもらえると嬉しく、『一人じゃない』と感じられた。掲示板は私にとって居場所」「私にとっては家族のようなもの。家族同然の人間関係でした」

「殺す相手は誰でもよかったのか」と問われ…

 ところがこの掲示板が、「なりすまし」といわれる迷惑メールによって荒らされる。「家族を失う」と焦った加藤は、「なりすまし」に「警告」するため、「大事件を起こす必要がある」と考えた。これが無差別殺傷事件になるのだが、それにしても、なぜ「警告」が無差別殺傷なのか、加藤の供述からは理解できない。

 検察官から「殺す相手は誰でもよかったのか」と問われ、加藤が「はい」と答えたように、彼にはどんな事件でもよかったのかもしれない。彼の中で膨らみつづけた「怒り」や「悲しみ」が、掲示板を荒らされたことがきっかけにある閾値(いきち)を超え、「爆発」したのがあの事件だったように思う。「(事件を)起こしたというより、起こさざるを得なかった」と加藤が語っているのは、そういうことではないだろうか。

 問題を抱える子供たちと加藤に共通するものがあるからといって、彼らも加藤と同じ事件を起こすわけではない。多くの子供たちは、どこかで親子関係を修復したり、人とつながることで、自分の歪んだ部分を修正していくからだ。ところが、加藤にはそういう機会がなく、努力もしなかった。これが、ためらわずに人を殺傷する怪物を生んだのかもしれない。ただ、共通するものが少なからずあるからには、子供たちの中に第二第三の加藤が胚胎する可能性を完全には否定できない。加藤の出現は、あるいは絆を失った私たちの社会が、崩壊しはじめた兆しかもしれない。

(奥野 修司/文藝春秋 2010年10月号)

通行人をはねたトラックを調べる捜査員 ©共同通信社