塩地美澄

昨今、アナウンサーとタレントの垣根は、ますます低くなっているように見える。大学ミスコンテスト出身の女性アナウンサーは以前から多かったが、昨今ではアイドルやタレントとして活躍した後に局アナとして入社するケースも少なくない。

また、フリーに転身した後、女優やバラエティタレント的に活躍するアナウンサーも目立つ。秋田朝日放送AAB)で「東北ナンバーワン人気アナウンサー」と称され、今はグラビアでも活躍する塩地美澄(しおちみすみ)も、そんな一人だ。


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■東北の美人アナとして人気に

2006年にAABに入局した塩地は、北海道札幌市出身。札幌北高校時代には「ミス北高」に選ばれ、大学時代にはJR北海道キャンペーンガール「ミス・ツインクル」も務めた。

AAB時代は、平日夕方のニュース・情報番組『トレタテ!』や土曜朝の生放送番組『サタナビっ!』など、同局の看板番組を担当している。

地方局で注目を集め、フリー転身と同時に全国区の人気アナウンサーになる…といった出世ルートは一般的だが、当時の塩地にそうした意識は全くなかったという。

地方局のアナウンサーは、地元出身者でないと「すぐどこかに行っちゃうんでしょ」と思われがちだそうだが、塩地の場合は会社も社員たちも、仲間として迎えて育ててくれたという。


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■看板番組MCを務める

全国ネットの番組や東北6県に放映される機会があっても同僚に譲り、それよりも任せられた土曜朝の生放送には「絶対に穴を空けたくない」と思っていた塩地。

局アナとしては8年勤務したが、「名を馳せたい」という思いもなかったため、とくに知名度を上げるための努力もしていなかった。

雑誌などで、「東北ナンバーワン人気女子アナ」といったキャッチコピーが踊ったときも、「今となっては本当にありがたいですが、当時としては『そっとしておいてほしい』と思っていた」と笑う。

■上京してグラビアにも挑戦

しかし、父親の病と余命宣告を知らせる電話を受けたとき、考えが変わった。「もうがむしゃらに仕事はできない」「局に迷惑はかけられない」と退職の意思を告げると、驚いた周囲からは引き止められたため、それから約2年半がたった2014年にフリーに転身。

東京で活動しようと考えていなかったため、上京する前まで芸能事務所などへのコネクションも一切ない状態だった。

2015年には、グラビアにも挑戦。アナウンサーとは全く違う二足のわらじだ。インターネット上などで胸元が話題だったことから局アナ時代から週刊誌のオファーはたびたびあったが、報道番組を担当していたため当時は断り続けていたという。


■グラビアは「やってよかった」

とはいえ、発声練習や滑舌など基礎から徹底的に学んだアナウンス技術に対して、グラビアはまさに体当たり。

「その場に即したポーズを現場で必死に考えてとっていく中で、写真集が売れたりして、思いのほかファンの方がついてきてくれた。7年たった今でも、ポージングが上手にできているか疑問です」と明かす。

「『無理だと思ったことにチャレンジしたほうがいい』とよく言ったりしますが、私の場合、グラビアのお仕事はまさにそう。自分の表現の幅、活動の幅が拡がるきっかけになった。チャレンジするのは気持ち的に大変だったけれど、やってよかった」と振り返った。

■局アナとして磨かれたスキル

塩地美澄

フリー転身後、アナウンサーやTVの仕事でも活躍している。2021年12月、カザフスタンのバイコヌール宇宙基地から実業家の前澤友作氏が宇宙旅行に出発した際、現地からロケット打ち上げをレポートしたのは、塩地アナだった。

キャリアが長くなるにつれて、人の縁を感じる仕事も増えているそうだ。

「アナウンサーは4月より少し前に入社前研修をするのですが、その担当をしてくださった女性アナウンサーの先輩と、先日、テレビ東京の情報番組でご一緒することになって。私がスタジオゲストで、先輩が生ナレーション担当。ご連絡はとっていましたが、お会いするのは16年ぶりで感慨深かったです」

アナウンサー時代に磨かれたスキルは、人の話を聞く力。「コミュニケーションって、聞くことがすごく大切だと思うんです」と塩地。

また、生放送MCや報道の経験から番組全体の流れを見る力も磨かれたが、「逆に東京に来てからはそれを取っ払わないと、と思ってやってきている」そう。アナウンサーとタレントでは、テレビ的に求められる役割に違いがあるためだ。


■5冊目の写真集も発売

9月に5冊目となる写真集も発売される。自然豊かな群馬県みなかみ町などでロケを敢行した。

「去年の写真集『Nocturne』でも目指したけどできなかった、『自分がそこにありのまま存在する』ということが、今回の写真集では初めてできたかもしれない」と明かす塩地。

「撮ってもらっているという意識をなるべく持たないようにしたら、より良い写真になると思った。カメラマンさんを筆頭に、現場の皆さんが素の状態をつくってくれて、写真にそれがすごく出ていると思う」と語る。

「人って、フェイズによって顔や体が変わる。私自身は昨年より『進化できてる』と思っています。めちゃくちゃ気に入ってるので、本当に早く見ていただきたい」とアピールした。

■結婚については…

塩地美澄

6月26日には、40歳の誕生日を迎えて、「気分が一気に晴れた」という。「38歳くらいから憂鬱だったけれど、みんなから『40歳でそれだったら自慢していいじゃん』と言われるようになって、自分としても『そうかもな』と思ったら、気持ちが楽になった」

いい年の重ね方をしていく自分の姿がイメージできてきた、とのこと。「結婚は、『いつかできればな』と思っています。いい意味で『いつでもいいか』という考えになれました」と笑う。


■次なる目標も

20代は秋田の人気局アナとして、30代は東京でアナウンサー、タレント、グラビアと活動してきた塩地。これからは、「女性にももっと共感してもらえるような、人間・塩地美澄の生き方が映し出される仕事がしたい」と語る。

テレビ局時代も出演だけでなく裏方を担当したが、何か「つくる仕事」や自ら起業することにも興味が。

「今はまだ模索中ですが、いろんな方にお会いして話を聞く機会はできるだけ積極的に作ろうとしている。人のつながりにおいては充実しています」と、新たな挑戦に期待をのぞかせた。

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(取材・文/Sirabee 編集部・タカハシマコト

塩地美澄、5冊目写真集も発売間近 アナウンサー、グラビアの次なる目標は…