夏の全国高等学校野球選手権が初めて開催されたのは1915年。決勝では秋田代表の秋田中が、京都代表の京都二中に敗れた。それから108年目の夏。ついに深紅の大優勝旗が白河の関を越えた。

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 22日まで熱戦が続いた今夏の甲子園は、宮城代表の仙台育英が決勝で山口代表の下関国際を8-1で下し、初優勝を果たした。東北勢にとっては、春夏通じて13度目となる決勝の舞台で、初めて全国の頂点に立った。

 20世紀までは、秋田中の他に決勝に進んだのは3校だけ。1969年夏に青森代表・三沢、1971年夏に福島代表・磐城、1989年仙台育英が決勝の舞台に立ったものの、優勝にはあと一歩届かなかった。

 21世紀を迎えると、東北勢の躍進が目立ってきた。2001年春に仙台育英。2003年夏にはダルビッシュ有パドレス)擁する宮城代表・東北が決勝に進んだ。2009年春は菊池雄星ブルージェイズ)の岩手代表・花巻東が長崎代表・清峰の前に0-1で涙を呑んだ。2011年夏からは田村龍弘ロッテ)、北條史也(阪神)らが中心の青森代表光星学院が3季連続決勝に進むも、2012年は春夏ともに大阪桐蔭に敗退。2015年夏には仙台育英が敗れ、2018年夏は秋田代表・金足農吉田輝星日本ハム)を中心に旋風を巻き起こしたが、大阪桐蔭に2-13で大敗した。

 届きそうで、届かなかった大旗。その間には田中将大(楽天)を擁した南北海道代表・駒大苫小牧が2004、2005年と夏連覇を達成。白河の関を越えることがなかった大旗は、空路で津軽海峡を先に越えてしまった。

 もっとも2000年以降は、いつでも優勝が手の届くところにあったとも言える。中心選手として引っ張った各選手が、その後はプロ野球や、海を飛び越えてメジャーリーグでも活躍していることからも明らかだ。

 特に近年は東北、中でも岩手出身選手の躍進がめざましい。菊池に続いて、花巻東からは大谷翔平。県内の大船渡出身の佐々木朗希ロッテ)は、今年は160km台の異次元の直球を連発してパーフェクトゲームを達成した。怪物を生む土壌として、東北の地はベースボールの本場・米国からも注目を集めている。来日する米国のベースボールライターの多くは、東北に足を運ぶことを取材の理由としている。

 ここに名前を挙げていなくても、現在プロ野球の一線級で活躍する東北出身者は数多い。かつてはレベルの低さを指摘する声もあり、冬場は雪が積もり恵まれない練習環境がその理由に挙げられてきた。東北の野球人たちはそんな不利な状況を、知恵とアイデアを絞って乗り越えてきた。逆に豊かな自然の下で、大きなポテンシャルを持った大器を生む土壌へと昇華させていった。

 多くの野球ファンは、東北の野球を語る上で「今年も大旗は白河の関を越えず」というフレーズを耳にし、口にしてきた。だが、仙台育英に続く東北勢の第2、第3の優勝は時間の問題だろう。今大会も準決勝まで福島代表・聖光学院が残り、仙台育英と東北勢対決を演じた。今は盛んに繰り返される「白河の関越え」。それが死語となる日は近い。いや、逆に「今年も白河の関越え」というフレーズに、真逆に意味を変えるかもしれない。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

ついに越えた白河の関、東北野球のレベル向上が有名フレーズを真逆の意味へと変える?!