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 史上最も空爆された国をご存じだろうか?それは東南アジアインドシナ半島にある国ラオスだ。

 意外に思う人もいそうだが、ベトナム戦争中にラオスに投下された爆弾は2億7,000万個以上にのぼり、世界で最も多い国民1人当たり約1トンもの爆弾を受けていたことになるという。

 世界最大の不発弾が見つかるなど、ベトナム戦争からおよそ50年が経ってもなお、のどかな地域に残留する爆弾の撤去作業が終わらないラオスについてお伝えしよう。

【画像】 9年間で 200 万トン以上。歴史上最も空爆された国ラオス

 ラオスが歴史上最も空爆された国になったのはベトナム戦争(1964~1975年)の最中だった。

 1964年12月14日から1973年3月19日までの9年間ですさまじい空爆を受け続けたからだ。その爆弾の総量は200万トン(現地では300万トンという説も)以上といわれている。

アメリカから総重量 200 万トン、2億7000万発の爆弾を投下されたラオスは、歴史上最も多くの空爆を受けた国になりました

50年前のベトナム戦争時代の不発弾が残る国

 冷戦の縮図とされるベトナム戦争は、以前から資本主義の「南」と社会主義の「北」に分断して対立が起きていたベトナムに、アメリカやソビエトがそれぞれに介入した代理戦争ともいわれている。

 アメリカが南ベトナムの支援に乗り出す形で始まった争いにより、ベトナムの隣国ラオスは戦地となった。

 ラオス南東部、ベトナムとの国境沿いのジャングルに、北ベトナム軍にとって重要かつ不可欠な物資の補給路ホーチミン・ルートがあったからだ。

 ホーチミン・ルートへのアメリカ軍の攻撃により、その地域の田園地帯の多くが破壊され、何千人もの村人が死亡した。

 以降、長きにわたり泥沼化した戦いが終結して50年近く経った今でも、ラオスの農村にはいくつもの不発弾が見つかっている。

 激しい空爆を受けたこの国では、世界最大の不発弾の1つも見つかっており、悲惨な戦いを思い起こさせるモニュメントとして保管されている。

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ラオスの内戦から代理戦争に。アメリカの空爆が激化

 ただ壮絶な空爆の理由は他にもある。実はベトナム戦争中のラオスにおいても、ベトナム同様かねてからの内争が冷戦を反映する代理戦争が展開した。

 1950年初頭から、共産主義組織パテート・ラーオとラオス王国政府の長期的な争いに悩まされていたラオスでは、ベトナム戦争の激化につれ、ソ連や北ベトナムがパテート・ラーオを援助し、南ベトナムを支援するアメリカがその勢力を妨害する事態になった。

 後にラオス内戦(1953~1975年)と呼ばれるこの戦いでは、北ベトナムが後ろ盾となったパテート・ラーオの進軍に向けてゲリラが投じられ、訓練を受けて武装したモン族などの少数民族が足止めするなどの戦いが繰り広げられた。

 その後も、ラオス国内でアメリカ軍によるパテート・ラーオ勢力への空爆が激しさを増したが、1971年に北ベトナム軍が王立軍に広範囲の攻撃を仕掛け無力化したことを機に戦いは終わり、王立政府の敗北となった。

当時は国民1人当たり1トンの爆弾。現在の残留不発弾は約8,000万個

 外務省が今年4月1日に発表した報道によると、ベトナム戦争中にラオスに投下された爆弾はおよそ約2億7,000万個(クラスター子弾含む)以上で、国民1人当たりに投下された爆弾のトン数(1人当たり約1トン)は世界第1位であり、全土に埋没する不発弾の数は約8,000万個に及ぶと推定されているという。

 その撤去に取り組むUXO Lao ラオス国家不発弾処理プログラム(Lao National Unexploded Ordnance Programme)はその様子をフェイスブックで公開している。

UXO Laoによる爆弾撤去作業の様子

References:unilad / mofa.go.jp / uxolaoなど /written by D/ edited by parumo

 
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史上最も爆弾がおとされた国。ラオスには9年間で約2億7,000万個以上の爆弾が落とされていた