古来、日本には数多くの剣術の流派がある。宮本武蔵の二天一流、新撰組の天然理心流、千葉周作の北辰一刀流などがそうだ。

 タイ捨流も、そのひとつ。だが、タイ捨の使い手である伝林坊頼慶(でんりんぼうらいけい)、別名・弁慶無夢(べんけいむそう)と呼ばれた人物を知る人は少ないだろう。

 彼は戦国時代の兵法家で武将だった上泉信綱(伊勢守)の弟子。信綱が1560年代に成立させた剣術の流派が、新陰流である。信綱は新陰流を広めるため全国各地を巡り、数多くの弟子を持った。柳生新陰流の柳生宗厳も有名だが、疋田陰流剣術の祖・疋田景兼、神後宗治、奥山神影流の奥山公重、丸目長恵、別名・丸目蔵人が四天王といわれている。

 長恵が新陰流から創設したのがタイ捨流で、自分も生かし相手も生かす「活殺剣法」といわれている。長恵は肥後南部の領主だった相良氏の家臣で、師・信綱が室町幕府第13代将軍・足利義輝の前で演舞した際、相手役を務めたことで有名だ。

 長恵の弟子だったのが、頼慶だ。もともとは明の武術家だったが、来日までの詳しい経歴は残っていない。だが、来日した際、長崎で長恵の弟子・小田六右衛門夕可と対決。敗れたため、長恵に弟子入りしたらしい。

 いつしか高弟として「直伝免許之衆」となり、代稽古を任されるまでになったが、その後は謎に包まれている。寛永年間には修験者となって巡礼を開始し、山伏の指導者になったとも伝わっている。

 この頼慶は「裏タイ捨流」、または「相良忍軍」の総帥とされている。忍者でもあったことは確かのようだ。慶安4年(1651年)、彦山八天狗弁慶夢想と名乗り、吉田村(現・佐賀県嬉野市吉田)の武次与三兵衡という人物に忍術を相伝したと記された巻物さえも、現存しているからだ。

 劇画やテレビドラマで有名な「子連れ狼」や映画「柳生一族の陰謀」には、裏柳生という暗殺集団が登場する。これはあくまで架空のものだ。だが、頼慶率いる「裏タイ捨流」「相良忍軍」という集団が実際に存在していたのは間違いない。

 MLBで活躍する大谷翔平二刀流だが、格闘家、剣豪、そして山伏に忍者の顔を持つ頼慶はいったい、何刀流なのだろうか。

(道嶋慶)

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